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DIC川村記念美術館 / 西川勝人 静寂の響き

DIC川村記念美術館(ディーアイシーわむらきねんびじゅつかん)が、来年1月に閉館になるということで行ってきました。

1月閉館のアナウンスの後、来場者が急増したため、閉館は3月に延期になりました。また、午後に行った旧堀田邸(きゅうほったてい)の受付の方が言うには、地元でも残念に思っている方が多いらしく存続のための署名運動があったそうです。


DIC川村記念美術館へのアクセスは、JR佐倉駅や京成佐倉駅との間に無料のバスがあり、また東京からは直行の高速バス(有料)があります。他の観光スポットから離れていますが、これらを利用すると割と気軽に行ける場所です。

僕はウォーキングも兼ねているので、敢えて千城台駅(ちしろだいえき)までモノレールで行き、そこから歩きました。旅行をしているとときどきモノレールに出会うことがありますが、大人になってもなぜかテンションがあがりますね。

千城台駅からの徒歩は約1時間ぐらいで、途中にガストがあったので朝食をとりつつ休憩しました。ガストまでは割と町だったのですが、急に田舎道になり、気温が20度強だったのもあり、気持ちよく歩けました。

DIC川村記念美術館に着くと入る前から作品が展示されており、かなりの広さに見えました。入口にあるのが、飯田善國(いいだ よしくに)の「動くコスモス」。動きます。

彫刻家の佐藤忠良(さとう ちゅうりょう)の「緑」。

敷地内に入って、しばらく歩くと美術館につきます。

美術館前にあるのが、アメリカの彫刻家フランク・ステラの「リュネヴィル」。

DIC川村記念美術館は、千葉県佐倉市にある美術館で、DIC株式会社(旧・大日本インキ化学工業株式会社)の創業家である川村家によって設立されました。1990年に開館し、印刷インキや顔料などを扱う企業としての背景を活かし、色彩や素材の美に注目したコレクションが特徴です。

館内には、ルノワール、ピカソ、モネ、ウォーホルなど西洋の名画から、現代日本画や東洋の美術品まで、多岐にわたる作品が展示されています。

美術館の代表作のひとつが、印象派を代表するクロード・モネの「睡蓮」です。庭園の池や水辺の風景と合わせて鑑賞すると、作品の雰囲気がより引き立ち、特に水と自然の美しさが感じられるでしょう。

静謐で深みのある色彩の表現が特徴の現代アーティスト、マーク・ロスコの「シーグラム壁画」は、特別に設計された空間で展示されています。この作品は観る人の心に深い印象を残し、瞑想的なひと時を味わえると評判です。


現在は、「西川勝人 静寂の響き」の企画展示が行われています。

西川勝人(にしかわ かつひと、1949年生まれ)は、日本出身の美術家で、主にドイツを拠点に活動しています。彼の作品は、彫刻、絵画、写真、ドローイングなど多岐にわたり、特に光と闇、その間に広がる陰影をテーマとした抽象的なフォルムの白い彫刻で知られています。


広大な敷地内には庭園が整備され、四季折々の自然と美術作品を楽しむことができます。

庭園内には池や散策路があり、作品鑑賞の合間にリラックスできる空間が広がっています。

広場には、ヘンリー・ムーアの「ブロンズの形態」が展示されています。

他には、休憩所なども整備されており、美術館以外の部分は無料で入れるようです。地元の人にとって、ただの美術館では無いことが分かります。閉館は本当に残念です。

庭園も楽しんだ後、バスで佐倉駅に向かうことにし、バスを待つことにしました。バスも美術館らしく絵画が描かれています。

バスは駅との直通で無料です。

旅程

東京

↓(鉄道/モノレール)

千城台駅

↓(徒歩)

DIC川村記念美術館

↓(バス)

佐倉駅

↓(鉄道)

成田駅

↓(徒歩)

成田山新勝寺

↓(徒歩)

成田山書道美術館

↓(徒歩)

成田駅

↓(鉄道)

佐倉駅

↓(徒歩)

旧堀田邸

↓(徒歩)

佐倉駅

↓(鉄道)

東京

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