スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

1月, 2025の投稿を表示しています

森アーツセンターギャラリー:ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト

六本木ヒルズ展望台 東京シティビューで時間をつぶしたあと、13時になったので、森アーツセンターギャラリー(Mori Arts Center Gallery)の特別展「古代エジプト」に行きました。 森アーツセンターギャラリーは現代美術館なので、美術的な視点での展示になっているかと思いましたが、歴史博物館のような説明と展示で、歴史が好きな私としては大満足でした。 この展覧会では、ブルックリン博物館が所蔵する約150点の古代エジプトの貴重な遺物が展示されており、彫刻、棺、宝飾品、陶器、パピルス、そして人間やネコのミイラなど、多彩なコレクションを通じて、古代エジプト文明の謎と魅力を探求できます。  本展の監修は、エジプト考古学者の河江肖剰氏が務めており、最新の研究成果や映像、音声を交えて、古代エジプトの人々の生活や信仰、ピラミッド建設の謎、ミイラに込められたメッセージなど、深く掘り下げて紹介しています。  古代エジプトには「ドゥアケティの教訓」(The Teachings of Dua-Khety または The Satire on the Trades とも呼ばれる)という教訓文学の作品があります。この作品は、中王国時代(紀元前2000年頃)に書かれたとされ、パピルス文書として伝わっています。 「ドゥアケティの教訓」は、父であるドゥアケティ(Dua-Khety)が息子に書記(官僚)としての道を進むように教える形式で書かれています。父親は、他の職業に比べて書記という職業がいかに優れているかを強調し、教育を受けることの価値を説きます。特に、書記以外の職業の辛さや苦労を誇張的に描写し、対比的に書記の仕事の利点を引き立てています。 「監視官ニカーラー」(Nykara)は、エジプト第5王朝(紀元前25世紀頃)の貴族で、当時の高位官僚の一人として知られています。彼の名前は、彼の墓(マスタバ)や遺物に残された碑文から知られています。ニカーラーは「監視官」と呼ばれる高位官僚の一人で、古王国時代のエジプトにおいて、国家の重要な職務を担っていました。「監視官」という肩書きは、主に労働者や建設プロジェクトの監督、国家資源の管理を指すことが一般的です。 古代エジプトの信仰には、個々人の日常生活に密接に関わる存在として敬われた(うやまわれた)神様もいます。「ベス神」(Bes)は、...

六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー:天空を仰ぐ都会のオアシス、六本木ヒルズで過ごす至福のひととき

本日は、六本木ヒルズにある森アーツセンターギャラリーの特別展「古代エジプト」を観るため、六本木ヒルズに来ました。 11時前には到着したのですが、チケットを予約していないと入れないとのことで、当日券売り場やチケット引き換えの列がすさまじいほどの盛況でした。正直、古代エジプトなんて大して人気ないだろうな、となめてました。列が長かったのでスタッフの方に聞いたところ、もしかしたら夕方ぐらいの時間帯のものでないと、今日のチケットは買えないかもしれないとのことでしたが、ネットから予約してみたところ、13時が余裕があったので13時の予約をしました。 しかし、この森美術館のチケットサイトが本当に使いづらく、メールアドレスでログインしているのに、買うときにもう一度メールアドレスを入力しないといけない上に、わざわざ@の前後で入力欄が分かれているので、入力補助で一気に入力できないし、システム開発者はまともに使ったことないんだろうな、と思いました。今時、こんなUXのサイトを作る会社はレベルが低いので、森美術館は開発会社を他の会社に変えた方がよいと思います(このレベルの会社に改修を依頼すると、たいてい無駄に金がかかる)。 時間が余ったので、六本木ヒルズの周辺を散歩してみました。ここにはもともと毛利元就(もうりもとなり)の孫の屋敷がありました。 その後、軽く昼食をとって、まだ1時間ほど時間があったので、六本木ヒルズ展望台の東京シティビューに行ってきました。 六本木の中心にそびえ立つ「六本木ヒルズ」52階にある屋内展望台、東京シティビュー。ガラス張りのフロア一面に広がる大都市の景色は、昼間はもちろんのこと、夜にはきらびやかなイルミネーションが広がり、東京の新たな魅力を感じさせてくれます。さらに、その上に位置する屋外展望スペースのスカイデッキでは、まるでヘリポートの上に立っているかのような解放感と、風を直接感じながら360度のパノラマビューを堪能することができます。都心の真ん中とは思えないほどの大迫力で、普段見慣れている街並みやタワー群が特別な表情を見せてくれるのが印象的です。 チケットは東京シティビューのみか、森タワー53階にある森美術館とのセット券が用意されていて、当日券もオンライン予約も利用できます。大人の料金はおおよそ2,000円前後で、スカイデッキに上がる際は屋内展望台の入場料とは別に追...

