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国立科学博物館:特別展「氷河期展 〜人類が見た4万年前の世界〜」

3連休の初日、上野の国立科学博物館で開催中の特別展「氷河期展 〜人類が見た4万年前の世界〜」を訪れました。天気にも恵まれ、館内は多くの来場者で賑わっており、入場までに10分ほどの行列ができていました。展示は、かつて地球が氷に包まれていた時代を多角的に紹介しながら、人類と動物たちの生きた世界を再現しています。 最初のエリアでは、氷河期を生きた巨大動物――いわゆる「メガファウナ」たちが出迎えてくれました。マンモスの骨格標本はもちろんのこと、オオツノジカやオーロックス、ケサイといった現在では見ることのできない大型哺乳類たちの姿が、骨格標本や生体復元模型でリアルに再現されていました。その迫力に、かつての地球の厳しさと豊かさを感じさせられます。 次の展示では、ネアンデルタール人とクロマニョン人という、人類の近縁種・祖先たちに焦点が当てられていました。特に、日本初公開となるネアンデルタール人のラ・フェラシー1号や、ラ・シャペル・オー・サンの「老人」といった著名な化石標本に目を奪われました。加えて、クロマニョン人の1号・2号の頭蓋骨が展示されており、旧石器時代の人類の文化的な豊かさを示す証拠――装飾品や骨製の縫い針など――も紹介されていました。実用品だけでなく、美しさを追求する感性がすでに存在していたことに驚かされます。 続いて、日本列島の氷河期に関する展示では、当時の地理や文化に思いを馳せることができました。北海道がサハリンや大陸と陸続きであった「古北海道半島」と呼ばれる時代には、多くの装飾品が作られていたようで、現代のファッション感覚に通じるものを感じました。特に、日本では旧石器時代の装飾品の出土例が少ない中、北海道から見つかった品々は貴重な発見です。また、沖縄で発掘された港川人の全身骨格も展示されており、南北で異なる環境の中、人々がそれぞれの生活を営んでいたことが伝わってきました。 展示の締めくくりは、氷期と間氷期における植生の変化に関するものでした。福井県の水月湖では、年ごとの堆積物――いわゆる「年稿」が連続して保存されており、花粉や胞子といった微細な化石から、当時の植物相を解明することが可能となっています。このように、日本の地層が地球全体の気候変動を知る鍵にもなっていることに、あらためて日本列島の地質学的な価値の高さを実感しました。 特別展を見終えたあと、少し時間があっ...
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多摩動物公園:蝶が舞うドームと広がる草原、30年ぶりの動物園で出会う、生きものたちの今

動物園を訪れるのは、子どものころ以来、本当に久しぶりの体験でした。学芸員の勉強を進める中で、動物園も博物館法の枠組みの中に含まれることを知り、展示や解説の工夫に着目したいという思いから、多摩動物公園を訪れました。 正門から入ると、まずその広大な敷地と展示のスケールに圧倒されました。パンフレットを手に取ると、ライオンやゾウ、コアラなど、見たい動物たちの飼育エリアが大きく離れて配置されていることに気づき、子どもの頃に思い描いていた「動物がぎゅっと詰まった動物園」とはまったく異なる空間であることを実感しました。 最初に訪れたのは、未来的なドームが特徴的な昆虫生態園です。実は昆虫はあまり得意ではありませんが、思い切って足を踏み入れてみました。入り口付近にはごきぶりなど苦手な昆虫もいましたが、奥に進むと蝶の生態展示や、実際に蝶が舞うドーム空間が広がっていました。温度や湿度、光まで細かくコントロールされているようで、まるで映画のワンシーンのように美しく蝶が飛び交います。昆虫が苦手な方でも、ここなら安心して楽しめる工夫が感じられました。 続いて、アフリカ園へ向かいました。ライオンの飼育スペースは広大で、専用バスで周遊することもできるサファリパークのような展示方法が採用されています。今回はバスには乗らず外から見学しましたが、ライオンたちがのびのびと過ごす様子を遠くから観察できました。アフリカゾウやキリン、チンパンジーなどもそれぞれゆとりある環境で飼育されており、動物本来の行動が引き出せるよう工夫されていると感じました。 オーストラリア園では、コアラやカンガルー、インドサイなどをじっくりと見学。普段は混み合いがちなコアラ館もこの日は空いていて、ゆっくりと写真を撮ることができました。ガラス越しに間近で観察できる展示で、コアラの穏やかな動きに癒されました。 アジア園ではユキヒョウやレッサーパンダ、そしてオオカミなどが展示されていました。特にオオカミ舎は、建物の中からガラス越しに様々な角度で見学できるよう設計されていましたが、残念ながらこの日は姿を見ることができませんでした。オオカミはとても慎重な性格だそうで、姿を現すタイミングにも動物ごとの個性が感じられます。 どのエリアでも共通していたのは、動物たちがストレスを感じにくいよう広い空間が用意されていること、そして来園者が学びやすいよう生態...

