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10月, 2024の投稿を表示しています

旧堀田邸:佐倉の丘に残る伯爵家のたたずまい

成田山新勝寺を参拝した後、思ったより時間が余っていたので、前回佐倉に来たときに行けなかった旧堀田邸(きゅうほったてい)に寄ることにしました。 旧堀田邸は、千葉県佐倉市に位置する歴史的建造物で、旧佐倉藩主・堀田正倫(ほった まさとも)伯爵が1890年(明治23年)に建築した邸宅です。 堀田正倫は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した大名であり、下総国佐倉藩の第6代(最後の)藩主です。 彼は幕末の老中であった堀田正睦(ほった まさよし)の四男として生まれ、1859年に父の失脚に伴い家督を継ぎました。  1868年の鳥羽・伏見の戦い後、徳川慶喜に対する討伐令が下ると、正倫は上洛して慶喜の助命と徳川宗家の存続を嘆願しましたが、新政府から拒絶され、京都に軟禁されました。 その後、佐倉藩は家老の平野縫殿が新政府軍に与して大多喜藩に出兵したため、改易を免れました。 明治維新後、正倫は知藩事となり、廃藩置県後は東京に移住しました。  1884年には伯爵に叙され、佐倉に戻って私立の農事試験場設立や佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)の維持発展に寄与するなど、地域の発展に尽力しました。  1911年に61歳で死去し、墓所は千葉県佐倉市新町の甚大寺にあります。  旧堀田邸は、明治時代の旧大名家の純和風住宅として貴重な存在で、玄関棟、座敷棟、居間棟、書斎棟、湯殿、土蔵、門番所の7棟から構成されており、これらが「旧堀田家住宅」として2006年(平成18年)に国の重要文化財に指定されました。  また、庭園は「旧堀田正倫庭園」として2015年に国の名勝に指定され、地元では「さくら庭園」として親しまれています。 庭園は、前田家の庭師であった伊藤彦右衛門(珍珠園)によって作庭され、四季折々の風情を楽しむことができます。  特に春にはソメイヨシノやオオシマザクラが咲き誇り、多くの訪問者を魅了しています。  旧堀田邸は、映画やドラマの撮影地としても利用されており、歴史的な雰囲気を持つ建物と美しい庭園が、多くの作品で活用されています。 旅程 東京 ↓(鉄道/モノレール) 千城台駅 ↓(徒歩) DIC川村記念美術館 ↓(バス) 佐倉駅 ↓(鉄道) 成田駅 ↓(徒歩) 成田山新勝寺 ↓(徒歩) 成田山書道美術館 ↓(徒歩) 成田駅 ↓...

成田山書道美術館

成田山公園内を探索していたところ、成田山書道美術館があったので入ってみました。 成田山書道美術館は、1992年(平成4年)に開館した書道専門の美術館で、成田山新勝寺の背後に広がる成田山公園内に位置しています。  館内には、江戸時代から現代に至る日本や中国の書作品を中心に、約6,000点以上の収蔵品があり、特に近現代の名品が充実しています。  美術館は、1階と2階に展示室を備え、吹き抜けの中央ホールでは高さ約13メートルの「紀泰山銘(きたいざんめい)」の原拓(石碑から直接写し取ったもの)を鑑賞できます。 巨大な拓本は壮観なもので、書道史や古代中国文化に興味を持つ人にとって非常に貴重な体験となります。 紀泰山銘は、後漢時代(25年~220年)に泰山を訪れた皇帝が行った封禅(神に対する儀式)について記録された碑文です。封禅は、古代中国における天命の確認と感謝の儀式であり、特に泰山はその中心的な舞台となっていました。中国の古代における重要な碑文であり、書道史や歴史的価値が高い作品として知られています。この碑文は、後漢時代の中国で制作されたもので、泰山(現在の山東省泰安市)に刻まれた歴史的記録です。 紀泰山銘の書風は、篆書(てんしょ)と隷書(れいしょ)の特徴を併せ持つ、非常に美しい書法で知られています。 紀泰山銘の原石そのものは風化や損傷が進んでいますが、拓本(石碑を紙に写し取ったもの)として保存され、世界各地の美術館や書道関連施設で鑑賞可能です。 展示されている書物や資料も貴重なものが多く、シャンデリアも筆を模したものになっており、書道に興味のある方には良い時間を過ごせる美術館です。 また、ミュージアムショップでは書道用具や関連書籍、和風グッズなどを取り揃えています。 成田山書道美術館は、成田山公園の豊かな自然と調和した環境で、書道の魅力を存分に堪能できる美術館です。 旅程 東京 ↓(鉄道/モノレール) 千城台駅 ↓(徒歩) DIC川村記念美術館 ↓(バス) 佐倉駅 ↓(鉄道) 成田駅 ↓(徒歩) 成田山新勝寺 ↓(徒歩) 成田山書道美術館 ↓(徒歩) 成田駅 ↓(鉄道) 佐倉駅 ↓(徒歩) 旧堀田邸 ↓(徒歩) 佐倉駅 ↓(鉄道) 東京 関連イベント 周辺のスポット 成田山新勝寺/成田山公園 地域の名物 関連スポット リンク 成田山書道美術館 ...

