浅草寺をお参りした帰り道、境内の喧噪がふっと途切れる角に、小ぶりで凛とした社殿が立っているのに気が付きました。浅草神社(あさくさじんじゃ)です。コロナ禍のさなかで人影の少ない午後、雷門から続くにぎわいを背に鳥居をくぐると、空気の密度が変わったように静けさが降りてきました。浅草寺の朱と賑わいに対して、こちらは落ち着いた朱色の色合いと陰影が印象的で、規模こそ大きくはありませんが、木鼻や軒まわりの細工に職人の呼吸が宿り、目を近づけるほど発見のある美しい社殿でした。
祀られているのは「三社様」と親しまれる三人、隅田川で観音像を引き上げた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(ひのくまのたけなり)の兄弟と、その像を浅草で祀ることを勧めた土師真中知(はじのまなかち)です。628年(推古天皇36年)に始まるこの縁起は浅草寺の創建へとつながり、寺の成立に深く関わった人びとを神として祀るという、日本の宗教文化の特徴をよく物語っています。神道と仏教が長く影響し合い、重なり合ってきた「神仏習合」の記憶が、寺と社が並び立つこの配置に今も息づいているのだと実感しました。明治期の神仏分離で制度上は切り分けられましたが、浅草では日常の動線の中に両者が自然に共存し、街の信仰の層の厚さを感じさせます。
現在の社殿は江戸初期の1649年、三代将軍・徳川家光の命で造営されたものと伝わります。戦災をくぐり抜けて当時の姿を保った数少ない建物で、重要文化財にも指定されています。浅草寺本堂が近代に再建されたのに対し、浅草神社の社殿には江戸の空気がそのまま閉じ込められているようで、軒の反りや斗栱の組み方に、時代の美意識と技術の確かさを読み取ることができました。観光地の中心でありながら、歴史の厚みを静かにたたえる場所です。
例年5月の三社祭には、町々の神輿が威勢よく練り歩き、浅草一帯が熱を帯びます。私が訪れた日は、境内にその喧騒の記憶だけが残っているようで、控えめな鈴の音と砂利を踏む足音だけが耳に届きました。人の少ない社前で手を合わせていると、創建の伝承から江戸の繁栄、震災や戦災を経て現在に至るまで、この土地に寄せられてきた祈りの層が、静かに背中を押してくれるようでした。
浅草寺の大伽藍で「観る」感覚が満たされた後、浅草神社では「聴く」ように時を過ごしました。寺と社が隣り合い、互いの由緒が重なり合う浅草は、単なる観光名所ではなく、日本の宗教文化の成り立ちを歩きながら体感できる教科書のような場所です。華やぎと静けさ、仏と神、賑わいと祈り。その対比のなかに、浅草が長く愛されてきた理由が凝縮されていると感じました。
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