大森貝塚遺跡庭園/大森貝墟の碑:都市の片隅に残る、縄文の時間

品川歴史館を見学した後、 大森貝塚遺跡庭園を訪れました。品川歴史館で古代の遺跡や品川の歴史に触れた後だったので、実際にその歴史の現場を歩けることに、少しワクワクしながら庭園の入口に到着しました。 入口や広場は、どこか土器を思わせる丸みや曲線を活かした造りになっていて、過去と現代をつなぐ不思議な雰囲気が漂っていました。 園内には、アメリカ人動物学者エドワード・S・モース博士の像が建てられています。モース博士は1877年(明治10年)、この地で日本初の本格的な考古学的発掘調査を行った人物であり、大森貝塚を世界的に有名にした立役者です。その像の前に立つと、100年以上前の発見の感動が少しだけ伝わってくる気がしました。 庭園の奥へ進むと、貝塚の断面を見ることができます。黒ずんだ貝殻や土層が幾重にも重なり、縄文時代の人々の暮らしや日常の痕跡が感じられます。解説パネルも設置されており、当時の食生活や文化に思いを馳せることができました。 その後、庭園から徒歩ですぐの場所にある「大森貝墟の碑」も訪れました。NTTのビルの裏手という少し分かりにくい場所ですが、道や階段がきちんと整備されており、迷わずたどり着くことができました。入口には「9時から17時までは通行可能」とあり、訪問時間に少し気を付ける必要があります。 また、ビルの前には時間外の訪問者向けなのか、碑の2分の1スケールのレプリカが設置されていました。手軽に碑の雰囲気を感じられる工夫がされているのも、歴史を大切にするこの地域らしい配慮だと感じました。 大森貝塚は、ただの「遺跡」ではなく、日本の考古学や縄文文化の出発点の一つともいえる場所です。現地を歩き、モース博士の功績や、土の中に眠る遠い昔の人々の暮らしを身近に感じられるひとときとなりました。 旅程 大森駅 ↓(徒歩) 品川区立品川歴史館 ↓(徒歩) 大森貝塚遺跡庭園 ↓(徒歩) 大森貝墟の碑 ↓(徒歩) 大森駅 関連イベント 周辺のスポット 品川区立品川歴史館 ニコンミュージアム しながわ水族館 地域の名物 関連スポット リンク 大森貝塚|品川区立 品川歴史館 大森貝塚遺跡庭園 | しながわ観光協会 大森貝塚遺跡庭園 | agataJapan.tokyo

品川区立品川歴史館:遺跡・台場・工場、遺跡と絵図でたどる、品川のものがたり

 品川区は、東京湾に面した歴史豊かな地域です。今回、品川歴史館を訪れて、その歩みを時代ごとにたどることができました。 館内に入ると、まず古代の品川を物語る石器や土器が目に入りました。大森貝塚や池田山北遺跡といった、区内の遺跡から発見された実物の展示は、遠い昔にこの地で人々がどのような暮らしを営んでいたのか、想像をかき立ててくれます。 時代が進むと、大和朝廷の時代、東海道に設けられた大井駅が登場します。延喜式(えんぎしき)に記された大井駅の説明や関連資料を通じて、古くから交通や物流の要衝だった品川の一面を知ることができました。 鎌倉時代には、この地を治めた大井氏や品川氏の資料が展示されていました。戦国時代に創建された妙国寺の周辺の絵図もあり、江戸以前の品川がどのような地域だったのか、具体的に思い描くことができました。 江戸時代に入ると、幕府によって設けられた台場に関する資料が印象的でした。海防のために大砲が設置された御台場の絵図は、江戸が国の中心となった時代の緊張感や技術力を感じさせます。 明治時代になると、鉄道が開通し品川停車場が登場します。風景図画や工場で生産されたガラスやレンガなどの資料から、品川が近代都市として発展していく様子が伝わってきます。 関東大震災や戦後復興の展示コーナーでは、災害からの立ち直りと街の再生の記録を見ることができました。特別展では「昭和100年 しながわめぐり」と題し、品川のもう一つの顔である海苔漁の歴史が紹介されていました。かつて海苔漁が盛んだった品川も、工場の増加とともに水質が悪化し、漁業権が放棄されていく過程が、資料や写真によって丁寧に説明されていました。 時代ごとの展示を見ていくうちに、品川が湾岸の自然に恵まれた土地から、交通・産業の要所、そして近代都市へと、幾度も姿を変えてきたことがよく分かります。展示資料の一つ一つに、この街を生きた人びとの営みと、時代の大きなうねりが映し出されていました。歴史館の見学を通して、品川の今をより深く知ることができる貴重な時間となりました。 旅程 大森駅 ↓(徒歩) 品川区立品川歴史館 ↓(徒歩) 大森貝塚遺跡庭園 ↓(徒歩) 大森貝墟の碑 ↓(徒歩) 大森駅 関連イベント 周辺のスポット 大森貝塚遺跡庭園 大森貝墟の碑 ニコンミュージアム しながわ水族館 地域の名物 関連スポット リンク ...

