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8月, 2024の投稿を表示しています

古代オリエント博物館:遥かなるメソポタミア、文明のはじまりに触れる

今日は、台風10号で雨が降っていたため、駅から近い古代オリエント博物館に行ってきました。 古代オリエント博物館は、サンシャインシティの7Fにあります。現在は、「聖書の世界 ―伝承と考古学―」というイベントが開催されていて、旧約聖書の原典の複製などが展示されています。 古代オリエント博物館は、1978年に、古代オリエント専門の博物館として開館しました。 古代オリエント博物館には、古代オリエントの資料が展示されていますが、古代オリエントに関する調査研究も行っています。例えば、シリア北部のルメイラ・ミショルフェ地区にあるテル・ルメイラ遺跡の発掘調査を行いました。 テル・ルメイラ遺跡には、上層、中層、下層の三段の地層があり、およそ1800年間都市として使われてきた形跡が残っています。各層からそれぞれの時代の土器などが見つかっています。 下層は、紀元前2300~紀元前2000年ごろの前期青銅器時代の農村の跡で、出土品から地中海沿岸からメソポタミアまで幅広い交流があったこと分かりました。土器は無文が主流でした。 中層は、紀元前2000年~紀元前1600ごろの中期青銅器時代の集落で、ハンムラビ王の時代の日常生活の遺物が多く出土しました。土器は櫛描文土器(くしがきもんどき)が増えました。 また、家形の土製品も出土しています。奉献用の器などと出土したことから、日本の神棚のように祭祀で使われたと考えられています。 上層は、紀元前900~紀元前600年の中期鉄器時代の城壁に囲まれた町が見つかりました。 他にも旧石器時代からのオリエントの多くの資料が展示されています。 旅程 東池袋駅 ↓(徒歩) 古代オリエント博物館 ↓(徒歩) 東池袋駅 関連イベント 周辺のスポット サンシャイン水族館 サンシャインシティ マスジド大塚 地域の名物 関連スポット 岡山市立オリエント美術館 リンク 古代オリエント博物館 サンシャインシティ バリアフリー情報サイト|古代オリエント博物館

たばこと塩の博物館: 第45回夏休み塩の学習室 買い物ゲームで塩さがし!2024

今日も東京は30度を超える猛暑で、都内のたばこと塩の博物館に行きました。 たばこと塩の博物館は、名前の通り、たばこと塩をテーマとする博物館で、日本たばこ産業が運営しています。 たばこと塩は、大蔵省の外局の専売局が専売として担当した品目でした。専売局が専売した品目は他に樟脳(しょうのう)、アルコールなどがあります。 1949年(昭和24年)、専売局は日本専売公社に分離しました。 1985年(昭和60年)、日本専売公社は民営化され日本たばこ産業(JT)になりました。 たばこと塩の博物館は、1978年(昭和53年)に、日本専売公社によって東京都の渋谷区に設立されました。現在の博物館の前にあるモニュメントは、このときに制作されたモニュメントで、19世紀初めごろのスウェーデンのたばこ屋の看板が原形です。 2015年(平成27年)に老朽化のため、墨田区の現在の地に移転しました。 今の時期は子供たちの夏休みなので、企画展として「第45回夏休み塩の学習室 買い物ゲームで塩さがし!2024」が開催されていました。 塩と言えば、当然しょっぱい料理に使う食塩ですが、他に、そのまま一般工業で使用した理、ソーダ工場で薬品にする使い方があります。 食品用としては、味付け、ねばり、防腐・発行の役割があります。 味付けは、塩味をつけるために使われ、一般的によく知られています。 ねばりを出す使い方としては、かまぼこ、パン、うどんのコシなどに使われます。 防腐・発行の用途としては、味噌、しょうゆなどに使われています。塩じゃけも味付けだけでなく、防腐用途としても使われています。 一般工業での使われ方は、革製品のために、皮になめし加工をするために使われ、皮を革に加工するために使われます。 また、合成ゴムもゴムの粒からゴムを作るために利用されています。砂糖の生産にも使われています。 雪国で道路の凍結を防ぐために使用するのも、工業用途です。 ソーダ工業用としては、苛性ソーダ、塩素、ソーダ灰にして、他の製品になります。 苛性ソーダは、せっけん、紙、アルミ、セロハン、レーヨンなどの生産に使われます。原料の一部として使われたり、生産中の処理のために使われたりします。 塩素は、塩化ビニルになりプラスチック製品の生産に使われたり、ウレタン樹脂になりシート、塗料の生産に使われたり、漂白剤、水道水(殺菌)などの生産や原料に...

