スキップしてメイン コンテンツに移動

万博記念公園:1970年の夢が今も生きる場所、自然と文化、過去と現代と未来が溶け合う大阪のオアシス

通天閣から地下鉄、モノレールを使って万博記念公園に来ました。太陽の塔が目的でしたが、公園内をぶらついているときに国立民族学博物館を見つけてしまい、大半を国立民族学博物館で過ごしてしまいました。新幹線の時間が近く万博記念公園も国立民族学博物館も十分に見学できなかったので、また来たいと思います。

大阪・吹田市に広がる「万博記念公園」は、1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会、通称「大阪万博」の跡地に整備された広大な公園です。当時の熱気と夢を今に伝える場所でありながら、四季折々の自然と文化を満喫できる、関西屈指の観光スポットでもあります。

公園の顔ともいえるのが、岡本太郎によって制作された「太陽の塔」です。高さはなんと約70メートル。万博のシンボルとして建てられ、今も力強い存在感を放っています。近年は塔の内部も公開されており、予約制で内部見学が可能です。内部には「生命の樹」と呼ばれる巨大なオブジェがそびえ立ち、進化の過程を辿るような神秘的な空間が広がっています。まるでタイムトンネルを通るような感覚で、未来と過去を行き来するような気持ちにさせられます。

また、万博記念公園の魅力は自然の豊かさにもあります。自然文化園と呼ばれるエリアでは、季節の草花や樹木が訪れる人々を出迎えてくれます。春は桜の名所として多くの人でにぎわい、秋には紅葉の絶景が広がります。ベンチや芝生も多く、ピクニックにもぴったりです。

園内のもうひとつのハイライトは、日本庭園です。ここは「上代」「中世」「近世」「現代」をテーマに構成されており、回遊式庭園としても見応えがあります。池泉や橋、茶室などもあり、喧騒を離れて静かに過ごしたいときにはとてもおすすめです。特に春の梅や秋の紅葉は見事で、季節ごとの風情を存分に楽しめます。

文化的な体験をしたい方には、「国立民族学博物館」も外せません。ここでは世界中の民族文化に触れることができ、音楽や衣装、住まいに関する展示などがとても充実しています。特にアジアやアフリカの展示室は異国感たっぷりで、まるで小さな世界一周をしているかのような気分になります。

また、1970年の万博を今に伝える「EXPO’70パビリオン」では、当時のポスターや映像、ロボットなどが展示されており、万博を知らない世代でも新鮮に感じられるでしょう。未来への希望や技術への夢が詰まっていたあの時代の雰囲気を、少しでも味わえる貴重な場所です。

アクセスも便利で、大阪モノレールを利用すれば大阪市内から1時間かからずに到着できます。園内はとても広いため、自転車のレンタルサービスを活用するとより快適に回ることができます。

季節ごとのイベントも充実しており、春の桜まつりや秋のライトアップ、冬のイルミネーションなど、訪れる時期によって違った楽しみがあります。BBQ施設や遊具広場も整備されており、ファミリー層にも人気です。

万博記念公園は、過去と未来、自然と文化が交差する魅力あふれる場所です。のんびりと散策したい方にも、知的好奇心を満たしたい方にも、自信をもっておすすめできる大阪の名所だと思います。もしまだ訪れたことがない方がいらっしゃれば、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。


旅程

東京

↓(新幹線)

新大阪駅

↓(JR)

大阪城公園駅

↓(徒歩)

大阪城

↓(徒歩)

森ノ宮駅

↓(JR)

天王寺駅

↓(徒歩)

あべのハルカス

↓(徒歩)

四天王寺

↓(徒歩)

(略)

通天閣

↓(徒歩)

動物園前駅

↓(OsakaMetro/大阪モノレール)

万博記念公園駅

↓(徒歩)

万博記念公園

↓(徒歩)

国立民族学博物館

↓(徒歩)

万博記念公園駅

↓(大阪モノレール/北大阪急行電鉄/新幹線)

