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6月, 2024の投稿を表示しています

群馬県立歴史博物館:土器と馬具が語る東国の古代史、古代の記憶と出会う

午前中は世界遺産の高山社跡へ行った後、群馬県高崎市にある群馬県立歴史博物館を訪れました。群馬県は訪ねたいところが多いですが、距離があったり交通網が充実していないのが残念です。自動走行のバスやタクシーが普及して交通のコストが下がると、こういった地方観光のブームが来ると思います。 最初に目にしたのは、縄文時代の展示でした。縄文土器の独特な造形には、暮らしに根ざしながらも装飾性を追求した美意識が感じられます。耳飾りや石板といった装身具や道具類も豊富に展示されており、人々が自然と調和しつつ、豊かな感性をもって日々を過ごしていたことがうかがえました。 深鉢(縄文時代早期、苗ヶ島大畑遺跡) 土製耳飾り(縄文時代晩期、桐生市) 石板(縄文時代晩期、北米岡遺跡) 続いて、展示の中心のひとつである綿貫観音山古墳に関するコーナーへ。この古墳は6世紀後半に築かれた前方後円墳で、発掘された副葬品の豪華さから当時の支配層の権力や文化水準を知るうえで重要な遺跡とされています。特に目を引いたのは、墳丘を再現したパノラマ展示で、埴輪の配置の様子が立体的に理解できるよう工夫されていました。 国宝にも指定されている馬具や装飾品の数々は、古代東国の技術の高さと中央政権とのつながりを物語っているように感じられました。 馬具(古墳時代、 観音山古墳 ) 銅水瓶(古墳時代、 観音山古墳 ) 展示を通じて、群馬という土地が縄文時代から古墳時代にかけてどれほど重要な文化の舞台であったかを改めて実感しました。遺物に刻まれた模様や形から、千年以上も前の人々の息遣いが確かに聞こえてくるようでした。 過去を知ることは、今を知ることでもあります。群馬県立歴史博物館は、そうした時間の重なりを静かに教えてくれる場所でした。 旅程 東京駅 ↓(新幹線) 高崎駅 ↓(電車) 群馬藤岡駅 ↓(徒歩 かなり遠い) ふじの咲く丘 ↓(徒歩 かなり遠い) 高山社跡 ↓(徒歩 かなり遠い) 群馬藤岡駅 ↓(タクシー) 群馬県立歴史博物館 ↓(徒歩 遠い) 北藤岡駅 ↓(電車) 高崎駅 ↓(新幹線) 東京駅 関連イベント 周辺のスポット 群馬県立近代美術館 地域の名物 関連スポット リンク 群馬県立歴史博物館 群馬県立歴史博物館ミュージアムショップ

高山社跡:絹産業発展の足跡、日本近代化を支えた知恵の源泉

高山社跡に行くため、群馬県藤岡市に来ました。 群馬藤岡駅へ向かう電車はワンマンカーで、人の少ない地域に向かうことが分かります。 (かなり)がんばれば駅から歩いていける距離なので、ウォーキングを兼ねて徒歩でいきましたが、予定を立てているときから分かっていたのですが、途中に観光スポットが無く、かなり辛いウォーキングになりました。気分転換に、季節外れのふじの咲く丘に寄ったあと、高山社跡に徒歩で向かいました。 高山社跡は、世界遺産の「富岡製糸場と絹産業遺産群」を構成する資産の一つで、富岡製糸場に行ったときに知りました。 高山社に近づくと、完全に山に中になりきれいな川が流れています。写真では涼し気ですが、当日は猛暑で汗だくでした。 高山社跡の手前の駐車場(普通は車で来る距離です)に、お勧めのルートとして、先に高山社情報館に行くようになっていたので、まず情報館に行きました。 手間の広場には、高山社創設者の高山長五郎(たかやま ちょうごろう)(1830年(文政13年)~1886年(明治19年))の銅像があります。 情報館では、学芸員の方に、富岡製糸場、高山社跡、田島弥平旧宅、荒船風穴について説明していただけます。興味深かったのは、養蚕業が日本中でブームになっていた当時、蚕の天敵のねずみ対策として、ネコやへびの需要が高まり、神社などで祀られたそうです。ネコの需要は特に高まり、非常に高額になったそうです。あまり知られていませんが、ネコバブルです。コロナ中に、マスクやトイレットペーパーが高騰したことを考えると、人は150年たっても変わらないな、と思います。 明治の絹産業、養蚕業に関わった人の資料や、養蚕に関わる道具の展示もされています。 情報館でお話を聞いて、資料全体を見た後、高山社跡に向かいました。ここは徒歩数分です。 高山社は、高山長五郎が養蚕技術を指導するために1873年(明治6年)に高山組を作り、その後1884年に高山社となりました。社となっていますが、養蚕の教育機関です。 高山長五郎は1886年に亡くなり、後を継いだ門下の町田菊次郎が私立甲種高山社蚕業学校(養蚕学校)を設立しました。 当時の養蚕は田島弥平が確立した「清涼育」という方法で育てられていましたが、高山長五郎は「清温育」を新しく確立し、それを学校で教えました。 高山社蚕業学校の卒業生には、荒船風穴を築いた庭屋千壽もい...

