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12月, 2022の投稿を表示しています

犬吠埼:明治の灯りと地層が語る海辺、レンズ越しに感じた航海の歴史

澄み渡る晴天の下、犬吠埼を訪れました。冬の冷たい空気の中、銚子電鉄に揺られて外川駅に降り立ち、駅の南側から静かな町並みを歩き始めました。朝の早い時間帯だったこともあり、まだ人気の少ない路地を進みながら、漁港の町ならではの風情や潮の香りを楽しみます。 やがて犬吠埼の岬へと辿り着きました。最初に目に入ったのは、海に向かってそそり立つ岩壁と、そこに刻まれた見事な地層です。犬吠埼周辺は地質学的にも興味深く、長い年月をかけて作られた地層が、まるで地球の歴史を静かに語っているかのように見えました。 灯台を目指して岬を歩くと、白亜の犬吠埼灯台が青空に映えて立っていました。 この灯台は1874年(明治7年)にイギリス人技師ブラントンの設計で建てられた、日本を代表する洋式灯台のひとつです。その歴史を思いながら灯台の資料展示館を訪れると、巨大なレンズやかつて使われていた灯火器具が展示されていて、灯台が果たしてきた航路の安全を守る役割の重みを改めて感じました。 灯台の内部は思った以上に狭く、らせん階段は急な傾斜で、登るごとに息が上がります。 それでも、最上階にたどり着いた瞬間、目の前に広がる太平洋と房総の海岸線は、努力が報われるほどの絶景でした。海と空の境界がくっきりと見え、冬の光が波にきらめいていたのを今でも鮮明に思い出します。 灯台を後にした私は、君ヶ浜へと歩を進めました。海岸沿いの道を北上しながら、遠くに見える銚子ポートタワーを目指します。潮風を浴びながら砂浜を歩く時間は、旅の余韻を味わうのにふさわしいひとときでした。 犬吠埼の旅は、歴史ある灯台と大自然の景観、そして静かな町の雰囲気が調和した、心に残る一日となりました。また訪れたくなる場所として、私の中に刻まれています。 旅程 東京 ↓(電車) 銚子駅 ↓( 銚子電鉄 ) 外川駅(とかわえき) ↓(徒歩) (省略...) ↓(徒歩) 地球の丸く見える丘展望館 ↓(徒歩) 補陀洛山満願寺 ↓(徒歩) 犬吠駅 ↓(徒歩) 犬吠埼 ↓(徒歩) 銚子ポートタワー ↓(徒歩) (略) 関連イベント 周辺のスポット 銚子電鉄 犬岩&のぞき岩 千騎ケ岩 地球の丸く見える丘展望館 長九郎(ちょぼくり)稲荷神社 長崎鼻一ノ島照射灯 圓福寺 観音堂 日蓮宗 海上山 妙福寺 銚子セレクト市場 地域の名物 ぬれ煎餅 関連スポット リンク 犬吠埼灯...

補陀洛山満願寺:銚子の丘にたたずむ静寂な祈りの空間

地球の丸く見える丘展望館から犬吠埼に向けて歩いていたところ、途中に大きな寺院が見えたので寄ってきました。 お寺の名前は満願寺で、1976年(昭和51年)に創建された比較的新しいお寺でした。仁王門は非常に大きく立派で、色鮮やかです。 ご本尊は十一面観世音菩薩で、銚子電鉄の観音駅近くの圓福寺の本尊の写しです。金色の本堂の中にあります。 中門を入ると西国、坂東、秩父、四国、諸国霊場の五ヶ所の仏足跡お砂場があります。 身体健全、病気平癒の祈願をこめてお砂踏みできます。 巡礼のお寺なので、本堂以外に188ヵ所(四国・西国・坂東・秩父)満願堂、大師堂、ウスサマ堂、薬師堂等があります。 境内には、6,000本の椿が植えられ、12月末~3月まで花が楽しめます。 旅程 東京 ↓(電車) 銚子駅 ↓( 銚子電鉄 ) 外川駅(とかわえき) ↓(徒歩) (省略...) ↓(徒歩) 地球の丸く見える丘展望館 ↓(徒歩) 補陀洛山満願寺 ↓(徒歩) 犬吠駅 ↓(徒歩) 犬吠埼 ↓(徒歩) 銚子ポートタワー ↓(徒歩) (略) 関連イベント 周辺のスポット 銚子電鉄 犬岩&のぞき岩 千騎ケ岩 地球の丸く見える丘展望館 長九郎(ちょぼくり)稲荷神社 長崎鼻一ノ島照射灯 犬吠埼 圓福寺 観音堂 日蓮宗 海上山 妙福寺 銚子セレクト市場 地域の名物 ぬれ煎餅 関連スポット リンク 巡礼の寺 満願寺 特別霊場 補陀洛山 満願寺 | kanto88 満願寺 | 銚子市観光協会

