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1月, 2024の投稿を表示しています

登呂遺跡:日本初の弥生時代の水田跡が発見された遺跡で弥生人の足跡をたどる

本日は、三保松原と登呂遺跡(とろいせき)を見学に静岡に来ました。同じ静岡市ですが、結構離れています。静岡駅で昼食をとったあと、登呂遺跡へ向かいました。 登呂遺跡は、静岡県静岡市駿河区にある弥生時代後期の集落遺跡です。日本の弥生時代を語る上で欠かせない遺跡のひとつとして知られています。発見されたのは1943年(昭和18年)のことで、当時、軍需工場の建設が進められている最中に偶然見つかりました。その後の発掘調査によって、弥生時代の人々が暮らしていた住居や、稲作を行っていた水田跡などが明らかになりました。 登呂遺跡の最大の特徴は、日本で初めて弥生時代の水田跡が発見されたことです。用水路や田植えの跡が残っており、稲作を中心とした人々の暮らしがうかがえます。また、集落内には竪穴住居や高床倉庫があり、弥生時代の生活様式を具体的に知ることができます。これらの発見は、当時の稲作文化がどのように広まり、発展していったのかを考える上で非常に重要な手がかりとなりました。 現在、登呂遺跡は「登呂遺跡公園」として整備されており、復元された住居や水田を見ることができます。弥生時代の風景をそのまま再現したような光景が広がっており、訪れる人々に当時の生活を想像させてくれます。また、遺跡の隣には「静岡市立登呂博物館」があり、発掘された土器や石器、農具などが展示されています。ここでは、弥生時代の暮らしに関する詳しい説明があり、知識を深めることができます。 博物館では、火起こしや土器作りなどの体験プログラムも用意されており、実際に弥生時代の生活を体験することができます。子どもから大人まで楽しめる内容となっており、歴史を身近に感じることができるのが魅力です。 静岡市を訪れる際には、登呂遺跡に立ち寄ってみるのもおすすめです。日本の古代史に触れ、弥生時代の人々の暮らしを体感することで、歴史の奥深さを改めて実感できるでしょう。 旅程 東京 ↓(新幹線) 静岡駅 ↓(JR東海道本線) 清水駅 ↓(バス) 御穗神社 ↓(徒歩) 三保松原 ↓(バス) 清水駅 ↓(JR東海道本線) 静岡駅 ↓(バス) 登呂遺跡 ↓(バス) 静岡駅 ↓(新幹線) 東京 関連イベント 周辺のスポット 地域の名物 おでん粉:おでんにかけてもご飯にかけてもおいしい 関連スポット リンク 静岡市立登呂博物館 国指定特別史跡 登呂遺跡:静岡市公式...

