千葉市埋蔵文化財調査センターの特別展「貝と人」を見れたので、貝塚の特別史跡の加曽利貝塚(かそりかいづか)に行くことにしました。
加曽利貝塚は、千葉県千葉市若葉区に位置する、日本最大級の縄文時代の貝塚です。この遺跡は、約7000年前から3000年前にかけての縄文時代中期から後期に形成されたもので、特にその規模の大きさと保存状態の良さから、2017年(平成29年)に国の特別史跡に指定されました。縄文時代の暮らしや文化を知るうえで、非常に貴重な場所となっています。
加曽利貝塚の大きな特徴の一つは、二つの環状貝塚「北貝塚」と「南貝塚」が存在することです。環状貝塚とは、貝殻が円を描くように積み上げられたもので、当時の人々の集落跡として考えられています。北貝塚は直径約140mのドーナツ型で、南貝塚は長径約190mの馬蹄型(ばていがた。馬のひづめの形)で、日本最大級の大きさです。貝殻のほかにも、魚や動物の骨、土器、石器、装身具など、多くの遺物が出土しており、これらは当時の生活様式や食文化、さらには信仰や社会構造を探る手がかりとなっています。
特に加曽利貝塚からは、イボキサゴ、ハマグリやアサリなどの貝が多く見つかっています。これらの貝類は、海や川から得られたものであり、縄文人たちが自然の豊かな食資源を上手に活用していたことがうかがえます。また、出土した土器や石器も、独自のデザインや技術が施されており、縄文文化の豊かさを実感できます。
加曽利貝塚を訪れる際には、併設されている「加曽利貝塚博物館」も見逃せません。この博物館では、貝塚から出土した数々の遺物が展示されているほか、縄文時代の生活を再現した展示も楽しめます。実際に土器作りや火おこし体験ができるワークショップも開催されており、大人から子どもまで、体験を通じて学べる貴重な機会となっています。
また、野外展示エリアには、縄文時代の住居である「竪穴住居」を復元したスペースがあります。当時の人々がどのような空間で暮らしていたのか、実際に目で見て体感することで、より深く歴史に触れることができます。定期的に行われる体験プログラムも人気で、地域の歴史や文化を楽しく学べるイベントとなっています。
加曽利貝塚へのアクセスは、千葉都市モノレールの「桜木駅」から徒歩で約15分ほどです。車で訪れる場合も、駐車場が完備されているので安心です。また、千葉市内にあるシェアサイクルも利用できます。訪問を計画されている方は、開館時間やイベント情報を事前にチェックしておくと良いでしょう。
加曽利貝塚は、単なる歴史遺産ではなく、私たちに縄文時代の人々の知恵や暮らし、自然との共生のあり方を教えてくれる場所です。千葉を訪れた際には、ぜひ足を運んで、古代の息吹を感じてみてください。
縄文土器の型式
縄文土器の型式は、縄文時代(約13,000年前〜約2,300年前)の日本で使われていた土器の種類を分類したもので、時代や地域ごとにさまざまな特徴があります。縄文土器は、主に以下のような型式に分類されます。
1. 草創期(約13,000年前〜約10,000年前)
- 隆起線文土器(りゅうきせんもんどき): 土器表面に粘土のひもを貼り付けて文様を作ったもの
- 爪形文土器(つめがたもんどき): 指や爪で押した跡を文様としたシンプルなデザイン
2. 早期(約10,000年前〜約7,000年前)
- 尖底土器(せんていどき): 底が尖っており、地面に刺したり、吊るしたりして使用
- 隆帯文土器(りゅうたいもんどき): 縄文や粘土紐で帯状の装飾を施したもの
- 押型文土器(おうけいもんどき): 木の枝や貝殻などで押して文様をつけた土器
3. 前期(約7,000年前〜約5,000年前)
- 火炎型土器(かえんがたどき)(新潟県・信濃川流域で出土): 炎のように立ち上がる複雑な口縁装飾が特徴
4. 中期(約5,000年前〜約4,000年前)
- 勝坂式土器(かつさかしきどき)(関東地方): 縄目文様や複雑な文様を特徴とする
- 加曽利E式土器(かそりイーしきどき): 大型の深鉢(ふかばち)が主体
5. 後期(約4,000年前〜約3,000年前)
- 加曽利B式土器(かそりビーしきどき):小型の深鉢、壺、注口土器(ちゅうこうどき)など多様化
- 称名寺式土器(しょうみょうじしきどき):口縁(こうえん)がやや外反し胴部にくびれを持つ深鉢
- 堀之内式土器(ほりのうちしきどき):大小の深鉢
6. 晩期(約3,000年前〜約2,300年前)
- 亀ヶ岡式土器(かめがおかしきどき): 北海道から東北地方で多く出土し、洗練された文様と形状が特徴
竪穴住居
縄文時代の人々の暮らしを語るうえで欠かせないのが、竪穴住居です。現代の住宅とは大きく異なるその姿は、私たちに太古の知恵と工夫を静かに伝えています。
縄文時代はおよそ1万3千年前から2,300年前まで続いた、非常に長い時代です。この時代の日本列島では、狩猟や採集、漁労を中心としながらも、徐々に定住生活が広がっていきました。そのなかで人々が選んだ住まいが、竪穴住居でした。
竪穴住居は、まず地面を丸や楕円、四角に掘り下げることから始まります。深さはおよそ30センチから1メートルほど。直径も3メートルから6メートルと、家族が生活するには十分な広さです。中央には炉があり、ここで火を焚いて料理をしたり、寒い時期には暖をとったりしていました。
屋根は周囲に立てた柱に木の枝や草、葦などを組み合わせて作られていました。外側は土や草で覆い、雨や風をしのぎます。屋根のてっぺんには煙を逃がすための小さな穴があけられることもありました。地面を掘り下げることで、夏は涼しく、冬は暖かく過ごせるという利点もありました。
また、集落には数十棟、時には百棟を超える竪穴住居が並び、家族ごとに暮らしていました。青森県の三内丸山遺跡や長野県の尖石遺跡などでは、当時の集落の規模や暮らしぶりを今も知ることができます。
このような竪穴住居の構造や配置からは、自然の素材をうまく活かし、家族や地域のつながりを大切にしていた縄文人の姿が浮かび上がってきます。現代のような便利さはありませんが、自然の中で安心して過ごすための知恵がつまった住まいだったのだと感じます。
今でも全国各地の遺跡で復元された竪穴住居を見ることができ、当時の人々の生活を身近に感じることができます。縄文時代の竪穴住居は、遥かな昔から続く日本人の住まいへの工夫や、自然と調和して生きる知恵を静かに伝えてくれます。
旅程
都内
↓(京成線)
学園前
↓(徒歩)
↓(徒歩)
学園前
↓(京成線/千葉モノレール)
桜木駅
↓(徒歩)
↓(徒歩 約1時間)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
千葉駅
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