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1月, 2023の投稿を表示しています

韮山反射炉:明治の産業革命を支えた鉄の遺産、鉄と蒸気が紡いだ時代

修善寺温泉から戻る途中、世界遺産の韮山反射炉に寄りました。 反射炉という単語は初めて聞きました。通っている英会話の外国人先生も英語の単語も聞いたことがないらしく、二人でwikipediaなどで調べながら良い英語の教材になりました。 驚いたのは遠方からでも分かるその大きさ。周りに何もないのでとても目立ちます。 そしてその形状。SF映画に出てくる異星人の装置のようで、明治とか日本とか言ったものと全く結びつきませんでした。 反射炉は熱の反射を利用した炉で大砲を製造していました。 裏の川は水車動力に利用され、ここも世界遺産の範囲となっています。 韮山反射炉は江川英龍、江川英敏、親子が日本の一流の技術者を集め建築しました。近くには江川邸もありますが、今回は行けなかったので、次回また行こうと思います。 箱根の関所は、江川邸にある 江川文庫にあった設計図を元に復元されました。 旅程 東京 ↓(新幹線/伊豆箱根鉄) 修善寺駅 ↓(バス) 修善寺温泉バス停 ↓(徒歩) 日枝神社(修善寺) ↓(徒歩) 修禅寺 ↓(徒歩) 独鈷の湯 ↓(徒歩) (略) ↓(バス) 修善寺駅 ↓(伊豆箱根鉄道) 伊豆長岡駅 ↓(徒歩) 韮山反射炉 ↓(徒歩) 伊豆長岡駅 ↓(電車) 三島駅 周辺のスポット 江川邸(韮山役所跡) 地域の名物 関連スポット 萩反射炉 恵美須ヶ鼻造船所跡 大板山たたら製鉄遺跡 萩城下町 松下村塾 旧集成館 寺山炭窯跡 関吉の疎水溝 橋野鉄鉱山 三重津海軍所跡 小菅修船場跡 三菱長崎造船所 第三船渠 長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン 長崎造船所 旧木型場 長崎造船所 占勝閣 高島炭坑 端島炭坑 旧グラバー住宅 リンク 国指定史跡 韮山反射炉 | 伊豆の国市観光協会 伊豆の国市/国指定史跡韮山反射炉

修禅寺:鎌倉ゆかりの温泉地に息づく、平安から続く祈りの場所

本日は、伊豆半島の中ほど、静岡県の修善寺町は温泉地として有名ですが、その名の由来となった「修禅寺(しゅぜんじ)」を訪れました。よく晴れて、冬の澄んだ空気の中で山あいの景色が一層美しく感じられました。 修善寺という地名が一般的ですが、寺院の正式な名称は「修禅寺」と書きます。この違いもまた、歴史好きには興味深いポイントです。寺の山門をくぐると、すぐに本堂が見えます。境内は、静けさと落ち着きに満ちており、訪れる人々もそれぞれに手を合わせていました。 修禅寺の創建は平安時代初期、弘法大師空海によるものと伝わります。伊豆で最も古い寺院のひとつであり、伊豆の国府が置かれていた時代から、この地の精神的な支えとなってきました。また、鎌倉幕府と関わりの深い源頼家が幽閉された場所としても知られており、その歴史の重みを感じずにはいられません。 本堂でお参りを済ませた後は、境内をゆっくりと巡りました。寺の敷地には湧水や歴史を感じさせる石碑が点在し、温泉街の喧騒から離れて心静かに過ごすことができます。時間があったので、宝物殿も見学しました。中には寺に伝わる仏像や古文書、ゆかりの品々が展示されており、修禅寺の歩んできた長い歴史を実感しました。 温泉で知られる修善寺ですが、心の安らぎを求めて修禅寺を訪れるのもまた、旅の大きな魅力だと感じました。歴史ある寺院と温泉街、それぞれが織りなす静かな時間を、ぜひ多くの方に味わってほしいと思います。 旅程 東京 ↓(新幹線/伊豆箱根鉄) 修善寺駅 ↓(バス) 修善寺温泉バス停 ↓(徒歩) 日枝神社(修善寺) ↓(徒歩) 修禅寺 ↓(徒歩) 独鈷の湯 ↓(徒歩) (略) ↓(バス) 修善寺駅 ↓(伊豆箱根鉄道) 伊豆長岡駅 ↓(徒歩) 韮山反射炉 ↓(徒歩) 伊豆長岡駅 ↓(電車) 三島駅 関連イベント 周辺のスポット 日枝神社(修善寺) 指月殿 虹の郷 関連スポット リンク 修禅寺|伊豆市修善寺|曹洞宗 【公式】ノスタルジックロマン 伊豆 修善寺温泉