旧安田庭園:安田善次郎と江戸の面影

刀剣博物館の後、旧安田庭園(きゅうやすだていえん)にも寄りました。今日は最高気温38度の猛暑で、木陰で少し涼もうと思いましたが、そんなレベルの暑さではありませんでした。 東京・両国の喧騒から少し足を伸ばすだけで、静寂と緑に包まれた空間に出会える場所があります。それが、旧安田庭園です。この庭園は江戸時代後期に本庄松平氏の常陸国笠間藩主・本庄宗資 (ほんじょう むねすけ)の下屋敷の庭園として造られ、明治時代に安田財閥の創始者である安田善次郎(やすだ ぜんじろう)によって整備されたことで知られています。現在は東京都墨田区が管理する、入園無料の日本庭園として多くの人々に親しまれています。 本庄宗資は江戸時代中期から後期にかけて活躍した常陸国笠間藩の藩主であり、笠間藩約8万石を治めていました。本庄家は徳川幕府に仕える譜代大名として、幕政において重要な役割を担っていました。宗資は政治的な手腕だけでなく、文化や庭園造りにも深い関心を持っていたと考えられています。その証として、旧安田庭園は江戸の大名庭園の特徴を色濃く残しており、彼の美意識と統治理念が反映された空間となっています。 安田善次郎は、幕末から明治・大正時代にかけて活躍した実業家であり、安田財閥の創始者として知られています。1838年に現在の富山県高岡市で生まれ、商才に恵まれた彼は若くして江戸に出て両替商としてのキャリアをスタートさせました。明治維新後の経済変革期において、1876年に安田銀行(現在のみずほ銀行の前身)を設立し、金融業界で大きな成功を収めました。その後、不動産業や保険業など幅広い事業に進出し、安田財閥を日本四大財閥の一つにまで成長させました。 安田善次郎は事業だけでなく、文化財の保護や社会貢献活動にも積極的に取り組んでいました。その一環として、旧安田庭園を所有し、整備したことで知られています。もともと本庄宗資の下屋敷だったこの庭園を取得した善次郎は、美しい景観を維持しつつ、一般の人々にも楽しんでもらえるように工夫を凝らしました。彼の死後、庭園は東京市に寄贈され、現在は墨田区が管理する公園として多くの人々に親しまれています。 旧安田庭園の魅力は、都会の真ん中にありながらも、訪れる人々に心安らぐひとときを提供してくれるところにあります。庭園は池泉回遊式と呼ばれる形式で、中央には心字池と呼ばれる大きな池が広がり、...

刀剣博物館: 2024年度現代刀職展

今日も東京の気温は最高気温38度の猛暑なので、都内の刀剣博物館(とうけんはくぶつかん)に行くことにしました。 刀剣博物館は、1968年(昭和43年)に日本刀専門の博物館として渋谷区で開館しました。その後、2017年(平成29年)に一度閉館し、墨田区の旧安田庭園内に移転しました。 収蔵品は、日本の刀剣、刀装、刀装具、甲冑、金工資料など約190点で、刀剣類には国宝、重要文化財、重要美術品が含まれます。平安、鎌倉、南北朝期の古名作を中心に、様々な年代、流派の作品を収蔵しています。 現在は、「2024年度現代刀職展 ー今に伝わるいにしえの技ー」という展覧会を行っています。 これは、日本美術刀剣保存協会が毎年行っている現代刀職展の作品の紹介です。現代刀職展では、現代の刀職の方が技を競って、作品を発表しています。いくつかの部門があり、それぞれ賞が与えられています。高松宮記念賞のようなものから、努力賞もあります。 作刀(さくとう)の部。刀剣そのものを制作する工程。玉鋼(たまはがね)から、鍛錬や焼入れを行い刀剣を作る工程。写真は必ずしも優秀な賞を取ったものではなく、私がなんとなくで写真を撮ったものです。 彫金の部。鍔(つば)などの金具の技量を競う部門。日本刀は刀だけでなく、鍔や鞘(さや)も芸術的であるところが、他国の武器と違います。 柄前(つかまえ)の部。柄の製作工程。朴(ほお)の木で作成した柄木の上に鮫皮(エイの皮)を巻き、その上に組紐(くみひも)を菱形に巻いて、滑り止め効果をあげ手持ちをよくする工程。 刀装(とうそう)の部。拵(こしらえ)とも言われる、鞘に漆(うるし)を施し、柄(つか)には鮫皮などで装飾し、鍔や目貫(めぬき)などの金具をつけ、仕上げる工程。 白鞘(しらさや)の部。白鞘は刀身を保存するための鞘。休め鞘とも言われた。これは、他の博物館ではあまり見かけない珍しいもの。 他にもいくつかの部門がありました。 他に、江戸時代の真言宗の僧侶の慈雲(じうん)の書なども展示されていました。 一階では、刀づくりの工程や道具についての情報が展示されています。 旅程 両国駅 ↓(徒歩) 刀剣博物館 ↓(徒歩) 両国駅 周辺のスポット 墨田区立旧安田庭園 両国国技館 江戸東京博物館 すみだ北斎美術館 浅草寺 たばこと塩の博物館 清澄庭園 地域の名物 関連スポット リンク 刀剣博物館

