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11月, 2023の投稿を表示しています

茂林寺:茅葺きの山門をくぐって、ぶんぶく茶釜の伝説に触れる

群馬県館林市にある茂林寺を訪れました。この日は晴天に恵まれ、穏やかな日差しが心地よく感じられました。 寺の前の道には、茂林寺の伝説『ぶんぶく茶釜』にちなんだ焼き物やかわいらしい置物が並び、訪れる人々を楽しませていました。地元ならではの温かみが伝わる光景です。 総門をくぐり参道へと入ると、そこではちょうど地元の子ども会が主催する「昔あそびフェスティバル」が開催されていました。けん玉やこま回し、竹馬など、昔ながらの遊びに子供たちが夢中になっている姿は、どこか懐かしく微笑ましいものでした。 参道の両側には、様々な表情やポーズをしたたぬきの像が並んでおり、その愛嬌ある姿は茂林寺ならではの風景です。ユーモラスなたぬきたちの姿を楽しみながら歩くうちに、気持ちも和らいでいきます。 茅葺き屋根の趣ある山門をくぐり、本堂へ向かいました。 本堂では静かに参拝を済ませ、中の展示をゆっくりと見学しました。 茂林寺らしく、本堂の中には仏具だけではなく、たぬきの剥製や焼き物など、たぬきにまつわる品々が展示されていました。これらの展示を眺めていると、この寺がなぜ「ぶんぶく茶釜」の伝説と強く結びついているのかがよくわかります。 茂林寺の由来は室町時代までさかのぼります。1426年(応永33年)に開山したと伝わる歴史ある寺院であり、「ぶんぶく茶釜」の伝説を通じて全国的にも知られています。この伝説に登場する不思議なたぬきが恩返しをする物語は、日本人が古くから持つ動物への親しみや自然への感謝の気持ちを伝えているように思えます。 穏やかな時間を過ごしながら、歴史と伝説に触れることができた茂林寺への訪問は、心が豊かになる素敵な一日となりました。 旅程 東京 ↓(電車) 足利市駅 ↓(徒歩) 鑁阿寺 ↓(徒歩) 足利学校 ↓(徒歩) 明石弁天厳島神社(美人弁天) ↓(徒歩) 足利織姫神社 ↓(徒歩) 足利市駅 ↓ 茂林寺前駅 ↓(徒歩) 茂林寺 ↓(徒歩) 茂林寺前駅 ↓(東武伊勢崎線) 東京 関連イベント 周辺のスポット つつじが岡公園 地域の名物 関連スポット リンク 拝観のご案内 – 曹洞宗茂林寺の公式ホームページ 茂林寺 | スポット一覧 | 心にググっと観光ぐんま 21体のたぬき像が出迎える、ぶんぶく茶釜の寺「茂林寺」

足利織姫神社:朱の社と七色の鳥居に導かれて

朝から足利の歴史的な名所を巡り、足利織姫神社(あしかがおりひめじんじゃ)に足を運びました。鑁阿寺や足利学校の見学でひとときを過ごしたあと、すぐ近くにあるこの神社にも寄りました。 神社の入り口に立つと、まず目を引くのは鮮やかな朱塗りの社殿です。青空を背景に、その赤が一層際立ち、どこか非日常の世界に誘われるような気持ちになりました。織姫神社という名前からも分かる通り、ここは織物のまちとして知られる足利の歴史と深く結びついています。古くからこの地では織物産業が盛んで、織姫神社は、機織りや産業繁栄、さらには縁結びの神様として地域の人々に親しまれてきました。 境内には「七色の鳥居」と呼ばれる鳥居が並び、どれも色鮮やかで、思わず写真を撮りたくなります。ひとつひとつの鳥居をくぐるたび、願い事が叶うと言われているそうです。私も静かに願いを込めながら、心を整えて歩きました。 山の中腹にある神社からは足利の町並みを一望でき、歴史と自然が調和する景色が広がっていました。喧騒から少し離れ、心をリセットできる場所でもあると感じます。短い時間でしたが、足利の伝統と人々の祈りが息づくこの神社で、改めて日本の文化の奥深さに触れることができました。 歴史ある足利の町歩きの締めくくりに、足利織姫神社の静かな美しさと温かい空気を感じられたことは、とても印象に残っています。 旅程 東京 ↓(電車) 足利市駅 ↓(徒歩) 鑁阿寺 ↓(徒歩) 足利学校 ↓(徒歩) 明石弁天厳島神社(美人弁天) ↓(徒歩) 足利織姫神社 ↓(徒歩) 足利市駅 ↓ 茂林寺前駅 ↓(徒歩) 茂林寺 ↓(徒歩) 茂林寺前駅 ↓(東武伊勢崎線) 東京 関連イベント 周辺のスポット 鑁阿寺 足利学校 足利市立美術館 明石弁天厳島神社(美人弁天) 地域の名物 関連スポット リンク 足利織姫神社 足利織姫神社 | とちぎ旅ネット〜栃木の観光旅行情報サイト 足利織姫神社 | 足利市観光協会 | 学び舎のまち足利 織姫神社  社殿・神楽殿・社務所・手水舎(おりひめじんじゃ  しゃでん、かぐらでん、しゃむしょ、ちょうずしゃ) | 足利市 公式ホームページ

