佐原町並み交流館から伊能忠敬旧宅に向かいました。
伊能忠敬旧宅は、江戸時代の日本地図作成者として有名な伊能忠敬(いのう ただたか)が、1762年(宝暦12年)に17歳で伊能家に婿養子に入り、1795年(寛政7年)、50歳で江戸に出るまで住んでいました。
正門、店舗、書院(母屋)、土蔵が国指定史跡に指定されています。正門は忠敬が婿養子に入る以前の建物で、書院は忠敬が設計したと伝えられています。店舗は桁行(けたゆき)七間、梁間三間の切妻、土蔵造りです。
土蔵は、桁行四間、梁間三間切妻造りで、入口の扉は観音開きが普及する以前の引き戸のもので、貴重な土蔵です。
伊能忠敬は、全国の測量を行い、正確な日本地図を完成させたことで広く知られています。彼の旧宅は千葉県香取市(旧佐原市)にあり、彼の功績を記念して保存されています。
旧宅は江戸時代の建築様式を残し、当時の生活や文化を感じることができる場所です。忠敬がどのような環境で育ち、測量技術や天文学に対する興味を深めていったのかを知ることができます。また、隣接する伊能忠敬記念館では、彼の生涯や業績に関する展示が行われており、彼が日本の地図を作成する際に使用した器具や資料も展示されています。
伊能忠敬は50歳を過ぎてから本格的に測量を始め、その精密な測量技術は現代にも影響を与えています。
庭には、伊能忠敬が1791年(寛政3年)に、長男の景敬(かげたか)に与えたという家訓の碑があります。
- 第一 仮(かり)にも偽(いつわり)をせす孝弟忠信(こうていちゅうしん)にして正直たるへし
- 現代訳: かりそめにも人をあざむくことをせず、親に孝行兄弟仲良く、人には真心を尽くし、正直にしなさい
- 第二 身の上の人ハ勿論(もちろん)身下の人にても教訓異見(きょうくんいけん)あらは急度(きっと)相用(あいもちい)、堅(かた)く守るへし
- 現代訳: 目上の人はもちろんのこと、目下の人のいう事でも、なるほどと思ったら取り入れるようにしなさい
- 第三 篤敬謙譲(とくけいけんじょう)とて言語進退(ごんごしんたい)を寛容ニ諸事(しょじ)謙(へりくだり)り敬(つつし)ミ、少(いささか)も人と争論(そうろん)など成べからず
- 現代訳: あつく敬い、ヘリ下るというように、物の言い方や動作をこせこせせず、総べての事につけてへり下り慎み、決して人と争いなどしてはいけません
彼の旧宅と記念館は、歴史好きの観光客や教育的な目的で訪れる人々にとって重要なスポットです。
旅程
東京
↓(鉄道)
香取駅
↓(徒歩 30分)
香取神宮
↓(徒歩 30分)
水郷佐原 山車会館
↓(徒歩)
伊能忠敬旧宅
↓(徒歩)
伊能忠敬記念館
↓(徒歩)
正上醤油店
↓(徒歩)
佐原駅
↓(高速バス)
東京
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