野菊の墓文学碑:伊藤左千夫をたどる時間、文学碑が語りかける物語の余韻

矢切の渡しで矢切側に渡ったあと、そのまま東に進み「野菊の墓文学碑(のぎくのはかぶんがくひ)」に来ました。 千葉県松戸市に、伊藤左千夫の代表作『野菊の墓』ゆかりの文学碑があることをご存じでしょうか。千葉県松戸市は『野菊の墓』の舞台であり、作品世界をしのばせる小さな記念碑がひっそりと建っています。 記念碑は1965年(昭和40年)5月に完成し、筆は伊藤左千夫の門下の土屋文明によるものです。 そもそも『野菊の墓』は、1906年(明治39年)に雑誌『ホトトギス』で発表された短編小説で、松戸市の風景を背景に、淡く切ない恋模様を描いた作品です。 松戸市の文学碑は、そうした地域独自の解釈や作者とのつながりを顕彰するため、地元の有志によって建立されたとされています。場所は比較的静かなエリアにあります。伊藤左千夫の功績や『野菊の墓』のあらすじ、作品が与えた影響といった情報が読み取れ、松戸市ならではの視点で作品を振り返ることができます。 実は、「野菊」という花は無く、「野菊」と呼ばれている花には、キク科に属するさまざまな野生種が含まれています。たとえば「ノコンギク」「ヨメナ」「リュウノウギク」など、地域によって多種多様な野菊が見られ、花の色や大きさにも違いがあります。関東では、「カントウヨメナ」「ノコンギク」「ユウガギク」などがあります。こうした菊の仲間をひとまとめに「野菊」と呼ぶ背景には、秋の野山を飾る小さな菊の花々全体を愛でる日本人特有の愛称的な呼び方があるのかもしれません。 訪れた後は、松戸ならではの街歩きを楽しむのもおすすめです。矢切の渡しから野菊の墓文学碑に向かう途中の小川にかかった矢切橋には、野菊の墓文学碑で主人公が発した「野菊のような人」の碑があります。 矢切駅近くの麺王で食べた揚げ餃子にはねぎがたっぷり入っていました。これは矢切ねぎでしょうか。ラーメンもおいしかったです。 松戸市にある野菊の墓文学碑は、作者の足跡や物語の背景をひもときながら、地元ならではの「ここが舞台かもしれない」という物語を受け継いでいる大切なスポットです。 松戸に来る機会があれば、あるいは近隣にお住まいの方は、日帰りのちょっとしたお散歩コースとして訪ねてみてはいかがでしょうか。思わぬ場所に息づく文学の足跡を見つけると、日常の景色も少し違って見えてくるかもしれません。『野菊の墓』を改めて読み返した上で...

矢切の渡し:下町の風を感じる小さな旅、柴又から矢切へ渡し舟に揺られて

寅さん記念館から東に進むと江戸川に着きます。江戸川の東京の葛飾側と千葉の千葉側を行き来する船「矢切の渡し (やきりのわたし)」に乗ってみることにしました。 東京の下町情緒を味わうなら、ぜひ足を運んでみたい場所のひとつに「矢切の渡し」があります。葛飾区柴又から江戸川を挟み、対岸の千葉県松戸市矢切地区へと渡る小さな渡し舟は、江戸時代から長い歴史を紡いできた貴重な交通手段です。船着場は、映画「男はつらいよ」でおなじみの柴又帝釈天から歩いてほど近い場所にあり、あの参道の賑わいとはまた違った、穏やかな川辺の雰囲気が漂っています。 かつては橋が十分に整備されておらず、江戸川沿いの人々はこの渡し舟を生活道路として利用してきました。現在ではモーターボートや橋が当たり前の時代になりましたが、矢切の渡しは地元の歴史と文化を守る象徴として、今なお運航を続けています。かつては手こぎが主流だった舟も、いまは小型エンジン付きの船が使われていますが、対岸までわずか数分の渡航は、川面に近い視線と静かな水音が心地よく、どこか昔にタイムスリップしたかのような気分に浸ることができます。 現在の運航は例年三月中旬から十一月下旬ごろまでは毎日運航され、12月から3月上旬は土日祝日のみの運行です。時間帯は午前から夕方までが目安ですが、天候や川の増水などでスケジュールが変わることもあります。乗船料金は片道大人は200円、子どもは100円で手軽さも魅力的です。自転車を持ち込む場合は追加料金が必要になる場合があるため、利用の際には公式情報や現地案内をチェックしておくと安心です。 川の向こう岸に着くと、柴又の門前町とは打って変わって、のんびりとした風景が広がります。周辺には畑や田園が残されていて、都心からそれほど遠くないとは思えない、のどかな里の空気を味わうことができます。もちろん渡し舟に乗らずとも、江戸川の土手を散策して川風を感じるのもおすすめですが、舟旅は短いながらにいつもと違った視点からこの地域を楽しむことができる特別な体験だと感じます。 矢切側では、名物の矢切ねぎが売っていました。 ちあきなおみや細川たかしの歌に「矢切の渡し」というのがありますが、子供頃聞いていたので、ずっと「やぎりの私」と思っていました。舟のことだったんですね。なお、矢切というのが、「やきり」だったり「やぎり」だったりしますが、地名としては...