足利学校:学びの原点をたずねて、宥座之器が教えてくれた中庸の知恵

鑁阿寺(ばんなじ)を参拝したあと、その足で向かったのが、今回の旅の主目的でもある足利学校でした。日本最古の学校とされるこの場所は、現在学校関連のシステムを開発しており、教育に携わる者として一度は訪れておきたいと前々から思っていた場所です。 入徳門(にゅうとくもん)をくぐり中でチケットを買ったあと、学校の成り立ちを紹介するビデオを鑑賞しました。映像を通して、足利学校が奈良時代から平安時代にかけて成立し、室町時代には関東管領の足利氏によって大きく整備されたこと、戦国時代には上杉憲実(うえすぎ のりざね)によって儒学の拠点として再興されたことなど、その長い歴史の歩みを学ぶことができました。特に、江戸時代には庶民にも開かれた学問の場として全国から学徒が集まったという話には、教育の力の広がりを感じました。 次に学校門(がっこうもん)をくぐり、遺蹟図書館へと足を運びました。ここでは、歴代の元号に関する資料や、当時の学問のあり方を伝える貴重な展示が並んでおり、時の流れとともに受け継がれてきた知の蓄積に圧倒されました。書物が単なる情報の集積ではなく、人々の思想や価値観を形づくってきたことを実感できる空間でした。 杏壇門を通って訪れたのは、孔子廟です。そこには静謐な空気が流れ、儒教の祖・孔子を祀るための厳かな雰囲気が漂っていました。孔子像の前に立ち、かつての学徒たちがどのような気持ちでここを訪れたのかに思いを馳せました。 庭園を抜けて、方丈、書院、そして庫裡へと進むと、そこには当時の生活と学問の場が再現されており、儒学の精神が日々の営みの中にどのように息づいていたのかが伝わってきました。中でも私の心に強く残ったのは、「宥座之器(ゆうざのき)」と呼ばれる器でした。この器は、水が少なければ倒れ、多すぎても倒れ、適量のときだけ真っ直ぐに立つという仕掛けになっており、中庸の大切さを教える象徴として用いられていたそうです。目に見える形で「ほどほど」「バランス」という「中庸(ちゅうよう)」の概念を伝えるこの道具には、教育における知恵の深さを感じずにはいられませんでした。 足利学校は、単に古いというだけでなく、長い時間をかけて人々が学問と向き合ってきた場としての重みを今に伝えてくれます。教育とは何か、人は何を学ぶべきかをあらためて問いかけてくるような場所でした。この地に足を運び、時代を超えて続く知...

