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9月, 2024の投稿を表示しています

正上醤油店

伊能忠敬記念館を見た後、さわら舟めぐりを予約しようとしたのですが、残念ながら並んでいる途中で満員となりました。伊能忠敬旧宅に行く途中(10:30ごろ)は全然並んでいなかったので、先に予約しておくべきでした。 そろそろお昼時間でお腹がすいてきたので、正上醤油店(しょうじょうしょうゆてん)でお弁当を買って食べることにしました。 正上醤油店は、千葉県香取市佐原にある歴史ある醤油製造店です。この地域は、江戸時代から続く伝統的な商家や古い町並みが残る佐原の町として知られています。正上醤油店もその一部であり、古くから伝わる醤油づくりの技術を受け継いできました。 正上醤油店は、江戸時代の1800年(寛政12年)に、加瀬庄治郎が、油全般の製造販売業として、油正という屋号で創業しました。 1837年(天保8年)、三代目庄治郎が醤油醸造業を開始し、正上醤油と名付け、以来正上の名称を受け継いでいます。 1858年(昭和33年)、水郷一帯に産する川魚を自社製品の特選醤油で調味加工し、佃煮製造販売を開始しました。 現在は、2つ隣のいかだ焼本舗 正上で、お弁当や飲み物を買うと、正上醤油店内で食事などをしながら休憩することができます。 やき蛤あさり弁当を買い、正上醤油店に来ました。 中は、古い家具などが残っており、佐原の町並みと同様に江戸時代のものが保存されています。 もし佐原に行く機会があれば、歴史的な町並みの散策とともに、正上醤油店のお弁当を試してみるのも良い体験になるでしょう。 旅程 東京 ↓(鉄道) 香取駅 ↓(徒歩 30分) 香取神宮 ↓(徒歩 30分) 水郷佐原 山車会館 ↓(徒歩) 伊能忠敬旧宅 ↓(徒歩) 伊能忠敬記念館 ↓(徒歩) 正上醤油店 ↓(徒歩) 佐原駅 ↓(高速バス) 東京 関連イベント 周辺のスポット 水郷佐原山車会館/八坂神社 佐原町並み交流館/佐原三菱館 伊能忠敬旧宅 伊能忠敬記念館 香取神宮 諏訪神社(佐原新宿) 地域の名物 関連スポット リンク いかだ焼本舗正上 | 千葉県香取市の佃煮屋/創業寛政12年/味を造って200年 正上醤油店/千葉県

伊能忠敬記念館

伊能忠敬旧宅から樋橋(ジャージャー橋)を渡って伊能忠敬記念館に向かいます。 伊能忠敬記念館は、日本の地理学者であり測量家である伊能忠敬を記念して設立された博物館です。忠敬の生涯や業績に関する資料や展示物が豊富に揃っています。2345点の伊能忠敬関連資料(地図・絵図787点、文書・記録569点、書状398点、典籍528点、器具63点)が国宝に指定されています。 伊能忠敬(1745年 - 1818年)は、江戸時代の測量家として有名で、全国を歩き回って詳細な日本地図を作成しました。彼の地図作成技術は、当時としては非常に精密で、日本初の実測による全国地図として高い評価を受けています。 伊能忠敬記念館内は基本的に撮影禁止でしたが、一部特別展示は撮影が可能でした。 伊能忠敬記念館には、彼の測量機器や手書きの地図、当時の測量方法に関する資料が展示されています。忠敬の全国測量の旅の詳細や、その成果である「伊能図」に関する解説もあります。 忠敬は50歳を過ぎてから測量を学び始めた人物で、その生涯や学問への情熱についても深く掘り下げられています。測量を学び始める前の彼の商人としての生活や家族に関する情報も展示されています。 伊能忠敬は、48歳で伊勢神宮へ旅をしたときに、途中で緯度、方位観測を行っており、このころから天文や暦学への興味をいただいていました。 伊能忠敬は、江戸で幕府の天文方である高橋至時(たかはし よしとき)の弟子になり勉強を本格的に始めます。 伊能忠敬は、55歳から次のような10回の測量を行っています。 1800年(55歳): 第1次測量(東北・北海道南部) 1801年(56歳): 第2次測量(関東・東北東部) 1802年(57歳): 第3次測量(東北西部) 1803年(58歳): 第4次測量(東海・北陸) 1805~1806年(60~61歳): 第5次測量(畿内・中国) 1808~1809年(63~64歳): 第6次測量(四国) 1809~1811年(64~66歳): 第7次測量(九州1次) 1811~1814年(66~69歳): 第8次測量(九州2次) 1815~1816年(70~71歳): 第9次測量(伊豆諸島、忠敬は不参加) 1816(71歳): 第10次測量(江戸) 1818年、忠敬は73歳で亡くなり、源空寺に埋葬されました。 その後、没後3年の1821年に大日...