三保松原:神話の風が吹く、天女が舞い降りた海辺の道

本日は、三保松原を訪れるため、静岡に来ました。空にはところどころ薄い雲が浮かんでいましたが、富士山の裾野がくっきりと見えるほどの良い天気に恵まれ、穏やかな一日となりました。 三保松原には、御穗神社から「神の道」と呼ばれる参道を歩いて向かいました。この道は、松並木の間をまっすぐに伸びており、まるで過去と現在をつなぐ時の回廊のようでした。御穗神社は、三保の守り神として古くから信仰を集めてきた神社で、羽衣伝説とも深く結びついています。 道を抜けた先に現れたのは、三代目の「羽衣の松」。その名の通り、天女が羽衣を掛けたと伝えられる松の木です。かつての初代、二代目はいずれも寿命を終え、現在の松がその伝承を今に伝えています。松の根元には、羽衣伝説を描いた石碑があり、天女と漁師の切なくも美しい物語に思いを馳せることができます。 さらに進んで、羽車神社を参拝しました。この小さな社は、羽衣伝説の舞台を見守るように静かに佇んでおり、訪れる人々に神話の余韻を与えてくれます。 目の前には、松原と砂浜、そして駿河湾の海が広がっていました。波打ち際には冬の陽光がやさしく反射し、遠くには富士山がそびえ立っていました。松の緑と白い砂、青い海と空とのコントラストが印象的で、日本の原風景とも言える風景に、ただただ見入ってしまいました。 三保松原は、富士山世界文化遺産の構成資産としても知られていますが、単なる景勝地にとどまらず、神話と歴史、そして人々の祈りが織り込まれた場所でもあります。歩くたびに、何か大切なものに包まれているような感覚がありました。 この日の訪問は、単なる観光ではなく、自然と伝承が響き合う静かな時間を過ごすひとときとなりました。再び訪れるときは、また違った季節の表情が待っていることでしょう。 旅程 東京 ↓(新幹線) 静岡駅 ↓(JR東海道本線) 清水駅 ↓(バス) 御穗神社 ↓(徒歩) 三保松原 ↓(バス) 清水駅 ↓(JR東海道本線) 静岡駅 ↓(バス) 登呂遺跡 ↓(バス) 静岡駅 ↓(新幹線) 東京 関連イベント 周辺のスポット 御穗神社 地域の名物 関連スポット リンク 三保松原 三保松原 【富士山世界文化遺産構成資産登録】|【公式】静岡のおすすめ観光スポット/駿府静岡市~最高の体験と感動を 世界文化遺産富士山の構成資産「三保松原」:静岡市公式ホームページ

御穗神社:伝説と歴史に包まれた静岡の散歩道

本日は三保松原を訪れる予定で静岡に来ており、松原に向かう前に、まずはその近くにある御穗神社(みほじんじゃ)に立ち寄りました。 「御穗」と書いて「みほ」と読むこの神社は、三保松原と深いゆかりがあります。三保松原といえば、日本三大松原にも数えられ、羽衣伝説の舞台としても有名です。その伝説によれば、天女が舞い降り、羽衣を松の枝にかけて舞を舞ったとされていますが、御穗神社はまさにこの伝説と縁が深く、三保の地に古くから鎮座してきました。 境内に足を踏み入れると、静けさと神聖な雰囲気が広がっていました。まず拝殿で参拝し、旅の安全と静岡での一日がよいものになるよう願いを込めました。社殿は落ち着いた佇まいで、地域の人々に大切に守られていることが伝わってきます。 参拝を終えた後は、「神の道」と呼ばれる参道を進みました。この道は御穗神社から三保松原まで真っ直ぐに続いていて、かつては松の木々に囲まれていたそうです。今でも松並木が残り、ゆっくりと歩くと、羽衣伝説に思いを馳せることができます。道を進むごとに、次第に松原とその先の海が近づいてくるのを感じ、自然と心が澄んでいくような気がしました。 御穗神社と三保松原は、単なる観光地としてだけでなく、日本の神話や伝説、そして地元の暮らしと深く結びついています。今回の訪問を通じて、歴史や物語の息づく土地を自分の足で歩くことの大切さを、あらためて感じました。 旅程 東京 ↓(新幹線) 静岡駅 ↓(JR東海道本線) 清水駅 ↓(バス) 御穗神社 ↓(徒歩) 三保松原 ↓(バス) 清水駅 ↓(JR東海道本線) 静岡駅 ↓(バス) 登呂遺跡 ↓(バス) 静岡駅 ↓(新幹線) 東京 関連イベント 周辺のスポット 三保松原 地域の名物 関連スポット リンク miho-jinja.jp 御穂神社|【公式】静岡のおすすめ観光スポット/駿府静岡市~最高の体験と感動を 御穂神社 (三保)---静岡市観光ガイド 『駿河湾★百景』 御穂神社|しずおか東海道まちあるき