葛飾柴又寅さん記念館/山田洋次ミュージアム:まるで映画のセット!?寅さんが迎えてくれる柴又散歩

山本亭を南に行くとすぐに葛飾柴又寅さん記念館があります。 都内屈指の下町情緒が息づく葛飾区柴又。その中心を歩いていると、まるで昭和の映画の世界に迷い込んだような懐かしい空気が流れています。ここは映画「男はつらいよ」でおなじみの寅さんの故郷として知られ、いまだに多くの観光客を魅了し続ける場所です。そんな柴又の魅力を語る上で外せないスポットのひとつが「葛飾柴又寅さん記念館」です。 駅から少し歩き、柴又帝釈天へと続く門前町の賑わいを抜けた先にあるこの記念館には、映画「男はつらいよ」の世界観を丸ごと味わえるさまざまな展示が並んでいます。まず館内へ入ると、スクリーンを通して見た懐かしい場面や登場人物の様子が目に飛び込み、まるで映画のセットにそのまま足を踏み入れたかのような感覚に包まれます。登場人物たちが暮らす団子屋「くるまや」の店先や、寅さんがいつもふらりと帰ってくる家の雰囲気を再現したコーナーは、長年シリーズを愛してきたファンにとって感慨深く、初めて訪れる人にとっても昭和の生活文化が垣間見える印象的な空間となっています。 また、撮影現場の裏側を語る写真やポスター、台本など、ここでしか見られない貴重な資料も充実しているのが魅力です。ステージ裏の俳優やスタッフの様子を映したスチール写真は、作品のファンならずとも「映画づくり」という過程の面白さを感じさせてくれます。懐かしいポスターや実際に使われた小道具を眺めていると、「男はつらいよ」がいかに時代を越えて多くの人の心に刻まれてきた作品なのかを再認識させられます。さらに、主演を務めた渥美清さんの生い立ちや人柄を伝える展示には、スクリーンの中の寅さんとはまた違った、素の姿のあたたかみを感じることができるエピソードが盛りだくさん。作品を一層身近に感じながら、昭和から平成にかけての日本の庶民文化に思いをはせることができるのも、この記念館の魅力です。 葛飾柴又寅さん記念館では、当時の柴又の様子も展示されています。特に、 帝釈人車鉄道について、駅や車両、ミニチュアなどが展示されています。 帝釈人車鉄道(たいしゃくじんしゃてつどう)とは、東京・葛飾区柴又の帝釈天(題経寺)を訪れる参詣客の利便を図るため、大正時代に計画・運行されていた“人力による鉄道(人車鉄道)”の呼称です。現在のような鉄道や路面電車がまだ十分に整備されていなかった時代、簡便な輸...