銚子電鉄:レトロ列車で巡る港町、終着駅で出会うノスタルジー

千葉県の東端の犬吠埼に行くために銚子電鉄に乗りました。 切符は社内で車掌に行先を言って買います。始点の終点の銚子駅から外川駅まで行ったのですが、「とがわえき」かと思ったら、前の人が「とかわえき」と言ってくれたので恥をかかずに済みました。 各駅はレトロな状態を維持されていて、田舎の中を走るのでとてもノスタルジックな感じに浸れます。 外川駅からは、各観光スポットをまわって徒歩で銚子駅まで来ましたが、非常に長い距離だたので冬で良かったです。 ぬれ煎餅の販売で電車の修理代を稼いだという逸話があるそうで、帰りにはぬれ煎餅を買って帰りました。 旅程 東京 ↓(電車) 銚子駅 ↓( 銚子電鉄 ) 外川駅(とかわえき) ↓(徒歩) (省略...) ↓(徒歩) 地球の丸く見える丘展望館 ↓(徒歩) 補陀洛山満願寺 ↓(徒歩) 犬吠駅 ↓(徒歩) 犬吠埼 ↓(徒歩) 銚子ポートタワー ↓(徒歩) (略) 周辺のスポット 犬岩&のぞき岩 千騎ケ岩 地球の丸く見える丘展望館 補陀洛山満願寺 長九郎(ちょぼくり)稲荷神社 長崎鼻一ノ島照射灯 犬吠埼 圓福寺 観音堂 日蓮宗 海上山 妙福寺 銚子セレクト市場 地域の名物 ぬれ煎餅 関連スポット リンク 銚子電気鉄道株式会社 銚子電鉄 | 銚子市観光協会

駿府城跡:家康が愛した城、戦国から江戸へ激動の歴史

午前中に久能山東照宮を参拝し、静岡駅周辺に移動し、かつて駿府城(すんぷじょう)があった駿府城公園に来ました。 駿府城は、静岡県静岡市にある歴史的な城跡で、徳川家康と深い関わりを持つことで知られています。現在は駿府城公園として整備され、市民や観光客が訪れる憩いの場となっています。 戦国時代、この地には今川義元の居城である「今川館」がありました。しかし、1568年(永禄11年)に武田信玄が駿河へ侵攻したことで今川氏は滅亡し、その後、駿府の地は徳川家康の手に渡ります。家康は幼少期を今川氏のもとで過ごしたため、この地には特別な思いがあったことでしょう。 1585年(天正13年)、家康は浜松城から駿府へ移り、城の改修を行いました。しかし、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の命で関東へ移封されると、駿府城は中村一氏(なかむら かずうじ)が城主となります。その後、家康が将軍職を秀忠に譲り、大御所政治を行うために駿府へ戻った1607年(慶長12年)、城は大改修され、壮大な姿へと生まれ変わりました。 駿府城は江戸城に匹敵するほどの規模を誇り、家康の権威を示す象徴でもありました。しかし、1635年(寛永12年)に大火によって焼失し、その後再建されるものの、江戸時代を通じて大きな影響を持つことはありませんでした。明治維新後は廃城となり、旧陸軍の施設が置かれましたが、戦後には駿府城公園として整備され、現在に至ります。 現在の駿府城公園では、復元された東御門や巽櫓を見ることができます。これらの建築物は、当時の姿を再現しており、内部には歴史資料が展示されています。また、1989年(平成元年)には巽櫓が復元され、駿府城の歴史をより身近に感じられるようになりました。 天守台の発掘調査も進められ、巨大な石垣が発見されたことから、かつての壮大な姿を想像することができます。 春には桜が咲き誇り、花見スポットとしても人気があります。広々とした公園内には徳川家康像もあり、歴史を感じながら散策することができます。静岡駅から徒歩圏内でアクセスも良く、静岡観光の際にはぜひ立ち寄りたい場所のひとつです。 駿府城は、家康の人生とともに歩んだ城として、その歴史を今に伝えています。訪れることで、戦国時代から江戸時代にかけての歴史の流れを感じることができるでしょう。 今川仮名目録 今川仮名目録(いまがわかなもくろく)は、戦...

