鑁阿寺(ばんなじ)を参拝したあと、その足で向かったのが、今回の旅の主目的でもある足利学校でした。日本最古の学校とされるこの場所は、現在学校関連のシステムを開発しており、教育に携わる者として一度は訪れておきたいと前々から思っていた場所です。
入徳門(にゅうとくもん)をくぐり中でチケットを買ったあと、学校の成り立ちを紹介するビデオを鑑賞しました。映像を通して、足利学校が奈良時代から平安時代にかけて成立し、室町時代には関東管領の足利氏によって大きく整備されたこと、戦国時代には上杉憲実(うえすぎ のりざね)によって儒学の拠点として再興されたことなど、その長い歴史の歩みを学ぶことができました。特に、江戸時代には庶民にも開かれた学問の場として全国から学徒が集まったという話には、教育の力の広がりを感じました。
次に学校門(がっこうもん)をくぐり、遺蹟図書館へと足を運びました。ここでは、歴代の元号に関する資料や、当時の学問のあり方を伝える貴重な展示が並んでおり、時の流れとともに受け継がれてきた知の蓄積に圧倒されました。書物が単なる情報の集積ではなく、人々の思想や価値観を形づくってきたことを実感できる空間でした。
杏壇門を通って訪れたのは、孔子廟です。そこには静謐な空気が流れ、儒教の祖・孔子を祀るための厳かな雰囲気が漂っていました。孔子像の前に立ち、かつての学徒たちがどのような気持ちでここを訪れたのかに思いを馳せました。
庭園を抜けて、方丈、書院、そして庫裡へと進むと、そこには当時の生活と学問の場が再現されており、儒学の精神が日々の営みの中にどのように息づいていたのかが伝わってきました。中でも私の心に強く残ったのは、「宥座之器(ゆうざのき)」と呼ばれる器でした。この器は、水が少なければ倒れ、多すぎても倒れ、適量のときだけ真っ直ぐに立つという仕掛けになっており、中庸の大切さを教える象徴として用いられていたそうです。目に見える形で「ほどほど」「バランス」という「中庸(ちゅうよう)」の概念を伝えるこの道具には、教育における知恵の深さを感じずにはいられませんでした。
足利学校は、単に古いというだけでなく、長い時間をかけて人々が学問と向き合ってきた場としての重みを今に伝えてくれます。教育とは何か、人は何を学ぶべきかをあらためて問いかけてくるような場所でした。この地に足を運び、時代を超えて続く知の系譜に触れられたことは、教育に関わる者としてかけがえのない経験となりました。
旅程
東京
↓(電車)
足利市駅
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明石弁天厳島神社(美人弁天)
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足利市駅
↓
茂林寺前駅
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茂林寺前駅
↓(東武伊勢崎線)
東京
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