堺市博物館:仁徳陵のふもとで出会う歴史の深層、鉄砲、茶道、自由都市

仁徳天皇陵を見学したあと、そのまま近接している堺市博物館に向かいました。 大阪府堺市の大仙公園内に位置する堺市博物館は、かつて「東洋のベニス」と称された堺の歴史と文化を一望できる場所です。仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の南に建つこの博物館は、その地の利を活かし、古代から近代に至る堺の歩みを丁寧に紹介しています。 博物館に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのが古墳時代の展示です。堺が誇る百舌鳥古墳群のジオラマや出土品は、古代日本の葬送文化と権力の象徴としての前方後円墳のスケール感を伝えてくれます。中でも注目すべきは、実際に仁徳天皇陵に関係する副葬品の精巧なレプリカや、発掘調査によって明らかになった墳丘構造の紹介です。これにより、歴史の教科書でしか見たことのない風景が立体的に浮かび上がります。 展示は中世へと進み、堺が自治都市として栄えた時代へと移ります。自由都市堺の活気を伝える屏風絵や、堺の商人たちが取り扱った南蛮貿易の品々が並び、世界との交易により花開いた文化の豊かさを感じさせてくれます。 千利休ゆかりの茶道具や鉄砲の展示も、この地が技術と美意識の交流拠点だったことを物語っています。 また、近世・近代のコーナーでは、幕末から明治・大正期の堺の街並みや産業発展の様子が紹介されており、現代へとつながる都市としての堺の姿を知ることができます。昭和期の人々の暮らしや風景を再現したコーナーでは、来館者のノスタルジーを誘う展示が目を引きます。 特別展も定期的に開催されており、テーマごとに堺の新たな一面を掘り下げています。館内には映像コーナーや体験型展示も充実しており、子どもから大人まで楽しめる構成です。 堺市博物館は、ただの歴史展示施設にとどまらず、まちの記憶を未来へとつなぐ「生きたミュージアム」です。仁徳天皇陵の壮大な眺めとともに、悠久の時間を歩んできた堺の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。 倭の五王 日本の古代史において、ひときわ異彩を放つ存在が「倭の五王(わのごおう)」です。彼らは5世紀から6世紀初頭にかけて、中国南朝へ使節を送り、積極的な外交を展開しました。日本という国が、国際社会の一員として姿を現した初期の記録でもあり、その活動は後のヤマト王権の発展に大きな影響を与えました。 「倭の五王」とは、中国の歴史書『宋書』や『南斉書』に登場する、「讃(さん)」「珍(ちん)...