織物参考館・紫:紀元前の知恵から現代技術へ、桐生で体感する織物の進化

群馬県桐生市の織物参考館・紫を訪れました。朝から岩宿遺跡や桐生明治館、桐生織物記念館、桐生天満宮を巡った後、歴史ある織物の町をさらに深く知りたいと思い、足を運びました。 館内に入ると、まず目に飛び込んできたのは、エジプト最古の織機の図です。ここから時代を遡るように、世界各地の織機の資料や実物が展示されています。古代ギリシャの花瓶に描かれた織物の工程や、江戸時代の型紙といった資料もあり、織物がどのように人々の暮らしに根付いてきたのか、その歴史を感じることができました。 展示されている織機は実に多彩で、ペルーのミピピポ族による原始的な機から、紀元前のおもり機、そして近代の力織機まで、時代ごとの進化がわかりやすく並べられています。それぞれの織機の仕組みや特徴を眺めながら、人類が創意工夫を重ねてきた歩みに思いを馳せました。 さらに隣の建物に移ると、実際に自動で動いている織機を間近に見ることができました。目の前で複雑な動きを繰り返す機械は迫力があり、織物がどのように生み出されているのかを体感できます。 建物の屋根は特徴的なのこぎり屋根になっており、一定の光を取り入れる工夫がされています。のこぎり状の屋根は、室内に自然光を安定して届けるだけでなく、機械が動く際の音を乱反射させて和らげる役割も果たしているそうです。このような設計にも、織物産業の知恵が詰まっているのだと感心しました。 織物参考館・紫の見学を通して、桐生の織物が世界や時代を超えて受け継がれてきた歴史の一端に触れることができました。技術や工夫の積み重ねが、現代に続く織物の町を形づくっているのだと改めて実感しました。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR両毛線) 岩宿駅 ↓(徒歩) 岩宿遺跡 ↓(徒歩) 桐生明治館(旧群馬県衛生所) ↓(徒歩) 西桐生駅 ↓(徒歩) 桐生織物記念館 ↓(徒歩) 蒲焼 泉新 ↓(徒歩) 矢野園 ↓(徒歩) 有鄰館 ↓(徒歩) まちなか交流館 ↓(徒歩) 平田家住宅旧店舗 ↓(徒歩) 森合資会社事務所・店蔵・石蔵(旧穀蔵) ↓(徒歩) 一の湯 ↓(徒歩) 桐生天満宮 ↓(徒歩) 群馬大学工学部同窓記念会館(旧桐生高等染織学校講堂) ↓(徒歩) 無鄰館 ↓(徒歩) 旧曽我織物工場 ↓(徒歩) 金善ビル ↓(徒歩) 桐生倶楽部 ↓(徒歩) 織物参考館・紫 ↓(徒歩) 桐生駅 関連イベント 周辺のスポット...