久能山東照宮:石段の先に見える、海と歴史の風景

本日、静岡市にある久能山東照宮を訪れました。雲ひとつない快晴に恵まれ、どこから眺めても景色が澄んでおり、まさに旅日和でした。久能山東照宮は徳川家康を祀る神社で、駿府城で生涯を終えた家康の遺骸が、まずこの地に埋葬されたことから始まります。現在では日光東照宮に改葬されたとされますが、ここ久能山も家康信仰の原点として重要な場所です。 私はまず、日本平からロープウェーに乗って久能山へと向かいました。眼下に広がる駿河湾と、遠くに霞む伊豆半島の連なりが見渡せ、空中散歩のような時間を楽しみました。 山頂に着くと、朱塗りの楼門が出迎えてくれ、その先に続く唐門や神庫、そして拝殿へと進みました。 唐門は極彩色の装飾が見事で、細部まで丁寧に手が加えられており、江戸初期の建築技術と美意識を感じさせてくれます。 参拝を終え、廟門を抜けて家康公の神廟に向かいました。緑に囲まれた静かな空間に建つこの神廟は、厳かな雰囲気を湛え、かつての天下人にふさわしい風格がありました。歴史の中の人物が実際に眠っている場所に立つと、不思議と時間の流れを越えた感覚になります。 参拝後は、敷地内にある久能山東照宮博物館も見学しました。家康ゆかりの甲冑や武具、書状などが展示されており、当時の空気を感じさせる品々に見入ってしまいました。特に家康の遺愛品とされる品々には、彼の趣味や人柄の一端を感じ取ることができました。 予定ではここで再びロープウェーで日本平へ戻るつもりでしたが、時間に少し余裕があったため、ふと思い立って表参道を歩いて下ることにしました。約千段といわれる石段の参道は、かつては家康の遺体を運ぶ際にも使われたという由緒ある道です。最初は体力的に不安もありましたが、緩やかに下る道は思いのほか楽で、途中の海を望む景色が美しく、足取りも軽やかになりました。 無事に久能海岸までたどり着くと、広がる水平線と松林が織りなす風景が広がっており、思わず深呼吸をしました。そして、その景色に後押しされるように、再び表参道を登り直し、久能山東照宮に戻るという贅沢な往復参拝となりました。ふだんはロープウェーに頼りがちですが、こうして自分の足で参道を歩くことで、より深くこの地と向き合えたような気がします。 最後は再びロープウェーに乗り、日本平へと戻りました。1日の終わりに、山上から見下ろす駿河の海と、そこに浮かぶ夕陽が印象的で、静かにこ...

仙台城跡(青葉城址)/ 宮城県護国神社:伊達政宗の魂が宿る天守なき戦国時代の名城

日帰りで宮城県の松島に行くため予定を立てたところ、多少時間があまりそうだったので、先に仙台のスポットをいくつか行くことにし、仙台城跡(せんだいじょうあと)に来ました。急遽予定に入れたため、きちんと調べずに行ったわけですが、3月の福島県沖地震の影響で伊達政宗公騎馬像が壊れており、再建中でした。 仙台市を代表する歴史的なスポットといえば、やはり仙台城です。青葉城の名でも知られ、伊達政宗が築いたこの城は、戦国時代から江戸時代にかけての歴史を感じられる場所として、多くの観光客に親しまれています。 仙台城が築かれたのは1601年(慶長6年)のことです。豊臣秀吉の死後、徳川家康が勢力を強める中で、伊達政宗は新たな拠点を求めて築城を決意しました。選ばれたのは、広瀬川に面し、天然の要害として守りに優れた青葉山でした。城の構造も特徴的で、多くの城に見られる天守閣が設けられなかったことが知られています。その理由については諸説ありますが、一説には幕府に対する配慮からだったともいわれています。 仙台城の本丸は広く、かつては立派な大広間や櫓が建ち並んでいました。しかし、明治時代の廃城令により多くの建物が取り壊され、残っていた建物も第二次世界大戦の空襲によって失われてしまいました。現在では、石垣や門の跡が残るのみですが、仙台城跡は公園として整備され、歴史を感じられる場所となっています。 この城跡を訪れたら、まず目に入るのが伊達政宗の騎馬像です。堂々とした姿で広瀬川を見下ろすこの像は、仙台のシンボルともいえる存在です。また、仙台城見聞館や青葉城本丸会館では、城の歴史や当時の様子を学べる展示があり、より深く仙台城について知ることができます。 本丸跡からは仙台市内を一望できるので、夕方の時間帯に訪れると、美しい景色とともに歴史のロマンを感じることができるでしょう。 仙台城跡には宮城県護国神社も鎮座しています。 仙台駅からのアクセスも便利で、観光バス「るーぷる仙台」を利用すれば、約20分で城跡に到着します。車で訪れることもでき、駐車場も用意されています。歴史好きの方はもちろん、仙台の景色を楽しみたい方にもおすすめのスポットです。 仙台城を訪れることで、伊達政宗が築いた城の歴史や、その壮大なロマンに思いを馳せることができるでしょう。城跡を歩きながら、かつてここにあった天守なき名城の姿を想像するのも、旅の...