東京国立近代美術館: TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション

東京都千代田区の東京国立近代美術館に行ってきました。 東京国立近代美術館は、皇居の隣の北の丸公園内にある本館と、石川県金沢市にある国立工芸館があり、今回は本館に行きました。 東京国立近代美術館は、明治時代後半の19世紀末以降の近現代美術作品を収集しており、対象は絵画、版画、水彩、素描、彫刻、写真、映像、書、及び関連する資料などの多分野にわたり、日本だけでなく同時代の海外の作品も含まれます。点数は、13,000点を超え、18点の国指定重要文化財(内2点は寄託作品)も含まれます。 東京国立近代美術館は、1952年(昭和27年)に日本初の国立美術館として開館しました。その後、1969年(昭和44年)にブリヂストンの石橋正二郎が新館を北の丸公園内に開設、寄贈し、それが現在の本館の元になります。1999年~2002年まで本館を改築し現在に至ります。 この前、訪れたアーティゾン美術館を作った石橋正二郎さんが、ここにも関係していることに驚きました。 現在は「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」という展示会が行われています。東京、大阪、パリの都市に関連するアートや作者のアートが展示されていましたが、私には知識が無さ過ぎて難しかったです。 写真も自由に撮れるものが多いですが、よく分からずに眺めるだけで、唯一撮った写真が技術用語が書かれたアートでした。 「抽象に見えて実は画家は具体的に描いている」という説明のあるコーナーには、草間さんの作品があり、確かにあれは病気の草間さんが見ている世界だったな、と、少し分かった感じにはなりましたが、ほぼ理解できていません。 展示会のチケットで、常設展の「MOMATコレクション」も見れるため、念のため、そちらも見てきました。抽象画の作られ方なんかは、芸術が分かる人は抽象画から元の意図が本当に分かるのだろうか、と驚愕しながら見ていました。 同じ北の丸公園内には、旧工芸館だった東京国立近代美術館分室があります。ここは、もとは大日本帝国陸軍の近衛師団司令部庁舎で、国の重要文化財です。現在は入ることができませんが、いつか公開されるのではないでしょうか。 今回は理解が難しかったですが、10月1日から12月22日まで「ハニワと土偶の近代」という展示会があるようなので、縄文好きとしては見に行こうと思います。岡本太郎さんだけではなく、縄文の作品に魅...

上田端八幡神社

子規の墓所がある大龍寺に行ったところ、道中にお祭りののぼりがあったので、上田端八幡神社(かみたばたはちまんじんじゃ)に寄ってみました。 現在の北区の田端は、江戸時代に田端村と呼ばれ、村内は上田端と下田端に分かれていました。各地域に八幡神社が祀られていて、上田端の八幡神社が上田端八幡神社です。下田端の方は田端八幡神社です。 八幡神社(はちまんじんじゃ、八幡宮)は、八幡神(やはたのかみ)を祀る神社です。八幡神は誉田別命(ほんだわけのみこと、品陀和気命)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされています。 上田端八幡神社は、1189年(文治五年)に源頼朝が、この地の豪族豊島氏と共に奥州の藤原一族を平定(奥州征伐)し、その帰路に駐留した証として、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し、郷土の鎮守として創建されました。この由緒は、田端八幡神社と同じで、もともとは一つの神社であったとも言われています。 上田端八幡神社の近くには、「争いの杉」という杉がありました。これにはいくつかの逸話があり、奥州へ源義経を討伐に向かう途中の畠山重忠が杉か松かで家来と言い争ったという話、太田道灌が杉か松かで家来と言い争ったという話、二本杉で争うように立っていたからという話があります。この杉は鉄道の敷設の際に道灌山に移植されました。 具体的な日にちは分かりませんが、近いうちに祭があるようで、神輿の準備がされていました。 旅程 駒込駅 ↓(徒歩) 大龍寺 ↓(徒歩) 上田端八幡神社 ↓(徒歩) 田端駅 周辺のスポット 大龍寺 田端八幡神社 旧古河庭園 六義園 東洋文庫ミュージアム 地域の名物 関連スポット 田端八幡神社 リンク  

