新宿区の高台に鎮座する穴八幡宮(あなはちまんぐう)にお参りしました。正面の大鳥居をくぐると、まず目に飛び込んでくるのは鮮烈な朱の隋神門です。軒の組物まで丹塗りが映え、石段を上がるほどに境内の空気が澄んでいくのを感じました。門を抜けると正面に黒塗りの拝殿が構え、落ち着いた艶のある黒と白木の対比が、静かな威厳を漂わせています。ここで一礼し、ゆっくりと参拝を済ませました。隋神門は江戸後期の建立で、戦災後に再建されたものだそうで、鮮やかな色合いの背景にそんな歴史も重なって見えます。
由緒に触れておくと、この神社は康平五年(1062)に源義家が凱旋の折、兜と太刀を納めて八幡神を祀ったのがはじまりと伝わります。のちに南側の山裾を切り開いた際、横穴から御神像が現れたという出来事にちなみ「穴八幡宮」と称されるようになりました。江戸時代には徳川家光の耳にも達し、江戸城北の総鎮護として崇敬を受け、将軍家ゆかりの行事として流鏑馬も奉納されています。境内に立つと、早稲田の街中でありながら、こうした歴史の層が静かに息づいているのを感じます。
拝殿脇を巡ると、鼓楼が目を引きました。上部の朱と下部の黒がきりりと締まり、太鼓を納める楼らしい端正さがあります。例大祭や大晦日に太鼓が鳴ると聞くと、杉木立にひびく音を想像してみたくなります。
さらに境内奥には「神武天皇陵遥拝所」の石碑が立ち、遠く奈良の橿原にある御陵へ心を向けるための場として静かに据えられていました。都市の真ん中で、大和へと視線が伸びる不思議な感覚を味わいます。
この神社といえば、冬至から節分のあいだだけ授与される「一陽来復」の御守もよく知られています。復活と転機を象徴する言葉になぞらえ、家々の恵方に貼って祀る独特の作法が受け継がれてきました。金銀融通の御守とも呼ばれ、季節が巡る時節の信仰を今に伝えています。
参拝後は隋神門を振り返り、朱と黒の濃淡のなかに江戸と近現代の記憶が重なる姿をしばし眺めました。門前の喧騒から一段上がっただけで、時間の速度が変わる——そんな感覚を与えてくれる場所でした。
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