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9月, 2023の投稿を表示しています

角館總鎭守 神明社:100キロマラソンの日、町に息づく伝統

秋田県仙北市にある神明社を訪れました。朝から角館の町を散策し、田沢湖の静かな湖面や歴史ある旧家の佇まいに触れた一日の締めくくりとして、この神明社へ足を運びました。 角館の総鎮守とされる神明社は、町の人々にとっても身近な存在のようで、境内にはどこか懐かしさと落ち着きが感じられます。広すぎず狭すぎず、程よい広さの境内を歩いていると、町の歴史を静かに見守ってきた神社であることが伝わってきました。本殿は華美な装飾こそありませんが、素朴な佇まいの中に厳かな雰囲気が宿っています。 参拝を終えて神明社を後にし、角館駅へと向かう道すがら、町が普段とは少し違う賑わいを見せていることに気づきました。この日はちょうど100キロマラソンの開催日だったようで、早朝から多くの参加者がスタート地点を目指して集まっていました。また、沿道ではイベントの一環なのか、神輿の準備に励む人々の姿も見られ、地元の伝統と現代の活気が交錯する特別な一日だったのだと感じました。 静けさの中に歴史が息づく神明社と、スポーツイベントでにぎわう角館の町。その対比を味わいながら、旅の終わりを迎えた一日でした。 旅程 東京 ↓(新幹線) 田沢湖駅 ↓(タクシー) たつこ像 ↓(タクシー) 角館武家屋敷通り ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 武家屋敷 小田野家 ↓(徒歩) 外町史料館 たてつ ↓(徒歩) 新潮社記念文学館 ↓(徒歩) 西宮家 ↓(徒歩) 安藤醸造本店 ↓(徒歩) 神明社 ↓(徒歩) 角館駅 ↓(新幹線) 東京 周辺のスポット 西宮家 外町史料館たてつ 安藤醸造本店 リンク 角館總鎭守 神明社|トップページ 角館總鎮守神明社(秋田県仙北市)(秋田県仙北市)|東北の観光スポットを探す | 旅東北 - 東北の観光・旅行情報サイト

安藤醸造本店:赤レンガに刻まれた百年の手仕事、香ばしき伝統に包まれて

田沢湖のたつこ像が湖面に立つ姿を眺め、秋田県角館(かくのだて)の歴史ある旧家をいくつか巡ったのち、私は安藤醸造 本店を訪れました。 安藤醸造は、1853年(嘉永6年)創業の老舗。江戸時代末期から続く味噌・醤油造りの伝統を、今も変わらず受け継いでいます。本店の建物は、赤レンガが印象的な佇まいで、町の中にあってもどこか洋風の落ち着いた風格を放っていました。 入口をくぐると、ふわりと鼻をくすぐる醤油と味噌の香り。今も現役で使われている店舗スペースには、丁寧に並べられた商品がずらりと並び、どれも手に取ってみたくなるような存在感があります。 さらに奥に進むと、そこには仕込みに使われていた醤油の大きな壺や、明治・大正の時代を思わせる帳簿台帳、和傘や桶といった当時の道具類が展示されていました。それらはただの古道具ではなく、長年の営みと職人たちの手仕事の痕跡を今に伝える証人のようでした。 蔵の内部はひんやりと静かで、木の香りと発酵の名残を感じる空間。そこに並ぶ和室や、襖に描かれた西宮礼和(にしのみや れいわ)の繊細な絵には、単なる見学以上の趣がありました。特に和室は、商家としての格式と生活の風景が重なり合うような場となっており、かつての人々の暮らしを想像せずにはいられませんでした。 安藤醸造 本店は、商品を買いに立ち寄るだけの場所ではありません。そこには「醸造」という営みに込められた時間の重なりがあり、秋田の風土に根ざした人々の暮らしが、静かに息づいています。伝統の味の背景に広がる文化や歴史にふれるひとときは、旅の記憶をより豊かにしてくれました。 角館を訪れるなら、ぜひ足を運んでみてください。味覚だけでなく、五感すべてで「時の香り」を感じることができる場所です。 旅程 東京 ↓(新幹線) 田沢湖駅 ↓(タクシー) たつこ像 ↓(タクシー) 角館武家屋敷通り ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 武家屋敷 小田野家 ↓(徒歩) 外町史料館 たてつ ↓(徒歩) 新潮社記念文学館 ↓(徒歩) 西宮家 ↓(徒歩) 安藤醸造本店 ↓(徒歩) 神明社 ↓(徒歩) 角館駅 ↓(新幹線) 東京 周辺のスポット 神明社 西宮家 外町史料館 たてつ リンク 無添加・天然醸造の調味料のお取り寄せ・ギフト|株式会社 安藤醸造 安藤醸造 本店 | 店舗情報 | 田沢湖角館観光協会-Tazawako Kakunod...