大仙陵古墳/仁徳天皇陵:かまどに煙が立つとき、世界遺産に眠る仁政の帝

世界遺産の「百舌鳥・古市古墳群」を見るために、大阪府の堺市と藤井寺市に来ました。まず、藤井寺市の古市古墳側をまわったあと、堺市に移動して百舌鳥側の探索を始め、大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)/仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)に向かいました。 仁徳天皇陵は、大阪府堺市堺区に所在する古墳時代の巨大前方後円墳で、正式名称を「大仙陵古墳」といいます。日本最大の古墳として知られ、全長は約525メートル、高さは約40メートルにも達し、世界的にも有数の規模を誇ります。 この古墳は、5世紀前半に築かれたと考えられており、第16代・仁徳天皇の陵墓に比定されています。仁徳天皇は『日本書紀』などに登場し、聖帝として名高く、「民のかまど」の逸話で知られています。これは、民の生活が苦しいときに税を免除し、その様子を見て「かまどに煙が立つようになって、民は豊かになった」と喜んだという逸話で、日本の理想的な君主像の象徴ともなっています。 古墳の構造は、前方部と後円部からなる鍵穴型で、三重の堀(濠)と土塁によって囲まれており、周囲には陪塚(ばいづか、陪冢(ばいちょう))と呼ばれる従属的な小古墳も多く存在します。この一帯は「百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)」として、2019年(令和元年)にユネスコの世界文化遺産に登録されました。 堺市博物館 なお、宮内庁はここを「仁徳天皇百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」として管理しており、内部に立ち入ることはできませんが、外周には遊歩道が整備されており、堺市博物館では古墳に関する資料や模型、発掘調査の成果などを見学できます。 また、仁徳天皇陵は、空から見るとその巨大さと整った形状がよくわかり、しばしばGoogle Earthなどで「世界三大墳墓」(他は中国の秦始皇帝陵とエジプトのギザのピラミッド)とも比較される存在です。 旅程 東京駅 ↓(新幹線) 新大阪駅 ↓(地下鉄/近鉄) 土師ノ里駅 ↓(徒歩) 古市古墳群 ↓(徒歩) 古市駅 ↓(近鉄) 百舌鳥駅 ↓(徒歩) 大仙陵古墳/仁徳天皇陵 ↓(徒歩) 堺市博物館 ↓(徒歩) 上石津ミサンザイ古墳/履中天皇陵 ↓(徒歩) (略) 関連イベント 周辺のスポット 百舌鳥古墳群 仁徳天皇陵古墳(大仙古墳) 上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵) 田出井山古墳(反正天皇 百舌鳥耳原北陵) 大...

明治村

愛知県の明治村に来ました。なんとなく明治時代の雰囲気が好きなので前から来たいと思っており、ようやく来れました。 非常に広大な敷地で、一つ一つの建物が本物なので、それぞれについて記事が書けるぐらいの内容です。 例えば、教会。本物がそこに建っています。 帝国ホテル。 汽車。 工場。もちろん機械式で、100年ぐらい前の同じ国なのに、失われた古代文化のようです。 上記はほんの一例で、とんでもない数の建物が保存されています。 明治村は建築家の谷口吉郎さんと名古屋鉄道会長の土川元夫によって1965年(昭和40年)に開館されました。歴史的、文化芸術的に価値のある建築物を保存するために設立され、現在は60件以上あり、ほとんどが重要文化財や登録有形文化財に指定されています。 旅程 東京駅 ↓(新幹線) 名古屋駅 ↓(名鉄) 犬山駅 ↓(バス) 明治村 ↓(バス) 犬山駅 ↓(徒歩) 犬山城 ↓(徒歩) 犬山駅 ↓(名鉄) 名古屋駅 ↓(新幹線) 東京駅 周辺のスポット 犬山城 リトルワールド 地域の名物 関連スポット リンク 博物館明治村 | 愛知県犬山市の野外博物館 博物館 明治村 | 【公式】愛知県の観光サイトAichi Now 博物館 明治村 « 犬山観光情報 博物館明治村 | 【公式】名古屋市観光情報「名古屋コンシェルジュ」