葛飾区 山本亭:下町情緒に酔いしれるやすらぎ時間

柴又帝釈天から東に向かうと山本亭(やまもとてい)に到着します。寅さん記念館への通り道としての役割もあり、素通りしてしまう人も多いかもしれません。 駅から歩いて少しだけ細い路地を抜けると現れる山本亭は、昭和の香りを残す一角にありながらも、どこか優雅で凛とした空気が漂っています。表門をくぐると、まるで別世界に迷い込んだかのような落ち着いた空間が広がり、静かな庭を目にした瞬間に日々の忙しさを忘れさせてくれます。木造の建物は大正から昭和初期にかけて建てられたものです。 山本亭はもともと、江戸時代後半から瓦製造を行っていた鈴木家の屋敷と工場がありました。1923年(大正12年)の関東大震災によって、瓦製造をやめてしまいました。台東区でカメラ部品を製造していた山本栄之助が、ここに居を移し整備しました。土蔵は山本亭の最も古い建造物で、山本が居を移す前の在ったようです。 山本亭全体としては書院造風の古風な日本建築ですが、時計などの洋風の要素が絶妙にマッチしているのが印象的でした。 唯一の洋間である鳳凰の間は、ステンドグラスから差し込む光が不思議と調和し、まるで大正ロマンの舞台にタイムスリップしたような感覚を味わえます。 山本亭の最大の見どころの一つが、手入れの行き届いた日本庭園です。池を配した庭には石灯籠が置かれ、草木の彩りが四季によって表情を変えます。特に晴れた日に縁側から眺める庭の美しさは格別で、池に映り込む空の青さまでもが一枚の絵画のように思えます。雨の日には水面に落ちる滴のリズムが心地よく、訪れるタイミングによって違う顔を見せてくれるのが魅力です。周囲の音がふと途切れたように感じるほど静かで、時間の流れがゆっくりと感じられます。 建物の一角には喫茶コーナーがあり、抹茶やコーヒーをいただきながら、静かに景色を堪能することができます。畳に腰を下ろし、正面に広がる庭を眺めていると、まるで映画のワンシーンに入り込んだような気分になります。都心からそれほど離れていない場所にもかかわらず、非日常的なくつろぎが味わえるのは、山本亭がひそやかに守り抜いてきた歴史と、建物や庭に宿る美意識があってこそなのでしょう。 地下に築かれた防空壕も山本亭の歴史遺産としての価値を高めています。 都会の喧騒を離れてゆったりとした気分を味わいたい方には、山本亭で過ごす数時間は最高の癒やしになるのではないでしょ...

柴又帝釈天:彫刻の芸術と静寂の庭園に心ほどける一日

帝釈天参道を抜けると、柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)の二天門が見えてきます。 下町情緒が色濃く残る東京・柴又の中心にある柴又帝釈天は、正式名称を「経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)」といい、創建は1626年(寛永6年)にさかのぼると伝えられています。江戸川の穏やかな流れに寄り添うこの土地に足を踏み入れると、まるで昭和の時代にタイムスリップしたかのような不思議な感覚が広がるはずです 柴又帝釈天の名の通り、帝釈天の信仰と庚申信仰とも関連して多くの参詣人を集めるようになりました。また、柴又七福神では毘沙門天になります。 柴又帝釈天に到着すると、最初に目を引くのは重厚な帝釈堂の造りと、その周囲を飾る精巧な木彫りの彫刻です。帝釈堂は、棟梁坂田留吉の指揮のもとに作られました。 帝釈堂の廊下を奥に進むと、彫刻ギャラリーと庭園の邃渓園(すいけいえん)を見ることができます。 帝釈堂の彫刻ギャラリーは仏教説話や自然の草花が力強くも繊細に掘り込まれており、じっと眺めていると当時の彫師たちの熱量に触れられる気がします。加藤寅之助、金子光清、木嶋江運、石川信光、横谷光一、石川銀次朗、加府藤正一、山本一芳、今関光次、小林直光などの彫刻師により制作されました。彫刻の下絵は高山栄州が描いています。 奥に進むと広がるのは邃渓園と呼ばれる庭園です。四季折々の緑が敷石や池、滝の流れと見事に調和し、都会であることを忘れてしまうほどの静謐さに包まれます。昭和初期に長井楽山が当時の庭園に大幅に手を加え、昭和40年ごろには現在の姿が完成しました。現在、庭園に直接入ることはできませんが、廊下から周囲を一周でき、わずかに聞こえる水音に心が解けていくようで、この空間だけが時間の流れをゆるめているかのような心地良さを味わえるのです。 アクセスも比較的簡単で、東京の中心部から乗り換えを重ねてもそれほど時間はかかりません。柴又駅に降り立った瞬間から、東京の下町文化が今も息づいている景色が広がり、境内までの道のりですら旅情をくすぐります。日々の忙しさをちょっと忘れたい時には、昔ながらの建物や人々の温かみ、寺院の静穏な空気に包まれて、自分をリセットしてみるのはいかがでしょうか。江戸川が運んでくれるそよ風と共に、ほっと心がほどけるような体験が待っています。 旅程 東京 ↓(鉄道) 金町駅 ↓(徒歩約20分) 帝釈...