昼食にフィッシュ・アンド・チップスを食べた後、ロンドン塔(Tower of London)に向かいました。今日は、ロンドン市内のいくつかの観光スポットを廻りましたが、すべてチケットを事前にオンラインで購入しておく必要があり、ロンドン塔もチケットを購入できず入れませんでした。完全に事前調査不足でした。
ロンドン観光の際にぜひ訪れていただきたいのが、「ロンドン塔」です。テムズ川の北岸に位置し、歴史的にも文化的にも非常に重要な場所として知られています。その重厚な外観や、数々の伝説を秘めた雰囲気は、訪れる人を一瞬で中世へと引き込んでくれます。
ロンドン塔の建設は11世紀、ウィリアム征服王によって始まりました。当時はノルマン人によるイングランド征服の直後で、王の権力を誇示し、ロンドンを防衛するための城塞としてこの塔が築かれたのです。中心となる建物「ホワイト・タワー」はその時期に建てられたもので、今でもその堂々とした姿を保っています。
長い歴史の中で、ロンドン塔は様々な役割を果たしてきました。王族の居城として使われたこともありましたし、牢獄や処刑場として暗い歴史も持っています。特に16世紀のテューダー朝時代には、王妃アン・ブーリンやキャサリン・ハワードなど、多くの人々がここで処刑されました。トーマス・モアやレディ・ジェーン・グレイなど、歴史の教科書で見た名前が次々と登場する場所でもあります。
その一方で、ロンドン塔は王室の宝物を保管する「宝物庫」としての顔も持っています。現在では「クラウン・ジュエルズ」と呼ばれる王冠や宝石の数々が展示されており、金や宝石がきらめく荘厳な展示室を見学することができます。戴冠式で実際に使われる王冠などもあり、その豪華さには誰もが圧倒されることでしょう。
そして、ロンドン塔といえば「ワタリガラス(レイヴン)」の存在も忘れてはなりません。古くから「塔からレイヴンがいなくなると、王国が滅びる」という言い伝えがあり、現在でも数羽のレイヴンが塔の敷地内で飼育されています。足輪に名前が書かれ、ちゃんと飼育係もいて、大切に管理されているのです。
観光客には「ビーフィーター(正式にはヨーマン・ウォーダーズ)」と呼ばれる衛兵が案内をしてくれるガイドツアーも人気です。彼らはユーモアを交えながら塔の歴史や逸話を語ってくれるので、英語が少しでも分かる方であればぜひ参加してみることをおすすめします。
アクセスも便利で、ロンドン地下鉄の「タワー・ヒル」駅から歩いてすぐの場所にあります。季節によって開館時間は異なりますが、だいたい午前9時から午後5時半まで開いており、入場料は大人で30ポンド前後です。オンラインでチケットを購入すると割引があることもあるので、事前の確認がおすすめです。
重厚な歴史、華やかな王室文化、そして時に血なまぐさいドラマが繰り広げられたロンドン塔は、まさに「イギリスの歴史が凝縮された場所」と言えるでしょう。ロンドンを訪れた際には、ぜひ一度足を運んで、その空気を肌で感じてみてください。
エドワード3世
14世紀のイングランドに君臨したエドワード3世は、歴代の王のなかでもとりわけ勇敢で、戦いと騎士道を愛した人物として知られています。その治世は50年にわたり、イングランドの中世を大きく揺り動かしました。今回は、そんなエドワード3世の生涯をたどってみたいと思います。
エドワード3世は1312年、父エドワード2世とフランス王女イザベラのあいだに生まれました。彼の若き日々は波乱に満ちており、王位を継ぐ経緯も劇的なものでした。父の政治的失敗により、母イザベラとその愛人モーティマーが政変を起こし、父を退位させたのです。こうして15歳で即位したエドワード3世ですが、最初の数年間は実質的に母とモーティマーの傀儡でした。
しかし、青年エドワードはただのお飾りではありませんでした。18歳になった彼はクーデターを起こし、モーティマーを逮捕・処刑。ついに自らの手で政権を掌握します。ここからが、本当の意味での「エドワード3世の治世」の始まりでした。
彼の名を歴史に刻んだ最大の出来事は、なんといっても「百年戦争」の始まりです。母の出自を通じてフランス王位継承権を主張したエドワード3世は、1337年にフランス王フィリップ6世との対立から戦争を始めます。この戦争は断続的に続き、最終的には百年以上にわたる大規模な武力衝突となっていきます。
クレシーの戦いやポワティエの戦いといった有名な戦役で、イングランド軍は輝かしい勝利をおさめました。なかでも、エドワード3世の長男であるエドワード黒太子(ブラック・プリンス)の活躍は伝説的です。父子は共に、勇敢な騎士の理想像として人々に讃えられました。
また、エドワード3世は1348年に「ガーター騎士団」を創設しています。これは忠誠と騎士道を重んじる名誉ある騎士団で、今なお英国王室の伝統として続いています。その本拠地はウィンザー城であり、騎士団の式典は現在もこの城のセント・ジョージ礼拝堂で行われています。
しかし、彼の時代は華々しいだけではありませんでした。同じく1348年、ヨーロッパ全土を襲った「黒死病(ペスト)」がイングランドにも上陸し、人口の三分の一が失われるという惨事が起こります。この社会的打撃は深く、農村の崩壊、労働力不足、経済の混乱を引き起こしました。結果として、封建制度の揺らぎと庶民の権利意識の芽生えにつながることになります。
内政の面でも、彼の時代には議会制度が大きく発展します。王権の強化を図りつつも、庶民院と貴族院に分かれた二院制の原型が生まれ、のちのイングランド議会政治の基礎が築かれました。武力と政治、伝統と改革を同時に抱えながら、エドワード3世は時代の舵を切っていったのです。