大英博物館:ロゼッタ・ストーンからミイラまで、世界の至宝が大集結

大英博物館(The British Museum)を予約していた時間に近づいてきたため、ハロッズから地下鉄で移動しました。日本でも増えてきましたが(記事は2025年に書いています)、改札機を VISA touch で通れるのは、本当に便利です。大英博物館の前に来ると予約をしていない人が殺到して車道まで出ており、混乱ぶりがすさまじかったです。大英博物館は無料ですが、現在のオーバーツーリズムの下では予約は必須です。飛行機までに時間が無いため、1時間程度しか滞在できなかったため、パンフレットに書かれていたおススメのものしか見ることができませんでした。 ロンドン観光で外せないスポットのひとつに、大英博物館があります。世界的に有名なこの博物館は、1753年に設立され、1759年から一般公開が始まりました。人類の歴史や文化、芸術に関する膨大なコレクションを誇り、特に古代文明に関する展示が充実しています。入館は無料で、誰でも気軽に訪れることができるのが大きな魅力です。 大英博物館の見どころのひとつが、エジプトのロゼッタ・ストーンです。これは古代エジプトのヒエログリフ解読の鍵となった石碑で、ギリシャ語、デモティック(民衆文字)、ヒエログリフの三種類の文字が刻まれています。1799年に発見され、これをもとにフランスの言語学者シャンポリオンがヒエログリフの解読に成功しました。このロゼッタ・ストーンの展示エリアは特に人気が高く、常に多くの観光客が集まっています。 また、ギリシャのパルテノン神殿から持ち出された彫刻、エルギン・マーブルも大英博物館の重要な展示品です。これらの彫刻は19世紀初頭にイギリスの外交官エルギン卿によって運ばれ、以来、大英博物館で展示されています。美しい彫刻の数々は、古代ギリシャの芸術の素晴らしさを伝えてくれますが、その所有権をめぐる議論も続いています。 さらに、大英博物館には古代エジプトのミイラも展示されています。サルカファガス(石棺)や副葬品とともに、何千年も前のミイラが保存されている様子は圧巻です。エジプトの死生観や埋葬文化を間近で感じることができ、歴史好きならずとも興味を引かれる展示となっています。 メソポタミア文明に関心がある人にとっては、アッシリア帝国のライオン狩りのレリーフも必見です。紀元前7世紀に作られたこのレリーフは、当時の王アッシュルバニパルがライ...

アビー・ロード:名ジャケットの“続き”は生活道路の中に

2024年元日の夕方、ロンドン観光の2日目の締めくくりに、セント・ジョンズ・ウッド駅から坂を下ってアビー・ロード方面へ歩きました。地図の「Abbey Road Pedestrian Crossing」を目指して、Grove End Roadを抜けていく王道ルートです。小雨まじりでしたが、幸い強くは降らず、歩いているうちにむしろ街灯と濡れた路面のきらめきが年始の街の空気を引き締めてくれるようでした。 横断歩道に着くと、想像以上に交通量の多い三叉路で、あのアルバム・ジャケットの舞台そのものが、いまも現役の生活道路の一部であることを実感します。信号機のないゼブラ柄の横断歩道を、“あの歩き方”を再現したい旅行者と先へ進みたい車がせめぎ合い、クラクションも混じって少しカオス――でも、それもまたこの場所の日常風景。英国のゼブラ・クロッシングらしくベリシャ・ビーコンが立つ現場感が、伝説の舞台を単なる“記念碑”にしないのだと感じました。 最近は日本でもオーバーツーリズムやマナーが話題になりますが、この交差点はきっと昔から地域の人の辛抱と観光客の憧れが同居してきたのでしょう。私は一人旅だったので、あえて人が途切れた一瞬を狙って横断歩道だけを撮影しました。すぐそばのアビー・ロード・スタジオの外観も写真に収め、雨粒に濡れた白い壁と黒いサインが浮かぶように見えたのが印象的でした。 この横断歩道が世界的な“聖地”になったのは、1969年8月8日。写真家イアン・マクミランが脚立に上がり、警察官が数分だけ交通を止めるあいだに、ビーートルズの4人が何度か行き来して撮られた数カットのうちの一枚が、アルバム『Abbey Road』のカバーになりました。現場に立つと、レンズが切り取った一瞬と、今も流れ続ける日常との重なりが不思議と腑に落ちます。 スタジオ自体の歴史も古く、1931年に開業して以来、クラシックからポップス、映画音楽まで無数の録音を生んできました。アルバムの成功で地名が世界語になった後、スタジオは1976年に正式に「Abbey Road Studios」と改称され、名前も場所も音の都として定着していきます。2010年には建物がグレードII(特別な建造物で、保護が必要な建造物)に指定され、同年、横断歩道そのものも異例のグレードIIに登録。音楽史と都市の暮らしをつなぐ風景が、公的にも“守るべき文...