桐生天満宮:繊維のまち桐生で出会う、歴史と文化の小径

桐生市を訪れると、まずその街並みの美しさに心を奪われます。晴れた日の散策は、岩宿遺跡や桐生明治館、桐生織物記念館といった歴史や文化を伝える場所を巡る旅となり、歩くごとに時代の移ろいを感じさせてくれました。その流れのなかで足を運んだのが、桐生天満宮です。 桐生市の中心部に鎮座するこの天満宮は、町の歴史とともに歩んできた古社であり、境内へはまず一の鳥居をくぐって進みます。 二の鳥居を通り抜けると、右手に機神神社(はたがみじんじゃ)が見えてきます。社殿には「栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ)」を祀り、ここが桐生最古の織物市場の発祥地である旨が掲げられていました。桐生が古くから繊維産業と深い縁を持つことを改めて実感させられ、この土地の産業と信仰のつながりに静かに思いを馳せました。 さらに奥へと進むと、太鼓橋が境内の雰囲気を和ませてくれます。 水が張られていませんでしたが、からくり人形水車も設けられており、水が流れているときは、訪れる人を楽しませてくれるのでしょうか。 神門――地元では「桐生門」と呼ばれる美しい門をくぐり抜けて、いよいよ拝殿へと向かいます。境内には凛とした空気が漂い、静かに手を合わせると、遠い昔から人々がこの地で祈りを捧げてきた重みを感じることができました。 拝殿参拝のあとは、宝船神社、神楽殿、赤城神社、春日社、そして神明宮・直日神社など、さまざまな末社も見て回りました。それぞれの社殿や建造物には、地域の信仰と歴史が色濃く刻まれており、一つひとつに違った趣があります。特に宝船神社や神楽殿の造りは、祭りや行事の際に賑わいを見せてきた様子を想像させ、地域の人々にとっての神社の役割の大きさを改めて感じました。 この後、私はさらに歩みを進め、群馬大学工学部同窓記念会館へと向かいました。桐生の町は、明治から昭和にかけての建築群が今も残り、歴史の重なりと現代の活気が同居する不思議な魅力を持っています。桐生天満宮の静けさと、街に息づく人々の営み。その両方に触れることで、旅の一日がより豊かなものになりました。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR両毛線) 岩宿駅 ↓(徒歩) 岩宿遺跡 ↓(徒歩) 桐生明治館(旧群馬県衛生所) ↓(徒歩) 西桐生駅 ↓(徒歩) 桐生織物記念館 ↓(徒歩) 蒲焼 泉新 ↓(徒歩) 矢野園 ↓(徒歩) 有鄰館 ↓(徒歩) まちなか交流館 ↓(徒歩) 平田家住...

桐生市の歴史的な建造物群:西桐生駅、蒲焼 泉新、矢野園、有鄰館、まちなか交流館、平田家住宅旧店舗、森合資会社事務所・店蔵・石蔵(旧穀蔵)、一の湯、旧桐生高等染織学校講堂、無鄰館、旧曽我織物工場

群馬県桐生市は、江戸時代から続く織物の町として知られ、かつて「桐生新町(きりゅうしんまち)」と呼ばれた歴史ある地域です。市内には桐生明治館や桐生織物記念館、桐生天満宮、織物参考館・紫といった代表的な施設だけでなく、今もなお往時の面影を色濃く残す歴史的建造物が数多く点在しています。これらの建造物群は、伝統的な町並みや商家、蔵などが連なり、まるで時代を遡ったかのような雰囲気を味わうことができます。 特に「桐生新町」は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、歴史と文化の香りを今に伝える貴重なエリアです。昔ながらの格子戸や石畳、重厚な蔵造りの家々が並ぶ風景は、歩くだけで桐生の長い歴史や人々の暮らしを感じさせてくれます。この記事では、そんな桐生新町の歴史的建造物群についてご紹介したいと思います。 西桐生駅 西桐生駅は、木造の趣ある駅舎が印象的な駅です。1928年(昭和3年)の開業以来、上毛電気鉄道の駅として、現在も多くの人々に利用されています。時代の移り変わりの中で、駅舎そのものは大きな改修を受けることなく、当時の面影を色濃く残しているため、歴史好きの方やレトロな雰囲気を味わいたい方にとって、心惹かれるスポットとなっています。 私が訪れた日は、真夏のような強い日差しが照りつける暑い日でした。ホームや駅舎の待合スペースでは、電車を待つ人々だけでなく、ベンチで休憩をとる方や、涼を求めて飲み物や軽食を楽しむ方の姿も見られました。昔ながらの木造駅舎にはどこか心地よい落ち着きがあり、旅の合間にほっと一息つくにはぴったりの空間です。 私も駅舎内の自動販売機でアイスクリームを買い、ベンチに腰掛けてしばし涼を取りました。外の暑さを忘れさせてくれるような、静かな時間が流れていたのが印象的です。長い歴史を持つ西桐生駅は、日常の中にそっと溶け込みつつ、訪れる人に昔懐かしい風景と、ひとときのやすらぎを与えてくれる場所だと感じました。 蒲焼 泉新 桐生の町を歩いていると、ふと香ばしいうなぎの香りが漂ってきました。そこにあるのが、天保元年(1829年)創業の老舗「蒲焼 泉新(いずしん)」です。長い歴史を持つうなぎ料理屋で、創業以来、地元の人々や旅人に親しまれてきました。建物自体がいつ建てられたものかははっきりとは分かりませんが、昭和61年に曳き移転されたという記録が残っており、それ以前からこの...