東京

周辺のスポット

  • 国立民族学博物館

リンク

コメント

このブログの人気の投稿

桐生市の歴史的な建造物群:西桐生駅、蒲焼 泉新、矢野園、有鄰館、まちなか交流館、平田家住宅旧店舗、森合資会社事務所・店蔵・石蔵(旧穀蔵)、一の湯、旧桐生高等染織学校講堂、無鄰館、旧曽我織物工場、金善ビル、桐生倶楽部

群馬県桐生市は、江戸時代から続く織物の町として知られ、かつて「桐生新町(きりゅうしんまち)」と呼ばれた歴史ある地域です。市内には桐生明治館や桐生織物記念館、桐生天満宮、織物参考館・紫といった代表的な施設だけでなく、今もなお往時の面影を色濃く残す歴史的建造物が数多く点在しています。これらの建造物群は、伝統的な町並みや商家、蔵などが連なり、まるで時代を遡ったかのような雰囲気を味わうことができます。 特に「桐生新町」は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、歴史と文化の香りを今に伝える貴重なエリアです。昔ながらの格子戸や石畳、重厚な蔵造りの家々が並ぶ風景は、歩くだけで桐生の長い歴史や人々の暮らしを感じさせてくれます。この記事では、そんな桐生新町の歴史的建造物群についてご紹介したいと思います。 西桐生駅 西桐生駅は、木造の趣ある駅舎が印象的な駅です。1928年(昭和3年)の開業以来、上毛電気鉄道の駅として、現在も多くの人々に利用されています。時代の移り変わりの中で、駅舎そのものは大きな改修を受けることなく、当時の面影を色濃く残しているため、歴史好きの方やレトロな雰囲気を味わいたい方にとって、心惹かれるスポットとなっています。 私が訪れた日は、真夏のような強い日差しが照りつける暑い日でした。ホームや駅舎の待合スペースでは、電車を待つ人々だけでなく、ベンチで休憩をとる方や、涼を求めて飲み物や軽食を楽しむ方の姿も見られました。昔ながらの木造駅舎にはどこか心地よい落ち着きがあり、旅の合間にほっと一息つくにはぴったりの空間です。 私も駅舎内の自動販売機でアイスクリームを買い、ベンチに腰掛けてしばし涼を取りました。外の暑さを忘れさせてくれるような、静かな時間が流れていたのが印象的です。長い歴史を持つ西桐生駅は、日常の中にそっと溶け込みつつ、訪れる人に昔懐かしい風景と、ひとときのやすらぎを与えてくれる場所だと感じました。 蒲焼 泉新 桐生の町を歩いていると、ふと香ばしいうなぎの香りが漂ってきました。そこにあるのが、天保元年(1829年)創業の老舗「蒲焼 泉新(いずしん)」です。長い歴史を持つうなぎ料理屋で、創業以来、地元の人々や旅人に親しまれてきました。建物自体がいつ建てられたものかははっきりとは分かりませんが、昭和61年に曳き移転されたという記録が残っており、それ以前からこの...