セントポール大聖堂:クリストファー・レンの傑作、ロンドン大火の灰から蘇った美の象徴

グリニッジ天文台を見た後、鉄道でロンドンの中心地に移動し、セントポール大聖堂に来ました。 セント・ポール大聖堂(St Paul's Cathedral)は、ロンドンのシンボルの一つとして知られる壮麗な大聖堂で、イギリスの歴史を見守り続けてきた由緒ある建築物です。 ロンドンの中心部、シティ・オブ・ロンドン地区にあるこの大聖堂は、17世紀後半に活躍した偉大な建築家、クリストファー・レンの最高傑作として有名です。現在の建物は、国王チャールズ2世の勅命により、1666年のロンドン大火で焼失した旧セント・ポール大聖堂の跡地に、1675年から1710年にかけて建てられました。 大聖堂を特徴づけているのは、その巨大なドームで、直径約34メートル、高さは地上から約111メートルに及びます。これはローマのサン・ピエトロ大聖堂に次ぐ規模で、当時の技術や建築美学を結集した構造です。堂内にある「ささやき回廊(Whispering Gallery)」はドームの内側に設けられた回廊で、壁に向かって小声でささやくだけで、反対側まで音が届くという驚くべき音響設計がなされています。 また、大聖堂の地下にはネルソン提督や初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーなどイギリス史に名を刻む英雄や著名人が眠っています。20世紀を代表する英国首相、ウィンストン・チャーチルの国葬が執り行われた場所としても知られています。 セント・ポール大聖堂はイギリスにおける重要な宗教儀式の舞台でもあり、1981年にはチャールズ皇太子(現・チャールズ3世)とダイアナ妃の華やかな結婚式が行われました。また、エリザベス2世女王の即位記念行事や特別な礼拝もたびたび催され、イギリス国民にとって精神的な支柱としての役割も果たしています。 訪れる人は、建物の美しさに感動すると同時に、ロンドンの街並みを一望できるドームの展望台へも登ることができます。長い歴史と荘厳な空間が調和したセント・ポール大聖堂は、今日でも多くの観光客や巡礼者を惹きつけ続けています。 チャールズ2世 17世紀のイングランドにおいて、チャールズ2世ほど波乱と復活の物語を体現した王はいないかもしれません。父チャールズ1世は清教徒革命の激動の中で処刑され、王政は一時的に終焉を迎えました。その血を継ぐ王子チャールズは、まだ20歳そこそこで祖国を追われ、ヨーロッパ各地を転...

