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成田山新勝寺/成田山公園

成田山新勝寺(なりたさん しんしょうじ)に参詣するため佐倉駅からJRで成田駅まで移動しました。

成田駅から成田山表参道を上っていくと、途中で猿芸をやってました。猿の芸もすばらしかったですが、関西の芸人でしょうか、しゃべりも面白かったです。

成田山新勝寺は、千葉県成田市にある真言宗智山派の寺院です。平安時代の940年に、関東で起きた平将門の乱の平定を祈願するために創建されました。朱雀天皇の命により、寛朝(かんちょう/かんじょう)大僧正が、不動明王の像を安置して平和を祈るために建てたと言われています。その後、千年以上にわたり関東一円の人々から篤い信仰を集めてきました。新勝寺は、特に不動明王を本尊として祀り、多くの参拝者が「成田不動」として親しみを込めて呼んでいます。

新勝寺は広大な敷地を持ち、多くの堂宇や塔が点在しています。

総門(そうもん)は2006年(平成18年)に建てられた、比較的新しい建物です。

仁王門(におうもん)は、国の重要文化財で、1830年(天保元年)の建立です。

大本堂(だいほんどう)は、新勝寺の中心であり、参拝の場となっています。ここでは護摩祈祷が行われ、不動明王のご利益を授かることができます。1968年(昭和43年)建立です。

三重塔(さんじゅうのとう)は、国の重要文化財です。1712年(正徳2年)に建立され、1757年(宝暦7年)、1801年(享和元年)、1858年(安政5年)に大修理が行われています。

聖徳太子堂(しょうとくたいしどう)は、1992年(平成4年)に建立されました。堂内には、大山忠作画伯の壁画が6面に描かれています。

一切経堂(いっさいきょうどう)は、1722年(享保7年)に建立されました。一切経蔵とも呼ばれています。入口上部の額は白河楽翁(しらかわがくおう、松平定信(まつだいら さだのぶ))の筆によるものです。

鐘楼(しょうろう)は、1701年(元禄14年)に照範上人によって建立されました。梵鐘(ぼんしょう)は香取正彦の設計です。

額堂(がくどう)は、国の重要文化財です。1861年(文久元年)に2番目の額堂(第二額堂)として建立されました。

額堂の中には7代目市川團十郎の石像があります。

光明堂(こうみょうどう)は、重要文化財に指定されている建物で、美しい欄間彫刻が特徴です。1701年(元禄14年)建立です。

光明堂の後ろに奥之院があり、入口左右の板碑は考古学上貴重なものです。

醫王殿(いおうでん)は、2017年(平成29年)に開基1080年祭記念事業として建立されました。

境内の一番奥にある平和の大塔(へいわのだいとう)は昭和時代の1984年に建立された、平和祈願のための塔です。外観は二重塔ですが、内部は5階建てです。内部には仏像や仏教美術品が展示されています。

平和の大塔の先には広大な成田山公園が広がっています。

成田山公園内にはいくつか句碑などが建てられています。

高浜虚子(たかはま きょし)の句碑。もともと7代目市川團十郎と六世団蔵の銅像がありました。「凄かりし 月の団蔵 七代目」

松尾芭蕉の句碑。1688年(貞享5年)新大仏寺で詠まれた。「丈六に 陽炎高し 石の上」

成田公園散策中に、成田山書道美術館にも寄りました。

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