成田山新勝寺/成田山公園

成田山新勝寺(なりたさん しんしょうじ)に参詣するため佐倉駅からJRで成田駅まで移動しました。 成田駅から成田山表参道を上っていくと、途中で猿芸をやってました。猿の芸もすばらしかったですが、関西の芸人でしょうか、しゃべりも面白かったです。 成田山新勝寺は、千葉県成田市にある真言宗智山派の寺院です。平安時代の940年に、関東で起きた平将門の乱の平定を祈願するために創建されました。朱雀天皇の命により、寛朝(かんちょう/かんじょう)大僧正が、不動明王の像を安置して平和を祈るために建てたと言われています。その後、千年以上にわたり関東一円の人々から篤い信仰を集めてきました。新勝寺は、特に不動明王を本尊として祀り、多くの参拝者が「成田不動」として親しみを込めて呼んでいます。 新勝寺は広大な敷地を持ち、多くの堂宇や塔が点在しています。 総門(そうもん)は2006年(平成18年)に建てられた、比較的新しい建物です。 仁王門(におうもん)は、国の重要文化財で、1830年(天保元年)の建立です。 大本堂(だいほんどう)は、新勝寺の中心であり、参拝の場となっています。ここでは護摩祈祷が行われ、不動明王のご利益を授かることができます。1968年(昭和43年)建立です。 三重塔(さんじゅうのとう)は、国の重要文化財です。1712年(正徳2年)に建立され、1757年(宝暦7年)、1801年(享和元年)、1858年(安政5年)に大修理が行われています。 聖徳太子堂(しょうとくたいしどう)は、1992年(平成4年)に建立されました。堂内には、大山忠作画伯の壁画が6面に描かれています。 一切経堂(いっさいきょうどう)は、1722年(享保7年)に建立されました。一切経蔵とも呼ばれています。入口上部の額は白河楽翁(しらかわがくおう、松平定信(まつだいら さだのぶ))の筆によるものです。 鐘楼(しょうろう)は、1701年(元禄14年)に照範上人によって建立されました。梵鐘(ぼんしょう)は香取正彦の設計です。 額堂(がくどう)は、国の重要文化財です。1861年(文久元年)に2番目の額堂(第二額堂)として建立されました。 額堂の中には7代目市川團十郎の石像があります。 光明堂(こうみょうどう)は、重要文化財に指定されている建物で、美しい欄間彫刻が特徴です。1701年(元禄14年)建立です。 光明堂の後ろに奥之...