グリニッジ天文台:子午線の上で出会う歴史と宇宙、経度ゼロの物語

ロンドン塔、タワーブリッジはオンライン予約制でチケットが買えなかったので外から見た後、ロンドン・ブリッジ駅から列車に乗りグリニッジ天文台に向かいました。 ロンドン南東部、テムズ川を望む丘の上にたたずむグリニッジ天文台(Royal Observatory, Greenwich)は、世界の時間と空の観測を語るうえで欠かせない場所です。訪れると、まずその静かな佇まいに心を打たれます。17世紀にチャールズ2世の命によって設立されたこの天文台は、かつて「経度の謎」に挑んだ科学者たちの拠点であり、現在もその偉業の数々を私たちに伝えてくれます。 グリニッジ天文台が設立されたのは1675年のことです。航海において正確な位置を知るためには星の動きを測る必要がありましたが、当時は緯度はともかく、経度を正確に知る手段がなかったのです。その課題を解決するため、王室天文官として任命されたジョン・フラムスティードが観測を開始しました。彼の名を冠した「フラムスティード・ハウス」には、彼が使用した観測機器や天体図が今も展示されており、当時の努力がいかに根気強いものであったかを感じさせてくれます。 そして何よりも象徴的なのが、1884年に世界の本初子午線として定められた「グリニッジ子午線」です。この線を基準に、地球上のすべての経度が定義され、世界中の時計が「グリニッジ標準時(GMT)」を基準に動くようになりました。天文台の中庭には、地面に埋め込まれたステンレス製の子午線があり、訪問者たちは東半球と西半球をまたぐようにして記念写真を撮ります。夜には子午線の上空にレーザーが投射され、空に光の道が浮かび上がります。 天文台の内部には、経度問題を解決したジョン・ハリソンの海洋クロノメーターが展示されており、彼の設計したH1からH4までの時計を間近に見ることができます。これらの時計こそ、長い間解決できなかった「海上での正確な経度測定」を実現した画期的な発明であり、グリニッジ天文台を歴史の中心に押し上げた要因でもあります。 館内にはプラネタリウムもあり、現代の天文学にも触れることができますが、建物自体が語る歴史の重みは格別です。設計は、セント・ポール大聖堂でも知られるクリストファー・レンとその弟子ロバート・フックによるもので、赤レンガと石のコントラストが美しい外観を形作っています。 グリニッジ天文台の周辺には、...

タワー・ブリッジ:テムズ川にかかる「見せるための橋」

2024年元旦、ロンドン観光2日目の朝から街を歩き回り、新年らしい静けさと少し浮き立った空気を楽しんでいました。バッキンガム宮殿の前で衛兵交代の行列を想像しながら門越しに眺め、そのあとテムズ川沿いに出てロンドン塔へ向かいました。冬の薄い日差しの中で見えてきたのが、タワー・ブリッジでした。 ロンドン塔のそばから見上げるタワー・ブリッジは、写真で見慣れているはずなのに、実物は想像以上に大きく、高さも存在感も圧倒的でした。テムズ川にまたがる二つの塔は、橋というよりも小さなお城が川に立っているようで、石造りの塔に水色の鉄骨が組み合わさった姿は、ヴィクトリア時代の重厚さと近代の工業技術が同居しているように見えます。 本当は、まずロンドン塔の中を見学してから橋に向かうつもりでしたが、最近のオーバーツーリズム対策もあり、当日券が完売していてチケットを買うことができませんでした。ロンドンでは、人気の観光地ほど事前予約が必須になりつつあるのだと、改めて実感しました。少し残念ではありましたが、その分、外からじっくりとロンドン塔とタワー・ブリッジの組み合わせを眺める時間ができたとも言えます。 タワー・ブリッジは、19世紀末のロンドン東部の発展に応えるために建設された橋です。テムズ川の下流側では、当時ロンドン橋しか大きな橋がなく、港町として栄える一帯の人や荷物の移動には不便でした。そこで、1886年に工事が始まり、8年の歳月をかけて1894年に完成しました。 この橋の特徴は、中央部分が跳ね上がる「バスクル橋」であると同時に、その両側が吊り橋構造になっていることです。大型船がテムズ川を行き来できるよう、中央の道路が左右に持ち上がる仕組みになっており、完成当時は世界でも最先端の可動橋だったそうです。 もともとは蒸気機関で油圧ポンプを動かし橋を開閉していましたが、現在は油と電気を使ったシステムに切り替えられています。橋の内部にあるエンジンルームは、今では展示施設として公開され、ヴィクトリア時代の巨大な機械を見ることができるそうです。 二つの塔の上部を結ぶ高所の歩道も、この橋のユニークな点です。地上約40メートル以上の高さにあり、現在は内部見学用の通路として使われています。ガラス床になった部分もあり、見下ろすと自分の足元を車や歩行者、テムズ川の船が通り過ぎていく様子が見えるといいます。今回は時間の...