夢の島の緑の中に現れた第五福竜丸展示館に入ると、建物の芯をなすように巨大な船体が横たわっています。最初はそれがあまりに大きく、ただの壁のように見えてしまいましたが、足元のフロアに近い位置にスクリューがあり、そこでようやく私は、これが海を走っていた船なのだと実感しました。船は、海の記憶をそのまま抱えてここに収まっているのだと思うと、言葉が自然と少なくなります。
見学の順路は、ガラス瓶に入った白い粉末から始まりました。「死の灰」。説明パネルには、ビキニ環礁で行われた水爆ブラボー実験が想定を超える威力で、サンゴの砂や海水を巻き上げて降り注いだことが記されていました。瓶の中で静かに沈む灰は、ただの粉に見えます。けれど、その無機質な白さが、目に見えない放射能の重さや、突然日常を奪われた人びとの時間を、逆に鮮やかに立ち上がらせるように感じました。
船と乗組員たちに何が起きたのかを追う展示は、淡々としているからこそ胸に迫ります。甲板に降り積もった灰、皮膚の異変や体調不良、そして無線長・久保山愛吉さんの死。記録の一つひとつは、悲劇を語る言葉よりも静かですが、だからこそ現実の重力を失いません。「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉に出会うと、展示室の空気がさらにひんやりとし、足取りが自然とゆっくりになりました。
第五福竜丸の被曝は、船の上だけで完結しませんでした。市場に並ぶ魚への不安が広がり、「原子マグロ」という言葉が世の中を渦巻きました。展示は、漁業や流通、消費の現場まで広がった動揺を、新聞の見出しや検査体制の資料で静かに伝えています。数字や図表の向こう側で、食卓に座る家族の姿が目に浮かびました。食べることの安心が揺らぐとき、社会の平静もまた揺らぐのだと改めて思います。
この館が印象的なのは、視線を日本の外へ向ける窓が大きく開かれていることでした。マーシャル諸島の人々が受けた影響、故郷を離れざるを得なかった暮らし、長期にわたる健康不安――地図や写真、証言が並び、海を隔てた遠い出来事が、同じ時間の上にある現実として迫ってきます。核実験の被害は国境を持たないことを、展示は穏やかな筆致で示していました。
さらに、壁の一隅では「ラッセル・アインシュタイン宣言」が紹介され、科学者たちの言葉が時代を越えてこちらを見つめていました。核兵器がもたらす問いは、技術の進歩そのものへの問いかけでもあります。日本で広がった核実験反対運動のポスターや署名の記録と並べて見ると、市民の声と学術界の警鐘が、別々の場所から同じ方向を指し示していたことがよく分かりました。
興味深かったのは、被曝後の船の「その後」を丁寧に追っている点です。除染や調査、別の用途として使われた時期、そして解体の瀬戸際から保存へと至る過程までが、関わった人々の手紙や写真でたどられていました。海で働く道具だった船が、やがて「記憶を運ぶ器」へと役割を変えていく。その転換の背景に、市民の粘り強い働きかけがあったことを知ると、いま私がこの船の前に立てていること自体が、一つの成果なのだと感じます。
最後にもう一度、スクリューの前に立ちました。金属の冷たさと、船体の木の肌理が、ここに確かにあった「仕事」と「生活」を教えてくれます。第五福竜丸展示館は、過去の出来事を悼む場所であると同時に、いま生きる私たちに判断を委ねる場所でもありました。小さな瓶の中の白い灰から、巨大な船体の沈黙まで、スケールの異なるものが一つの物語に編み込まれ、その物語の先をどう紡ぐのかが、静かに問われています。館を出るとき、海風のない夢の島の空気が少しだけ塩っぽく感じられたのは、私の想像のせいだけではないのかもしれません。
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第五福竜丸展示館
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