西宮家:田町の蔵に息づく明治・大正の気配

角館の町並みを歩いているうちに、地図の通りに進んだつもりが、どうやら西宮家には裏口から入ってしまったようでした。 黒板塀の内側に一歩足を踏み入れると、武家町の静けさがそのまま息づいていて、まず目に入ったのは蔵の展示です。古い掛け軸や衣装箱、人力車が並び、道具の使い込まれた質感から、かつての暮らしの手ざわりが伝わってきました。展示を見終えてさらに奥へ進むと、広いお土産スペースやレストランが現れ、観光客が休んだり、旅の合間に小腹を満たしたりできる気さくな雰囲気で、歴史の場がいまの旅人に開かれていることを実感しました。 西宮家は、角館の田町武家屋敷通りにある名家で、もとは久保田藩主・佐竹家の直臣に仕えた武士の家柄と伝わります。江戸ののち、明治から大正にかけて母屋と五つの蔵(文庫蔵・北蔵・前蔵・がっこ蔵・米蔵)が整い、屋敷構えと蔵のボリュームから当時の繁栄がうかがえます。とくに明治期の当主・西宮藤剛は角館町の初代町長を務め、地域に大きく貢献した人物として知られ、屋敷は角館の歴史・文化を今に伝える場として保存・活用されてきました。蔵のいくつかはショップや飲食、ギャラリーとして再生され、武家町の景色の中で、暮らしの文化に触れられるのが魅力です 表門からのアプローチも凛として美しいのですが、今回のように裏手からふと足を踏み入れると、蔵と庭が連なる奥行きの広さがいっそう印象に残ります。展示室では、古文書や生活道具の実物が静かに語り、土間の冷たさや木の香りが当時の空気を呼び戻してくれます。ひとめぐりしてレストランでひと息つくと、旅の時間がすっとほどけ、歴史の町に暮らす人の時間と自分の時間が重なるようでした。角館の武家屋敷群の中でも、西宮家は「見る」だけでなく「滞在し、味わい、買う」体験が一続きになっているのが魅力だと感じました。 帰り際、蔵の軒先に下がる小さな看板や、庭に据えられた石組みを眺めながら、春の枝垂れ桜の季節や、秋の色づきの頃にも歩いてみたいと思いました。武家町の静けさの中に、人の営みがつづいてきた気配が宿り、旅の余韻を長く残してくれる場所でした。 旅程 東京 ↓(新幹線) 田沢湖駅 ↓(タクシー) たつこ像 ↓(タクシー) 角館武家屋敷通り ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 武家屋敷 小田野家 ↓(徒歩) 外町史料館 たてつ ↓(徒歩) 新潮社記念文学館 ↓(徒歩) 西宮家...

角館武家屋敷通り:外町史料館 たてつ

田沢湖から角館へ向かったこの日は、山と湖の静けさから一転して、江戸時代の城下町の空気の中に身を置く一日になりました。朝にタクシーで田沢湖をひとまわりしたあと、そのまま車で角館の武家屋敷通りまで送ってもらい、北側からゆっくりと歩き始めました。 本当は、古城山公園にも立ち寄るつもりでいました。しかしこのとき、古城山公園は「クマ出没のため立入禁止」という張り紙が出ていて閉鎖されていました。タクシーの運転手さんが「絶対に入ったらあぶないですよ」と、少し強い口調で念を押してくれたのを覚えています。当時は、どこか「マナーを守らない一部の人向けの注意」くらいの感覚で聞いていて、クマの怖さを実感できていませんでした。ところが、この記事を書いている2025年になった今、日本各地でクマの出没が社会問題として報じられるようになり、あのとき運転手さんが伝えようとしていた危機感は、単なるマナーの話ではなく「命に関わるリスク」の話だったのだと、ようやく腑に落ちてきました。 角館の町は、もともと江戸時代初期の1620年に、秋田藩主佐竹義宣の弟・芦名義勝によって現在の場所に城下町として整えられたと言われています。 それ以前は古城山の北側に町がありましたが、水害や火災が多かったため、山の南側、現在の位置に町を移したといわれています。三方を山に囲まれ、西に桧木内川、南に玉川が流れるこの地は、防御と生活の両面で好条件がそろっており、城下町として理想的な立地だったそうです。 町の特徴のひとつが、武士の町である北側の「内町」と、商人や町人が暮らした南側の「外町」が、「火除け」と呼ばれる広い空地と土塁によって区切られていることです。江戸時代は火災が最大級の災害だったため、防火帯として意図的に空間を確保し、町全体を守る都市計画が施されていました。 現在も当時の町割りはほぼそのまま残っており、武家屋敷通りの一帯は重要伝統的建造物群保存地区として指定されています。 いわゆる「みちのくの小京都」と呼ばれる由来も、この町割りの保存状態の良さにあります。 タクシーを降りたのは、武家屋敷通りの北側でした。黒い板塀がまっすぐ続き、その奥にはモミやシダレザクラの大木が縦方向にも横方向にも重なり合うように茂っています。歩道側は観光地らしく開けているのに、塀の向こうは少し薄暗い森のようで、外から眺めているだけでも、武家屋敷という空...