DIC川村記念美術館 / 西川勝人 静寂の響き

DIC川村記念美術館(ディーアイシーわむらきねんびじゅつかん)が、来年1月に閉館になるということで行ってきました。 1月閉館のアナウンスの後、来場者が急増したため、閉館は3月に延期になりました。また、午後に行った旧堀田邸(きゅうほったてい)の受付の方が言うには、地元でも残念に思っている方が多いらしく存続のための署名運動があったそうです。 DIC川村記念美術館へのアクセスは、JR佐倉駅や京成佐倉駅との間に無料のバスがあり、また東京からは直行の高速バス(有料)があります。他の観光スポットから離れていますが、これらを利用すると割と気軽に行ける場所です。 僕はウォーキングも兼ねているので、敢えて千城台駅(ちしろだいえき)までモノレールで行き、そこから歩きました。旅行をしているとときどきモノレールに出会うことがありますが、大人になってもなぜかテンションがあがりますね。 千城台駅からの徒歩は約1時間ぐらいで、途中にガストがあったので朝食をとりつつ休憩しました。ガストまでは割と町だったのですが、急に田舎道になり、気温が20度強だったのもあり、気持ちよく歩けました。 DIC川村記念美術館に着くと入る前から作品が展示されており、かなりの広さに見えました。入口にあるのが、飯田善國(いいだ よしくに)の「動くコスモス」。動きます。 彫刻家の佐藤忠良(さとう ちゅうりょう)の「緑」。 敷地内に入って、しばらく歩くと美術館につきます。 美術館前にあるのが、アメリカの彫刻家フランク・ステラの「リュネヴィル」。 DIC川村記念美術館は、千葉県佐倉市にある美術館で、DIC株式会社(旧・大日本インキ化学工業株式会社)の創業家である川村家によって設立されました。1990年に開館し、印刷インキや顔料などを扱う企業としての背景を活かし、色彩や素材の美に注目したコレクションが特徴です。 館内には、ルノワール、ピカソ、モネ、ウォーホルなど西洋の名画から、現代日本画や東洋の美術品まで、多岐にわたる作品が展示されています。 美術館の代表作のひとつが、印象派を代表するクロード・モネの「睡蓮」です。庭園の池や水辺の風景と合わせて鑑賞すると、作品の雰囲気がより引き立ち、特に水と自然の美しさが感じられるでしょう。 静謐で深みのある色彩の表現が特徴の現代アーティスト、マーク・ロスコの「シーグラム壁画」は、特別に設計された空...

東京国立博物館: 特別展「はにわ」 / JRA70周年特別展示~世界一までの蹄跡~ / 博物館でアジアの旅 アジアのおしゃれ

 月曜に行った東京国立近代美術館の「ハニワと土偶の近代」に続き、東京国立博物館の特別展「はにわ」に行ってきました。 国宝の金象嵌銘大刀(きんぞうがんめいたち)。古墳時代の4世紀のものです。刀身部分は2世紀の中国の後漢時代。奈良県東大寺山古墳出土。 3点とも国宝の衝角付冑(しょうかくつきかぶと)、頸甲(あかべよろい)、横矧板鋲留短甲(よこはぎいたびょうどめたんこう)。古墳時代の5~6世紀のものです。熊本県江田船山古墳出土。 重要文化財の円筒埴輪(えんとうはにわ)。古墳時代の4世紀、奈良県のメスリ山古墳出土。 重要文化財の天冠をつけた男子(てんかんをつけただんし)。古墳時代6世紀、福島県神谷作101号墳出土。 重要文化財の船形埴輪。 重要文化財の「旗を立てた馬型埴輪」。埼玉県酒巻14号出土。6世紀。 重要文化財の武装石人。福岡県鶴見山古墳出土。古墳時代6世紀。 5体の「挂甲の武人(けいこうのぶじん)」の埴輪。同じ工房で造られた可能性もあるそうです。1つ目は、国宝。群馬県太田市飯塚町出土、古墳時代6世紀。埴輪としては最初の国宝。バンク・オブ・アメリカの支援で修復されたそうです。 2体目は、重要文化財。群馬県太田市成塚町出土、古墳時代6世紀。考古学者の相川之賀(あいかわしが)が収集しました。 3体目は、国宝でも重要文化財でもありません。群馬県伊勢崎市出土、古墳時代6世紀。 4体目は、重要文化財。群馬県太田市世良田町出土、古墳時代6世紀。5体の中で一番新しい。 最後は、国宝でも重要文化財でもありません。群馬県太田市出土、古墳時代6世紀。普段はアメリカのシアトル美術館に収蔵されています。今回63年ぶりの帰国だそうです。我々にとっては63年はほぼ一生ですが、埴輪にとってはついこの間のことでしょうね。 1体目の挂甲の武人の埴輪には、白色、赤色、灰色の3色の彩色が残っています。色を再現した複製も展示されていました。 重要文化財の「ひざまずく男子」。群馬県の塚廻り4号墳と茨城県桜川市の出土、古墳時代6世紀。土下座、おじぎは昔からの文化なんですね。 重要文化財の「家形埴輪」。奈良県桜井市出土、古墳時代5世紀。家形の埴輪があるということは400年代にはこういった家が建てられていたのでしょうか。 重要文化財の「家形埴輪」。大阪府美園古墳(みそのこふん)出土。古墳時代4世紀。こちらは2...