迎賓館赤坂離宮

本日は、予約をして迎賓館赤坂離宮(げいひんかんあかさかりきゅう)に来ました。 以前、この近くにオフィスがあり、昼休みの散歩中に何度か見ていて、一度来たいと思っていました。 迎賓館赤坂離宮は、1909年(明治42年)に片山 東熊(かたやま とうくま)の設計により、ネオ・バロック様式で、東宮御所(とうぐうごしょ)として建設されました。東宮御所とは、皇太子の御所です。東宮とは皇太子のことを表します。 明治時代に造られたので、大正天皇となられる皇太子嘉仁(よしひと)親王が最初の使用者ですが、あまりに華美であることや、住居として使い勝手が良くなかったため、あまり使用されませんでした。 1924年(大正13年)、後に昭和天皇となられる皇太子裕仁(ひろひと)親王が結婚され、その後しばらくは東宮御所として使用されました。 第二次世界大戦後、皇室から国に移管され、国立国会図書館、法務庁法制意見長官、裁判官弾劾裁判所、内閣憲法調査会、東京オリンピック組織委員会などに使用された。 その後、外国の賓客を迎えることが多くなり、1974年(昭和49年)3月に大改築し、現在の村野藤吾の設計により、迎賓館が完成しました。同時に、和風別館も谷口吉郎の設計により、建設されました。 2009年(平成21年)に、再度大改築され、国宝に指定されました。 多くの国王、大統領、首相などをお迎えしたり、主要国首脳会議などの国際会議の場として使用されています。 見学は、主庭、本館、和風別館を見ることができます。 主庭には、豪華な噴水があります。 和風別館の見学は時間制で、担当の方が説明しながら周ります。 旅程 四ツ谷駅 ↓(徒歩) 迎賓館赤坂離宮 ↓(徒歩) 四ツ谷駅 関連イベント 周辺のスポット ホテルニューオータニ 日本庭園 日枝神社 日本オリンピックミュージアム ワタリウム美術館 赤坂サカス 新宿御苑 地域の名物 関連スポット リンク 迎賓館赤坂離宮 | 内閣府 迎賓館 | 内閣府 元赤坂「迎賓館赤坂離宮」を見学! 東京23区唯一の国宝建築に明治日本における美と技術の結集を感じる | 港区観光協会 | VISIT MINATO CITY - 東京都港区の観光情報公式サイト

東京ジャーミイ:トルコ文化とイスラーム文化の玄関口、東京観光で異文化体験

コロナも落ち着いてきたので、最近は東京都内の観光をしています。本日は、正月の休みを利用して、新宿にあるイスラーム教のモスクの東京ジャーミイに来ました。コロナ前にトルコのイスタンブール観光したときに、日本語が話せる 東京の喧騒の中に、まるで異国に迷い込んだような静謐な空間があります。代々木上原駅から徒歩数分の場所に立つ「東京ジャーミイ」は、日本にいながらオスマン建築の美しさとイスラーム文化の精神に触れられる、まさに宝石のような存在です。 このモスクは1938年(昭和13年)、日本に移住していたタタール系トルコ人によって建てられました。戦争や時代の変遷を経て老朽化し、やがて取り壊されることになりますが、2000年(平成12年)、トルコ共和国の支援のもと再び新たな姿で蘇りました。再建にあたっては、建築資材も職人もトルコから招かれ、本場の技術と精神が丁寧に注ぎ込まれています。 建物の外観からして圧倒されます。白亜の壁に繊細なアラベスク模様、空に向かって伸びるミナレット。まるでイスタンブールのモスクをそのまま東京に移築したかのような印象を受けます。内部に一歩足を踏み入れると、そこにはステンドグラスの柔らかな光、天井を彩るカリグラフィー、そして祈りの静けさに満ちた空気が広がっています。礼拝の時間になると、館内にアザーンが響き渡り、心が自然と落ち着いていくのを感じることでしょう。 東京ジャーミイは、単なる宗教施設にとどまりません。併設のトルコ文化センターでは、トルコ語やトルコ料理、書道や陶芸など、多彩な講座や展示が行われており、宗教や国籍を越えた文化交流の場となっています。特に週末には、建物内のガイドツアーが開催され、訪れた人々はオスマン様式の建築やイスラーム文化について学ぶことができます。日本語と英語の解説が用意されているため、観光客にとっても理解しやすい内容となっています。 見学に際しては、肌の露出を控えた服装を求められますが、スカーフなどは貸し出しも行われていますので、気軽に訪れることができます。モスクというと敷居が高いと感じる方もいるかもしれませんが、東京ジャーミイは常に開かれており、「知ること」を歓迎してくれる場所です。 宗教、文化、建築、そして人々の祈りの場としてのジャーミイ。その静けさと美しさを感じに、東京を訪れた際にはぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。日常から...