たつこ像:湖に秘められた伝説、永遠を望んだ乙女のまなざし

今日は角館に行ってきました。 その前にちょっと遠回りですが、田沢湖駅で降りてたつこ像を見てきました。 たつこ像は田沢湖の西岸にあります。 ひっそりと建っている姿は、デンマークの人魚象を思い出しました。辰子伝説は辰子という女性が龍になり田沢湖に身を投げ、水深の深い田沢湖ができたというお話です。 水がとんでもなく澄んでいてきれいでした。 田沢湖は水深423.4mで日本で最深の湖です。 この後、タクシーでそのまま角館に向かいました。もともと古城山公園から角館駅に向かって観光スポットをまわる予定でしたが、熊出没のため登山禁止になっていました。タクシーの運転手が結構本気で「絶対に行かないように!」と注意されていたのですが、その後の東北での熊被害を見ると従っておいて良かったです。 旅程 東京 ↓(新幹線) 田沢湖駅 ↓(タクシー) たつこ像 ↓(タクシー) 角館武家屋敷通り ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 武家屋敷 小田野家 ↓(徒歩) 外町史料館 たてつ ↓(徒歩) 新潮社記念文学館 ↓(徒歩) 西宮家 ↓(徒歩) 安藤醸造本店 ↓(徒歩) 神明社 ↓(徒歩) 角館駅 ↓(新幹線) 東京 周辺のスポット 角館武家屋敷通り リンク たつこ像 観光情報 | 仙北市 たつこ像 | 観光・体験スポット | アキタファン 田沢湖・たつこ像 |東北の観光スポットを探す | 旅東北 - 東北の観光・旅行情報サイト

三井寺(園城寺):日本三名鐘の響きと引き摺り鐘に秘められた弁慶の伝説

本日は、比叡山延暦寺を中心に琵琶湖の西側の観光をしました。延暦寺、日吉大社と訪れたあと、三井寺(みいでら / 園城寺(おんじょうじ))に向かいしました。 滋賀県大津市にある三井寺(園城寺)は、天台寺門宗の総本山として知られる名刹です。歴史の深さ、文化財の豊かさ、そして数々の伝説に彩られたこの寺院は、多くの人々を魅了してやみません。 三井寺の創建は7世紀後半、天智天皇の時代にまで遡ります。大友皇子(のちの弘文天皇)のために創建されたと伝えられ、平安時代には天台宗の高僧・智証大師円珍によって再興されました。以後、三井寺は円珍の流れを汲む「天台寺門宗」の中心寺院として発展していきます。しかし、その歴史は決して平穏なものではありませんでした。延暦寺との対立、戦乱による焼き討ちなど、幾度もの試練を乗り越えて現在に至ります。 三井寺という名称は、境内に湧く霊泉が天智天皇、天武天皇、持統天皇の産湯に使われたことに由来しています。現在も「閼伽井屋(あかいや)」と呼ばれる場所でその霊泉を見ることができます。 境内には数々の歴史的建造物が立ち並んでいます。本堂である金堂は、桃山時代の建築で国宝に指定されています。この堂内には御本尊の弥勒菩薩が安置され、訪れる人々を静かに見守っています。 また、三井寺を訪れるなら、ぜひ鐘の音にも耳を傾けてみてください。「三井の晩鐘」は日本三名鐘の一つとされ、その美しい音色は古くから多くの人々に愛されてきました。 この鐘とは別に「弁慶の引き摺り鐘」と呼ばれる梵鐘(ぼんしょう)の伝説が残っています。かつて武蔵坊弁慶が鐘を比叡山へ持ち帰ったものの、鐘が「イノー、イノー(帰りたい)」と泣いたため、怒った弁慶が比叡山から突き落としたとされています。その鐘は再び三井寺に戻り、今でも訪れる人々を迎えています。 また、三井寺の魅力は建造物や伝説だけにとどまりません。四季折々の自然の美しさも、多くの参拝者を惹きつける要因の一つです。春には桜が咲き誇り、秋には紅葉が境内を鮮やかに彩ります。特に桜の季節には夜間のライトアップが行われ、幻想的な雰囲気に包まれた境内を楽しむことができます。 アクセスも良好で、京阪電車「三井寺駅」から徒歩約10分、またはJR「大津駅」からバスで約10分の距離にあります。京都からも比較的近いため、日帰りの観光にも適しています。 歴史と自然、文化が融合...

