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林泉寺 (上越市):謙信公と共に歩む越後の古刹、静寂の境内に響く武将の記憶

新潟県の上越市に来ました。コロナ後でまだ旅行の感覚が取り戻せておらず、どこに行こうか悩んでいるときに、「上越新幹線」という言葉が目に入り、上越ってどこだ?という感じで決めました。

春日山城を目指して、林泉寺(りんせんじ)に寄りました。

林泉寺は、上杉謙信にゆかりのお寺です。受付を過ぎると、相談な山門が見えてきます。裏側にある「第一義」の扁額は、上杉謙信の直筆の複製です。オリジナルは宝物館にあります。

林泉寺は、上杉謙信の曾祖父(そうそふ、ひいじじ)の長尾重景(ながお しげかげ)が曇英恵応(どんえい えいおう)という曹洞宗の高僧に出会い、感銘を受け越後にとどまってもらったのが始まりです。その後、上杉謙信の祖父の長尾能景(ながお よしかげ)が、重景が亡くなったあとに菩提を弔うために、林泉寺を創建しました。

曇英恵応は、曹洞宗の高僧で、短期間ですが、永平寺の住職も務めました。

春日山城で長尾家の四男として生まれた虎千代(後の上杉謙信)は、妾の子であったため、長尾家の後継者として扱われず、7歳のときに林泉寺に入門しました。虎千代は、林泉寺六代住職の天室光育(てんしつこういく)の教育を7年間受けました。

林泉寺は、長尾家、上杉家の菩提寺で、上杉謙信のお墓もあります。

上杉謙信のお墓の隣には、川中島合戦の供養塔があります。

他に、堀氏、松平氏、榊原氏の菩提寺でもあり、今もお墓が残っています。

林泉寺の惣門(そうもん)は、春日山城の裏門を移築したもので、市の指定文化財です。現存の唯一の春日山城の建築物であり、上越市市最古の建造物でもあります。

宝物館には、林泉寺や上杉謙信に関する多くの貴重な資料が展示されています。武田晴信(後の信玄)に関する手紙では、ひらがなで愚痴が書かれており、上杉謙信女性説が広がるのも理解できます。

上杉謙信が亡くなったあと、景勝が会津、米沢へ移転になり、林泉寺も米沢に移転しました。

その後、上越の林泉寺は衰退しますが、堀氏の時代に再興され、江戸時代からは寺領を与えられ、現在に至ります。

旅程

東京

↓(新幹線/えちごトキめき鉄道)

春日山駅

↓(徒歩)

春日神社

↓(徒歩)

林泉寺

↓(徒歩)

春日山神社

↓(徒歩)

春日山城跡

↓(徒歩)

上越市埋蔵文化財センター

↓(徒歩)

春日山駅

↓(えちごトキめき鉄道)

高田駅

↓(徒歩)

平出修の旧居

↓(徒歩)

旧師団長官舎

↓(徒歩)

高田駅

↓(新幹線/えちごトキめき鉄道)

東京

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