大龍寺

東京都北区の大龍寺(だいりゅうじ)に行ってきました 以前、愛媛県松山市の子規記念博物館に行ったため、子規ゆかりの大龍寺にいつか行きたいと思っていました。入口にも子規の墓所があることの碑があります。 精舎(しょうじゃ)というのは、仏教の修行僧が修行するお寺のことです。「祇園精舎の鐘の声」の祇園精舎などが有名です。 大龍寺の創建は慶長年間(1596~1615年)で、もともとは不動院浄仙寺という名前でした。 その後、天明年間(1781~1789年)になって湯島霊雲寺の観鏡光顕が中興して、大龍寺と改称したと言われています。 所々に、徳川の葵の紋があります。大龍寺と徳川の関係は分かりませんが、大龍寺は真言宗霊雲寺派で、総本山の霊雲寺が徳川との繋がりが強いため、その影響かもしれません。 大龍寺には、正岡子規(1867年(慶応3年)~1902年(明治35年))のお墓があるため、子規寺とも呼ばれています。子規は生前に「静かな寺に葬ってほしい」と伝えていたため、田端の大龍寺に埋葬されました。 また、他にジャーナリストで宮廷音楽家のエドワード・ハワード・ハウス、柔道家の横山作次郎、子規を短歌の師と仰いだ歌人で鋳金家(ちゅうきんか)の木村芳雨、陶芸家の板谷波山、実業家の大川平三郎のお墓もあります。 エドワード・ハワード・ハウス(1836年~1901年)は、アメリカ出身のジャーナリストで、アメリカのNew-York Tribuneの記者をした後、日本に渡り東京タイムスという英字新聞を創刊しました。明治政府の外交をサポートしたり、日本人の黒田琴を養女にしたりしました。明治天皇から勳二等瑞宝章を下賜されています。 木村芳雨(きむらほうう)(1877年(明治10年)~1917年(大正6年))は本業は鋳物工ですが、子規の根岸短歌会の設立時の6名のうちの一人で、子規の死後は歌誌「アララギ」にも関係しました。鋳物工としては、夏目漱石の自用印二顆も造りました。 横山作次郎(よこやま さくじろう)(1864年(元治元年)~1912年(大正元年))は、柔道家です。嘉納治五郎が創設した柔道の総本山である講道館の四天王と呼ばれました。お墓の横の碑にも「柔道界の大先輩」と記されています。 板谷波山(いたや はざん)(1872年(明治5年)~1963年(昭和38年))は、茨城県出身のの陶芸家です。出身の茨城県には板...

NHK放送博物館:放送100年へカウントダウン中!「おしん」からデジタル放送まで、放送史をめぐる静かな時間

東京都港区にあるNHK放送博物館に行ってきました。 東京・港区の愛宕山にある「NHK放送博物館」は、日本の放送の歴史に興味がある方にはぜひ訪れてほしい場所です。1956年(昭和31年)に開館したこの博物館は、日本で最初の放送専門博物館として、NHKが運営しています。地上波テレビが始まる少し前の時代から、現代のデジタル放送まで、日本の放送がどのように歩んできたのかを、数多くの展示を通して知ることができます。 館内では、初期のラジオ放送の機材や、白黒テレビの放送風景、さらにカラー放送が始まったころの貴重な映像資料などを見ることができます。NHKの名作番組――たとえば「おしん」や「プロジェクトX」、そして「紅白歌合戦」など――の映像を視聴できるコーナーもあり、当時リアルタイムで見ていた人にとっては懐かしさがこみ上げてくることでしょう。 こちらは、古いSF映画に出てくるような大きなボタンと、謎のレバーがついているので、昭和時代の機械に見えますが、1999年から2016年まで使われていました。 日本を代表する放送局であるNHKは、カラー化、デジタル化、4K、8Kと次々と技術を導入していきます。一時期3D放送なんてものもあったので、私たちが知らない間に消えていった、多くの技術もあったでしょう。 また、博物館の魅力のひとつは、実際に体験できる展示が充実していることです。アナウンサーの読み上げ体験や、昔の中継カメラを操作してみるコーナーでは、放送の舞台裏に少し触れた気分になれます。現在では放送100年に向けた特別展示も行われており、これまでの100年とこれからの未来をつなぐような展示内容になっています。 博物館は愛宕山の上にあり、周辺には愛宕神社や東京タワーなど、観光にもぴったりのスポットがあります。特に愛宕神社の「出世の石段」は急な階段で有名で、運試しのような気分で登ってみるのも楽しいかもしれません。 入館料は無料で、開館時間は午前10時から午後4時30分までです。月曜日が休館日ですが、祝日の場合は開館して翌日に休館となります。歴史を知り、懐かしさに触れ、未来の放送について考えることのできる、貴重な場所だと感じました。東京観光の合間に立ち寄ってみるのもおすすめです。 NHK NHK(日本放送協会)は、日本における放送の歴史そのものと深く関わりながら発展してきた、公共放送の中心的存...