国立民族学博物館:太陽の塔のとなりで、世界を旅した一時間

大阪観光の締めくくりに万博記念公園を訪れました。 太陽の塔を眺めながら公園を歩いていると、木立の向こうにトーテムポールのようなものが見えてきました。 国立民族学博物館という案内がありました。時計を見ると、すでに午後3時過ぎ。帰りの新幹線から逆算すると、公園にいられるのはあと1時間ほどです。広そうな建物を前に、「今日はやめておこうか」「でも“民族学”って気になる…」としばし逡巡しましたが、結局、好奇心に負けて足を踏み入れることにしました。博物館の前の黒い石の Monument も、近づいてみると「国立民族学博物館」と刻まれています。文字の形がどこか象形文字のようで、期待が高まりました。 中に入ると、まずスケールの大きさに圧倒されました。国立民族学博物館、通称「みんぱく」は、文化人類学・民族学とその関連分野の大学共同利用機関として1974年に創設され、1977年に大阪・千里の大阪万博跡地に開館した、世界最大級の民族学博物館です。 研究者が世界各地で集めた生活用具や民族衣装など、約34万5千点もの資料を所蔵し、そのうち約1万2千点が常設展示で並んでいると知ると、先ほどの「1時間で見て回れるのか」という不安が一気に現実味を帯びてきます。 展示室は、オセアニアから始まり、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、西アジア、南アジア、東南アジア、中央・北アジア、東アジアと、地球を東回りに一周するような構成になっていました。 まさに「世界一周ルート」の途中に自分が紛れ込んだようで、入口で地図を受け取った瞬間から、駆け足旅行の始まりです。 ルーマニアの「陽気な墓」の展示は、その名のとおりカラフルで、一般的な「墓地」のイメージから大きく外れた世界が広がっていました。青や赤、黄色で描かれた板には、亡くなった人の人生やユーモラスなエピソードが描かれていて、「死」と「笑い」がこんなふうに同居する文化もあるのだと、短い時間ながら心に残りました。 ナイジェリアのヨルバ族のコーナーでは、ビーズで作られた人形が目を引きました。細かなビーズがびっしりと縫い付けられた人形は、単なる玩具というより、祈りや物語を宿した存在のように見えます。 続いて、アフリカ南部・ザンビアの仮面(マキシ)や、中東のベリーダンス衣装、インドの女神・ドゥルガー像なども並び、宗教儀礼から日常の衣装まで、「人が何を身にまとい、何を怖れ、何を...