伊能忠敬旧宅

佐原町並み交流館から伊能忠敬旧宅に向かいました。 伊能忠敬旧宅は、江戸時代の日本地図作成者として有名な伊能忠敬(いのう ただたか)が、1762年(宝暦12年)に17歳で伊能家に婿養子に入り、1795年(寛政7年)、50歳で江戸に出るまで住んでいました。 正門、店舗、書院(母屋)、土蔵が国指定史跡に指定されています。正門は忠敬が婿養子に入る以前の建物で、書院は忠敬が設計したと伝えられています。店舗は桁行(けたゆき)七間、梁間三間の切妻、土蔵造りです。 土蔵は、桁行四間、梁間三間切妻造りで、入口の扉は観音開きが普及する以前の引き戸のもので、貴重な土蔵です。 伊能忠敬は、全国の測量を行い、正確な日本地図を完成させたことで広く知られています。彼の旧宅は千葉県香取市(旧佐原市)にあり、彼の功績を記念して保存されています。 旧宅は江戸時代の建築様式を残し、当時の生活や文化を感じることができる場所です。忠敬がどのような環境で育ち、測量技術や天文学に対する興味を深めていったのかを知ることができます。また、隣接する伊能忠敬記念館では、彼の生涯や業績に関する展示が行われており、彼が日本の地図を作成する際に使用した器具や資料も展示されています。 伊能忠敬は50歳を過ぎてから本格的に測量を始め、その精密な測量技術は現代にも影響を与えています。 庭には、伊能忠敬が1791年(寛政3年)に、長男の景敬(かげたか)に与えたという家訓の碑があります。 第一 仮(かり)にも偽(いつわり)をせす孝弟忠信(こうていちゅうしん)にして正直たるへし 現代訳: かりそめにも人をあざむくことをせず、親に孝行兄弟仲良く、人には真心を尽くし、正直にしなさい 第二 身の上の人ハ勿論(もちろん)身下の人にても教訓異見(きょうくんいけん)あらは急度(きっと)相用(あいもちい)、堅(かた)く守るへし 現代訳: 目上の人はもちろんのこと、目下の人のいう事でも、なるほどと思ったら取り入れるようにしなさい 第三 篤敬謙譲(とくけいけんじょう)とて言語進退(ごんごしんたい)を寛容ニ諸事(しょじ)謙(へりくだり)り敬(つつし)ミ、少(いささか)も人と争論(そうろん)など成べからず 現代訳: あつく敬い、ヘリ下るというように、物の言い方や動作をこせこせせず、総べての事につけてへり下り慎み、決して人と争いなどしてはいけません 彼の旧宅と...