鉄道博物館:子供から大人まで、歴史と技術を一気に楽しめるてっぱくで感じる鉄道の魅力

本日は、さいたま市の大宮駅近くにある鉄道博物館(てつどうはくぶつかん)に来ました。 埼玉県さいたま市にある鉄道博物館は、通称「てっぱく」として親しまれる日本最大級の鉄道ミュージアムです。鉄道ファンはもちろん、家族連れやカップルでも楽しめる人気の観光スポットです。 館内には、日本の鉄道の歴史を象徴する車両が数多く展示されています。蒸気機関車や0系新幹線、寝台特急「あさかぜ」など、歴史的にも価値が高い車両を間近で見ることができ、その迫力と存在感は圧巻です。 また、博物館には本格的な運転シミュレーターも設置されています。電車の運転士気分をリアルに体験できるため、大人から子供まで夢中になれるコーナーとなっています。 館内の大きな見どころの一つが、日本最大級の鉄道ジオラマです。精巧に再現された街並みの中を小さな列車が走る様子は、まるで実際の鉄道風景を俯瞰しているかのような感覚にさせてくれます。定期的に開催されるジオラマショーも見逃せません。 さらに、館内には鉄道技術の仕組みをわかりやすく解説した「科学ステーション」もあり、体験型の展示で楽しみながら鉄道への理解を深めることができます。屋外展示のエリアでは、実物の車両展示やミニ列車の乗車体験もでき、特に子供たちに大人気です。 食堂車を再現したレストランでは、昔ながらの洋食メニューを味わいながら鉄道旅行の気分を楽しめます。また、お土産にぴったりなオリジナルグッズや鉄道模型を扱うミュージアムショップも充実しています。 アクセスは、JR大宮駅からニューシャトルに乗り換え、「鉄道博物館駅」で下車後、徒歩わずか1分。都心からもアクセスが良く、休日のお出かけ先として最適です。 鉄道博物館は鉄道の魅力をさまざまな角度から楽しめる施設であり、何度訪れても新しい発見があるおすすめスポットです。 東海道新幹線 東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)は、日本の高度経済成長期を象徴する大きなプロジェクトのひとつで、日本初の高速鉄道として、1964年(昭和39年)10月1日に東京〜新大阪間で開業しました。当時の日本は戦後の復興から経済の急成長を遂げ、東京・名古屋・大阪間を結ぶ東海道本線は混雑が激しく、輸送能力が限界を迎えていました。そこで計画されたのが、高速鉄道「新幹線」でした。 1959年4月に建設が始まり、東京オリンピックに合わせて約5年半という短...

縁切寺満徳寺資料館:徳川ゆかりの地の時代を超える「決断」の場所

縁切寺として知られる満徳寺を訪れました。朝は深谷市で渋沢栄一にゆかりのある史跡や、世界遺産にも登録されている田島弥平旧宅を巡り、そこから歩いて満徳寺へと向かいました。このあたり一帯は徳川氏発祥の地でもあり、田島弥平旧宅案内所の学芸員の方にそのことを教えていただいて、地域の歴史にも興味を持ちながら散策していた中で、偶然満徳寺に出会いました。 満徳寺は、江戸時代に縁切寺として多くの女性たちを受け入れてきた寺院です。当時の日本社会では、女性が自分の意思で離縁を求めることは非常に難しく、法律や慣習により多くの制約がありました。満徳寺はそんな女性たちの「最後の駆け込み寺」として、夫との離縁を願う妻たちを受け入れ、一定期間の庇護のもとで離縁成立の手続きをサポートしていました。 資料館では、離縁の手続きや当時の社会背景についての解説映像や、貴重な史料の展示を見ることができます。実際に駆け込んだ女性たちがどのような思いで寺を訪れたのか、また縁切寺がどれほど社会的に重要な役割を果たしていたのかが丁寧に紹介されていました。現代の目で見ると「縁切り」と聞くとマイナスイメージもありますが、女性の人権が認められていなかった時代にとっては、満徳寺の存在は一筋の光だったのだと感じます。 現在の満徳寺の敷地には、当時の姿を伝える本堂などの建物が復元されており、発掘調査によって明らかになった跡地や史料も整備されています。歴史を感じながら、静かな境内を歩くと、ここがかつて多くの女性たちの人生の分岐点であったことを思わずにはいられませんでした。 旅の途中でふと立ち寄った満徳寺でしたが、時代を超えて受け継がれてきた女性たちの切実な思いと、社会の変化を肌で感じる貴重な時間となりました。 旅程 (略) ↓(徒歩) 日本基督教団島村教会 ↓(徒歩) 田島弥平旧宅 ↓(徒歩)  縁切寺満徳寺資料館 ↓(徒歩) 世良田東照宮 ↓(徒歩) (略) 関連イベント 周辺のスポット 伝新田義重夫妻之墓 地域の名物 関連スポット 東慶寺(鎌倉):縁切寺の一つ リンク 縁切寺満徳寺遺跡 - 太田市ホームページ(文化財課) 縁切寺満徳寺資料館 | 太田市観光物産協会 縁切寺満徳寺資料館 | スポット一覧 | 心にググっと観光ぐんま 縁切寺 満徳寺 群馬県指定史跡(太田市) | 群馬県の観光スポット・旅行・温泉・地域情報[...