万博記念公園:1970年の夢が今も生きる場所、自然と文化、過去と現代と未来が溶け合う大阪のオアシス

通天閣から地下鉄、モノレールを使って万博記念公園に来ました。太陽の塔が目的でしたが、公園内をぶらついているときに国立民族学博物館を見つけてしまい、大半を国立民族学博物館で過ごしてしまいました。新幹線の時間が近く万博記念公園も国立民族学博物館も十分に見学できなかったので、また来たいと思います。 大阪・吹田市に広がる「万博記念公園」は、1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会、通称「大阪万博」の跡地に整備された広大な公園です。当時の熱気と夢を今に伝える場所でありながら、四季折々の自然と文化を満喫できる、関西屈指の観光スポットでもあります。 公園の顔ともいえるのが、岡本太郎によって制作された「太陽の塔」です。高さはなんと約70メートル。万博のシンボルとして建てられ、今も力強い存在感を放っています。近年は塔の内部も公開されており、予約制で内部見学が可能です。内部には「生命の樹」と呼ばれる巨大なオブジェがそびえ立ち、進化の過程を辿るような神秘的な空間が広がっています。まるでタイムトンネルを通るような感覚で、未来と過去を行き来するような気持ちにさせられます。 また、万博記念公園の魅力は自然の豊かさにもあります。自然文化園と呼ばれるエリアでは、季節の草花や樹木が訪れる人々を出迎えてくれます。春は桜の名所として多くの人でにぎわい、秋には紅葉の絶景が広がります。ベンチや芝生も多く、ピクニックにもぴったりです。 園内のもうひとつのハイライトは、日本庭園です。ここは「上代」「中世」「近世」「現代」をテーマに構成されており、回遊式庭園としても見応えがあります。池泉や橋、茶室などもあり、喧騒を離れて静かに過ごしたいときにはとてもおすすめです。特に春の梅や秋の紅葉は見事で、季節ごとの風情を存分に楽しめます。 文化的な体験をしたい方には、「国立民族学博物館」も外せません。ここでは世界中の民族文化に触れることができ、音楽や衣装、住まいに関する展示などがとても充実しています。特にアジアやアフリカの展示室は異国感たっぷりで、まるで小さな世界一周をしているかのような気分になります。 また、1970年の万博を今に伝える「EXPO’70パビリオン」では、当時のポスターや映像、ロボットなどが展示されており、万博を知らない世代でも新鮮に感じられるでしょう。未来への希望や技術への夢が詰まっていたあの時代...

四天王寺:聖徳太子が築いた日本最古の官寺、1400年の祈り

大阪観光に来ています。あべのハルカスを見たあと、四天王寺に来ました。 四天王寺は、593年(推古天皇元年)に聖徳太子により、建立が開始されました。飛鳥時代が592年からなので、その前の古墳時代になります。 戦国時代には、織田信長に放火され焼失したり、豊臣秀吉に再建されたり、大坂冬の陣で焼失して、徳川家康に再建されたりしました。 1934年(昭和9年)には、室戸台風で中門、五重塔が倒壊し、1940年(昭和15年)には五重塔が再建されました。 1945年(昭和20年)には、太平洋戦争で焼失し、1950年(昭和25年)には、ジェーン台風で金堂が倒壊しました。 1957年(昭和32年)~1963年(昭和38年)に中心伽藍が再建されました。 四天王寺には、あべのハルカスから向かったため、南大門から入りました。 南大門を進むと、中門(仁王門)が見えてきます。仁王像の大きさは、東大寺の南大門に次ぐ大きさです。 このまま、まっすぐ進まず、東の宝物庫を先に見て、北側に回り、石舞台を見ました。石舞台は、重要文化財です。 石舞台の北にある、六時堂も重要文化財です。 そのまま、西側に回り、西大門(極楽門)を抜けました。西大門は、パナソニックを創業した松下幸之助(まつした こうのすけ)の寄付により創建されました。 そのまま、西に進み、石鳥居に向かいました。石鳥居も、重要文化財です。 お寺なのに鳥居があるのも不思議ですが、神仏習合時代の名残です。本来は、南大門が正門ですが、「極楽浄土の入口に通じる」として石鳥居から参拝する人も多いです。 そのまま、東に戻り、西重門から中に入りました。 中には五重塔があり、中に入ることもできます。 これだけの古いお寺が、何度も焼失を繰り返しながら、そのたびに再建され残っているのが驚きです。 旅程 東京 ↓(新幹線) 新大阪駅 ↓(JR) 大阪城公園駅 ↓(徒歩) 大阪城 ↓(徒歩) 森ノ宮駅 ↓(JR) 天王寺駅 ↓(徒歩) あべのハルカス ↓(徒歩) 四天王寺 ↓(徒歩) (略) ↓ 通天閣 ↓(徒歩) 動物園前駅 ↓(OsakaMetro/大阪モノレール) 万博記念公園駅 ↓(徒歩) 万博記念公園 ↓(徒歩) 国立民族学博物館 ↓(徒歩) 万博記念公園駅 ↓(大阪モノレール/北大阪急行電鉄/新幹線) 東京 周辺のスポット あべのハルカス 一心寺 通天閣 新世...