法隆寺:世界最古の木造建築と聖徳太子の遺産

京都・奈良観光に来ています。貸し切りのタクシーで刊行しており、法起寺と山背大兄王の墓所のあと、法隆寺に案内されました。 奈良県斑鳩町にある法隆寺(ほうりゅうじ)は、日本最古の仏教寺院の一つとして知られています。推古天皇15年(607年)に聖徳太子によって創建されたと伝えられ、1993年にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。創建当時は、斑鳩寺(いかるがでら / 鵤寺)と呼ばれていました。歴史の重みを感じるこの寺院は、日本の仏教美術や建築を語る上で欠かせない存在です。 法隆寺の伽藍は、西院伽藍と東院伽藍の二つのエリアに分かれています。西院伽藍には、世界最古の木造建築群が立ち並び、特に金堂と五重塔が有名です。金堂には飛鳥時代の代表的な仏像である釈迦三尊像が安置され、その表情や姿勢からは深い歴史と信仰の重みを感じることができます。五重塔は仏教建築の粋を集めたもので、塔内部には釈迦の入滅や舎利信仰を表す塑像群が残されています。 東院伽藍には、聖徳太子を祀る夢殿が建っています。夢殿は八角形の美しい建築様式を持ち、太子信仰の中心となる場所です。内部には秘仏・救世観音像が安置され、特定の期間のみ御開帳されることで知られています。また、法隆寺には百済観音と呼ばれる国宝の仏像も所蔵されており、その優雅な姿は多くの参拝者を魅了しています。 法隆寺の歴史をひも解くと、670年(天智9年)に火災で焼失し、その後再建されたとされています。これを巡って「法隆寺再建非再建論争」と呼ばれる学術的な議論が行われましたが、現在の伽藍は7世紀後半のものと考えられています。そのため、再建されたものではあるものの、非常に古い建築物として世界的にも貴重な文化財とされています。 法隆寺は単なる歴史的建造物ではなく、日本の仏教文化がどのように根付いていったのかを知る手がかりとなる場所です。その荘厳な雰囲気の中で、飛鳥時代の人々が抱いていた信仰や仏教の広がりを感じ取ることができます。奈良を訪れる際には、ぜひ足を運び、悠久の時を超えて受け継がれてきた法隆寺の魅力に触れてみてください。 文化財保護法 日本には数多くの歴史的建物や美術工芸品、伝統芸能や美しい自然環境など、次世代へと引き継ぐべき貴重な文化財があります。これらの文化財を守り、次の世代にも伝えていくために制定されたのが、「文化財保護法(ぶんかざいほごほう)...

曹洞宗 大泉寺 (甲府市):本堂からはじまった一巡、甲府で感じた落ち着き

北国街道の春はまだ浅く、甲府の空気には少しだけ山の冷たさが残っていました。朝から武田ゆかりの地を巡り、武田神社で背筋を正し、武田信玄公の墓所で静かに手を合わせたあと、足を延ばして大泉寺(だいせんじ)へ向かいました。信玄公の墓から歩いたので寺域には北側から入り、門前の段取りもなく、いきなり本堂と向き合うかたちになりました。思いがけない近さに少し驚きながら、まずは合掌して旅の無事を報告します。 本堂前には、甲斐の寺らしい端正さが漂っていました。大きな誇張はないのに、柱の一本一本が落ち着きと気概を帯びているように感じます。境内をゆっくり一巡すると、堂宇の配置に無駄がなく、山裾の地形に寄り添って築かれていることが分かりました。戦国の気配を帯びた史跡を歩いた後だからでしょうか、ここでは時間が一段ゆっくり流れているように思えます。 南へ抜けると、山門の額に「萬年山」と大書されていました。風に晒された木額の筆勢は力強く、寺号を越えて「この地で幾世代も祈りが重ねられてきた」という気配を直接伝えてきます。甲府の寺には武田氏ゆかりの由緒が折々に残り、祈願所や菩提寺として地域の信仰と政治の結節点を担ってきた歴史があります。大泉寺の静けさもまた、合戦や政変の記憶を飲み込み、日々の祈りの層を積み重ねてきた時間の厚みから生まれているのだと思いました。 境内の片隅でしばし腰を下ろすと、風に鳴る木の葉の擦れ合いが、さっきまでの史跡巡りの緊張をやわらげてくれます。武家の栄枯盛衰は書物や石碑の中で雄弁ですが、寺の空気はもっと寡黙で、それでも確かに当時を伝えてくれる。華やかな戦功の陰で、人びとの生活と祈りが確かに続いていたことを、こうした場所はさりげなく教えてくれます。 北から入って本堂に迎えられ、南の山門から「萬年山」に送られる――結果的に境内を南へと抜ける流れになったことで、祈りの導線を逆向きにたどったような、不思議な余韻が残りました。史跡としての手がかりを探す旅でもあり、同時に心を整える旅でもある。甲府での一日は、武田の記憶に触れつつ、静かな寺の時間に身をひたすことで締めくくられました。 大泉寺のことを思い返すと、派手な見どころを挙げるよりも、境内の空気そのものが記憶に残ります。歴史は大河のように語られますが、現地で向き合うと湧水のように足元から滲み出てくる。甲斐の山に抱かれた小さな時間が、長い歴...