田島弥平旧宅:蚕都の原点、日本の近代化を支えた養蚕農家の知恵と工夫

世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」を構成する4つのうちの一つだが、一般的には富岡製糸場しか知られていません。 田島弥平 さんのこともほとんどの人に知られていません。 田島弥平さんは明治15年(1882年)ごろに蚕の卵の輸出で財を築き活躍され、養蚕業がさかんな時代に卵の品種改良したり自分で海外に売りに行かれたりしました。 ガイドさんが言うには、後の孫さん、松下幸之助さんのような起業家。しかし現在ではほとんど知られていません。孫さんやスティーブ・ジョブズも100年、200年後には忘れられてしまうのでしょうか。 近くに元小学校を利用した田島弥平旧宅案内所があり、さらに詳しい説明を聞いたり資料を見ることができます。 2階にはたくさんの資料が保存されていて、日々研究が進んでいるそうです。 学校の校章もまゆや蚕の葉でデザインされおり、この地で養蚕業がとても大切な産業であったことも説明いただきました。 この日は埼玉県側の深谷駅から歩いてきましたが、途中で出会う町の方々がほんとうに親切で、道中に気軽に話しかけられたり、他の観光スポットについて丁寧に教えてくれたり、昼食で入ったところは急遽席を作ってくれたりと、将来はこういうところで観光案内などをしながら老後をゆっくり過ごすのも良いなと思いました。 旅程 (略) ↓(徒歩) 日本基督教団島村教会 ↓(徒歩) 田島弥平旧宅 ↓(徒歩)  縁切寺満徳寺資料館 ↓(徒歩) 世良田東照宮 ↓(徒歩) (略) 周辺のスポット 旧渋沢邸「中の家(なかんち)」 渋沢栄一記念館 地域の名物 煮ぼうとう : ほうとうと似ているけどこちらは醤油ベース 関連スポット 富岡製糸場 高山社跡 荒船風穴 リンク 田島弥平旧宅/伊勢崎市

心蓮社:遠州流の美にひたる隠れた書院庭園

金沢百万石まつりの日に、朝からいくつかの寺社を巡った後、心蓮社を訪れました。金沢の中でも、あまり観光客で賑わう場所ではない心蓮社は、静かで落ち着いた雰囲気が漂っています。 心蓮社の庭園は、金沢市の名勝にも指定されており、遠州流庭園の「めでた造り」と呼ばれる築山池泉式の書院庭園です。遠州流といえば、江戸時代初期に小堀遠州が確立した庭園様式で、調和や祝意を込めた造りが特徴とされています。ただ、心蓮社の庭は想像よりもこぢんまりとしており、訪れた際は池も見当たらず、庭の全容を楽しむことができませんでした。 後から調べてみると、名勝に指定されているのは裏庭であり、一般の通路からは案内がなく、たどり着くのが難しい場所だったようです。せっかく訪れたのに、肝心の裏庭を見ることができなかったのは残念でしたが、次回金沢を訪れる際には、ぜひ裏庭にも足を運びたいと思います。 金沢の寺社巡りは、有名な場所だけでなく、こうしたひっそりと佇む歴史ある庭園を持つ寺院にも、新たな発見があります。心蓮社は、その静かな美しさと、少しだけ“探す楽しみ”を残してくれる場所でした。 旅程 (略) ↓(徒歩) 月心寺 ↓(徒歩) 心蓮社 ↓(徒歩) 金沢百万石まつり ↓(徒歩) (略) 関連イベント 周辺のスポット 月心寺 全性寺 地域の名物 関連スポット リンク 心蓮社|観光・体験|【公式】金沢の観光・旅行情報サイト|金沢旅物語 心蓮社庭園/金沢市公式ホームページ いいね金沢 心蓮社(しんれんしゃ) | 金沢 寺社仏閣めぐり 心蓮社と桜 | 金沢観光推進委員会