鑁阿寺:足利の秋、武家の記憶が残る寺院

秋の気配が深まりはじめた本日、足利学校へ向かう途中、私はふと思い立って鑁阿寺(ばんなじ)に立ち寄りました。少し肌寒さを感じる季節ではありましたが、空気は澄んでいて、散策にはとても心地よい日和でした。 鑁阿寺は、鎌倉時代に足利義兼(よしかね)によって創建された、真言宗大日派の本山です。もともとは足利氏の邸宅跡に建てられた寺院で、寺というよりは「武家屋敷と城郭の面影を色濃く残す寺院」とも言われています。 現在も境内には堀や土塁が巡らされており、いわゆる寺院建築とは一線を画す、武士の拠点としての面影を残しています。この独特の歴史的背景から、鑁阿寺は「日本100名城」にも選定されているのです。 境内では、まず本堂で静かに手を合わせました。国宝に指定されているこの本堂は、鎌倉時代の建築様式を伝える貴重な建物で、威厳がありながらも、どこか温かみを感じさせる佇まいです。 その後、多宝塔へ足を運びました。朱塗りの塔は木々の緑や秋の陽射しとよく調和しており、まるで絵画のような景色が広がっていました。 鐘楼の素朴な木造の構造や、経蔵に息づく書物への敬意もまた、鑁阿寺がいかに信仰と学問の場であったかを静かに語りかけてくるようでした。 鑁阿寺は単なる観光名所ではなく、足利氏の興亡を今に伝える歴史の舞台でもあります。そして、足利学校という日本最古の学び舎へ向かう前に、こうしてその祖となった武家の足跡を辿ることができたのは、私にとってとても意味深い体験となりました。今度は春や初夏、あるいは紅葉の盛りにも再訪し、また違った顔の鑁阿寺に出会ってみたいと思っています。 旅程 東京 ↓(電車) 足利市駅 ↓(徒歩) 鑁阿寺 ↓(徒歩) 足利学校 ↓(徒歩) 明石弁天厳島神社(美人弁天) ↓(徒歩) 足利織姫神社 ↓(徒歩) 足利市駅 ↓ 茂林寺前駅 ↓(徒歩) 茂林寺 ↓(徒歩) 茂林寺前駅 ↓(東武伊勢崎線) 東京 関連イベント 周辺のスポット 足利学校 足利織姫神社 足利市立美術館 明石弁天厳島神社(美人弁天) 地域の名物 関連スポット リンク 国宝 鑁阿寺 鑁阿寺(ばんなじ) | 足利市 公式ホームページ

不破関跡

大河ドラマで話題の関ケ原に行ってきました。 関ケ原と言えば、関ケ原の合戦ですが、歴史上もう一つ大きな戦いがあります。壬申の乱です。 その壬申の乱で大きな役割をした関所が不破関(ふわのせき)です。 壬申の乱は672年(天武天皇元年)、大海人皇子(おおあまのおうじ、後の天武天皇)が、天智天皇の太子である大友皇子に対し兵をあげ、反乱者側の大海人皇子が勝利しました。このとき、不破の道を塞いだことが大きな勝因となりました。 壬申の乱の後、不破の道に関所が置かれ、愛発関、鈴鹿関と並んで三関と呼ばれました。 関所があったから、関ケ原と呼ばれるようになったのでしょうか(ここは私の適当な想像です)。 不破関跡の近くには、不破関資料館があり、壬申の乱や不破関について学ぶことができます。 また、同じく不破関跡の近くに、大海人皇子が沓(くつ)を脱いだ沓脱石(くつぬぎいし)と、 兜をかけた兜掛石(かぶとかけいし)があります。人家の横を通って畑の中に行くので気が引けますが、入って大丈夫でした。 旅程 東京 ↓(新幹線) 名古屋駅 ↓(電車) 関ケ原駅 ↓(徒歩) 関ケ原古戦場 ↓(徒歩) 不破関跡 ↓(徒歩) 不破関資料館 ↓(徒歩) 関ケ原駅 周辺のスポット 不破関資料館 兜掛石・沓脱石 関ケ原古戦場 地域の名物 関連スポット 愛発関(現在は位置は不明) 鈴鹿関 リンク 不破関とは|関ケ原町歴史民俗学習館 不破関資料館|関ケ原町歴史民俗学習館 不破関跡 | スポット情報 | 関ケ原観光ガイド 不破関資料館 | スポット情報 | 関ケ原観光ガイド 兜掛石・沓脱石 | スポット情報 | 関ケ原観光ガイド 【不破関跡:関ヶ原宿|散策ガイド】岐阜県十七宿美濃中山道散策ガイド