エドワード3世は1377年、64歳で亡くなります。王位は、すでに亡くなっていた黒太子の息子であるリチャード2世が継ぎました。のちに彼の子孫たちは、王位をめぐってバラ戦争を引き起こすことになりますが、それはまた別の物語です。
騎士としての理想、王としての野望、そして戦乱の時代を生きたエドワード3世。その足跡は、今もウィンザー城やウェストミンスター寺院などに残されており、訪れる人々に中世イングランドの息吹を伝えています。
トマス・モア
ルネサンスの華やかな文化が花開いた16世紀ヨーロッパ。イングランドにもまた、思想と信仰の狭間で深く苦悩し、やがて自らの信念のために命を捧げたひとりの知識人がいました。彼の名はトマス・モア。『ユートピア』の著者として、そしてヘンリ8世と対立して殉教した法学者・政治家として、彼の名は今日まで語り継がれています。
モアは1478年にロンドンで生まれ、若くしてその才知を現しました。オックスフォード大学で学んだのち、法律の道へ進み、リンカーン法曹院で研鑽を積みました。彼の知性と誠実な人柄は人々の信頼を集め、当時ヨーロッパ随一の人文学者であったエラスムスとも親交を結びます。ふたりの友情は、ルネサンス人文主義の理想を体現したかのように、数々の書簡や学術的な協力関係に表れています。
彼が世に広く名を知られるようになったのは、1516年に出版された『ユートピア』によってです。この書は、架空の理想国家「ユートピア島」を舞台に、人間社会の在り方について深い省察を促す内容となっています。私有財産の廃止や宗教的寛容、労働と余暇のバランスを重んじる社会像は、当時のヨーロッパの現実とは大きく隔たっており、同時代人にとっては挑発的であると同時に魅力的な思想でもありました。
政治の世界においても、モアは才腕を発揮します。ヘンリ8世に仕えて出世し、ついには大法官という最高位の法務官にまで登り詰めました。当時としては、法律家出身者がこの地位に就くのは初めてのことでした。その一方で、彼は権力に溺れることなく、公正と信仰に基づいて職務を遂行し続けました。
しかし、モアの信念と国王の野望は、やがて激しく衝突します。ヘンリ8世が離婚問題を契機にローマ教皇との関係を断ち、イングランド国教会を成立させようとしたとき、モアはそれに強く異を唱えました。特に、国王が教会の最高権威者であるとする「国王至上法」への誓約を拒否したことで、彼はロンドン塔に投獄され、1535年、ついには反逆罪として処刑されるに至ります。
その死から400年後の1935年、トマス・モアはカトリック教会によって聖人に列せられました。さらに2000年には、教皇ヨハネ・パウロ2世により「政治家の守護聖人」としての称号が与えられました。これは、信念を曲げることなく、良心に従って行動する政治家の理想像として、彼の生涯が今なお意義深いと認められた証でもあります。
現代においても、トマス・モアは「良心の人」として記憶されています。信仰、知性、政治的責任、そして人間の倫理がせめぎ合う激動の時代にあって、彼はその全てを引き受け、静かに、しかし確かに、己の道を貫きました。その生涯を振り返るとき、私たちもまた、自らの良心に問いかける必要があるのかもしれません。
旅程
ホテル
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テンプル駅
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チャリング・クロス駅
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ビッグベン
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(略)
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ロンドン大火記念塔
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タワー・ブリッジ
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ロンドン・ブリッジ駅
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Maze Hill駅
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Maze Hill駅
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Cannon Street Station
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St. Paul's駅
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(略)
関連イベント
周辺のスポット
- タワー・ブリッジ
- ロンドン大火記念塔
- ロンドン橋
地域の名物
- フィッシュ・アンド・チップス
- 紅茶(ブリティッシュ・ティー)
- スコーン&クロテッドクリーム
- エール
- ジン
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