那智の滝

和歌山観光の2日目。 熊野御坊南海バスのバスツアー で那智の滝に来ました。 和歌山の南側は見どころは多いのですが、1つ1つの距離があり気軽に来れる場所ではないため、バスツアーを利用しました。 バスは大型のもので、人数もちょうど良く一人2席ぐらいとれたので、非常に快適でした。那智の黒飴もお土産にいただきました。 那智の滝(なちのたき、那智滝、那智大滝、那智御瀧、一の瀧)は、華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑の一つです。日本三なんとかは、だいたい三番目を主張するものがたくさんあって3つに収まらないのですが、日本三名瀑では袋田の滝と競う名瀑が多いようです。一般的にはこの3つで安定しています。 滝の落口の岩盤に切れ目があり三筋に分かれて流れ落ちるため三筋の滝ともいわれています。 那智の滝は、国指定名勝であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録資産の一つでもあります。周囲の那智原始林も世界遺産の一部です。 手前の広場には鳥居もあり、滝自体がご神体で、古来より熊野信仰の中心地のひとつでした。1,300年以上前から滝行が行われてきました。 落差は133mあり、一段の落差としては日本2位です(総落差は12位)。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 紀伊勝浦駅 ↓(バス) 川湯温泉 ↓(バス) 渡瀬温泉 ↓(バス) 湯の峰温泉 ↓(バス) 熊野本宮大社 ↓(バス) 瀞峡めぐりの里熊野川(志古) ↓(バス) 熊野速玉大社 ↓(バス) 熊野古道 大門坂 ↓(バス) 那智の滝 ↓(バス) 熊野那智大社/那智山 青岸渡寺 ↓(バス) 紀伊勝浦駅 周辺のスポット 青岸渡寺 熊野那智大社 地域の名物 那智の黒飴 まぐろ 串本節 めはり寿司 関連スポット 華厳滝 袋田の滝 吉野山 吉野水分神社 金峯神社 金峯山寺 吉水神社 大峰山寺 熊野本宮大社 熊野速玉大社 熊野那智大社 青岸渡寺 那智原始林 補陀洛山寺 丹生都比売神社 金剛峯寺 慈尊院 リンク 定期観光バス | 熊野御坊南海バス 社殿案内(那智御瀧)|熊野那智大社 わかやま観光 那智の滝 | 和歌山県公式観光サイト わかやま観光|モデルルート 大門坂~熊野那智大社・那智の滝 | 和歌山県公式観光サイト 世界遺産・熊野古道 | 那智勝浦観光サイト 熊野那智大社 飛瀧神社 那智御瀧

金剛峯寺:龍が眠る庭で時を忘れる、修行の空気に触れるひととき

一泊二日で和歌山観光に来ています。和歌山は、特に主要な観光地が東京からもっとも遠いと言われているだけあり、高野山周辺も那智周辺も日帰りは無理そうでした。一泊二日であれば、両方行けそうだったので、高野山内は高野山駅からはタクシー、那智周辺はバス観光で計画しました。高野山は、ローカル鉄道、ケーブルカーとまず一番奥の奥之院に行ってもらい、金剛峯寺(こんごうぶじ)に向かいました。 高野山の秋が深まり始めた本日、金剛峯寺を訪れました。空気は澄みわたり、木々は赤や黄に色づき、静けさのなかに厳かな気配が漂っていました。真言宗の総本山として知られるこの寺院は、今もなお多くの巡礼者や観光客を惹きつけてやみません。 正門をくぐると、まずその壮麗な構えに圧倒されました。門を越えた先には、歴史の重みと品格をまとった建物が静かに佇んでおり、時代の流れを超えてきた気配が感じられます。 境内を巡るうちに目にした蟠龍庭(ばんりゅうてい)は、言葉を失うほどの美しさでした。白砂に表現された龍の姿は、静止しているにもかかわらず、今にも動き出しそうな生命力を宿しているように見えました。その構図の中に込められた意図を想像するだけでも、自然と背筋が伸びるような思いがします。 土室(つちむろ)と呼ばれる空間にも足を踏み入れました。ひんやりとした空気の中にも張り詰めた気が漂っているように感じられました。現代の私たちには想像もつかないような精神の練磨が、この場所で行われていたのでしょう。 台所にも立ち寄り、驚くほど広大な空間に目を見張りました。大きな竈や道具の数々は、かつて多くの僧侶たちに食を提供してきた証です。修行の一環としての食事、それを支える調理の営みにも、仏教の教えが息づいていることを感じました。 金剛峯寺の中をめぐりながら、単に歴史ある建物を見学したという以上に、そこに流れる時間と精神に触れるような体験ができたことが何よりも印象的でした。秋の高野山は静謐で、どこか祈りの時間がゆるやかに流れているように思えました。この日感じた尊さと静けさは、心に長く残り続けることでしょう。 畠山氏 室町時代の政治を支えた重要な一族のひとつに、畠山氏(はたけやまし)があります。この家は、将軍を補佐する最高職「管領(かんれい)」を務めた家柄であり、細川氏、斯波氏と並ぶ三管領家の一角を成しました。特に15世紀の動乱期には、畠山氏...