佐原町並み交流館/佐原三菱館

水郷佐原山車会館から佐原町並み交流館に徒歩で向かいました。この後、伊能忠敬(いのう ただたか)関連のスポットを廻りつつ、 小江戸さわら舟めぐりで船から 佐原(さわら)の街並みを見ようかと思っていたのですが、他のスポットを見てから、舟の予約に行こうとしたところ、途中でその日の予約が埋まってしまいました。舟めぐりをしたい場合は、他のスポットを廻る前に予約しておくと良いです。 佐原は、江戸時代から利根川水運の中継地として発展し、商人の町として栄えました。江戸、明治、大正、昭和期の町屋、土蔵、レンガ造りなどの情緒漂う建物が数多く残っています。関東で初めて重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。 佐原町並み交流館は、千葉県香取市佐原の歴史的な町並みを訪れる観光客向けの情報提供施設です。佐原の町並みや歴史を深く理解するための資料や展示があり、観光の拠点としても利用されています。 佐原町並み交流館では、佐原の歴史的な町並みや文化を紹介するパネルや模型、映像資料が展示されています。特に、江戸時代から続く商業や町並みの変遷について詳しく学ぶことができます。 佐原の周辺観光スポットやイベント、飲食店などの情報を提供しており、観光客にとって便利な情報発信拠点となっています。また、マップやパンフレットも用意されているので、観光ルートを計画する際に役立ちます。 佐原町並み交流館に隣接する佐原三菱館も、歴史的な建物を再利用しており、町並みの保存と現代の生活との調和を体現しています。伝統的な建築様式を体感しながら、現代的な施設として利用することができます。 佐原三菱館(さわらみつびしかん)は、千葉県香取市佐原にある歴史的建造物で、1914年(大正3年)に建てられた洋風建築です。かつては、三菱財閥の銀行支店として使用されていたことから「佐原三菱館」と呼ばれています。この建物は、歴史的な価値が高く、現在では香取市の重要文化財に指定されています。  佐原三菱館は、大正時代に建設された洋風建築の代表例で、赤レンガの外壁や石造りの装飾が特徴的です。当時の銀行建築らしい荘厳な雰囲気を持っており、近代建築史においても貴重な存在です。 建物は、元々三菱銀行の支店として利用されていました。三菱財閥が商業の中心であった佐原に拠点を置いたことを示しており、当時の地域経済における重要性が窺えます。 佐原三菱...

水郷佐原山車会館/八坂神社

香取神宮(かとりじんぐう)から徒歩で、佐原(さわら)の重要伝統的建造物群保存地区にある水郷佐原山車会館に向かいました。 水郷佐原山車会館は、千葉県香取市の佐原地区にある博物館で、伝統的な山車(だし)文化を紹介しています。特に、佐原の大祭で使われる豪華な山車が展示されており、祭りの歴史や地域の文化を学ぶことができます。また、山車の立体的な彫刻や装飾も見どころです。 この会館では、佐原の大祭(さわらのたいさい)の夏祭りや秋祭りに関する展示や資料を通じて、江戸時代から続く山車文化の魅力を詳しく知ることができるほか、祭りの映像も鑑賞できます。 佐原の大祭(さわらのたいさい)は、佐原地区で行われる伝統的な祭りで、「佐原の山車行事」としてユネスコの無形文化遺産にも登録されています。大祭は夏と秋の年2回開催され、それぞれ「夏祭り」と「秋祭り」と呼ばれます。江戸時代から続くこの祭りは、関東屈指の山車祭りとして知られており、豪華な山車や祭り囃子、勇壮な雰囲気が特徴です。 夏祭りは、八坂神社祇園祭とも言い、7月中旬に行われます。八坂神社の神輿(みこし)が町内を巡行し、合わせて10台以上の山車が引き回されます。佐原の町を背景に、豪華に飾り立てられた山車が巡る姿は壮観です。各山車には江戸時代の名工たちが手掛けた見事な彫刻が施され、その上に勇ましい武者や歴史的な人物の人形が載せられています。高さもかなりあり、道を進む姿は圧巻です。 八坂神社は、水郷佐原山車会館のすぐ隣にあります。 秋祭りは、諏訪神社例大祭とも言い、10月中旬に行われます。夏祭りと同様に、諏訪神社の神輿を中心に山車が町中を練り歩きますが、秋祭りは「本宿地区」と呼ばれる別のエリアで行われます。山車の数は秋祭りも10台以上で、壮麗な行列が続きます。秋祭りは紅葉が始まる時期に行われるため、秋の景色と山車の調和が美しいと評されています。 山車は各町内で所有され、町の誇りとして管理されています。佐原の山車は、4輪2層の曳山(ひきやま)で、豪華な彫刻や装飾が施されています。いわゆる「江戸型山車」とは異なり、独自に発展を遂げ歴史的な技術と文化の結晶といえます。材料は主にケヤキ材を用い、その他にヒノキ材やカシ材などで造られています。 ※曳山(ひきやま):  飾り物を据えた山車(だし) 山車の最上部「大天井」と呼ばれる部分には...

香取神宮

台風の影響で関東の気温が30度を下回ったので、千葉の佐原(さわら)に来ました。まずは、香取駅から香取神宮(かとりじんぐう)に向かいます。 香取神宮は、千葉県香取市に位置する重要な神社で、全国に約400社ある香取神社の総本社です。創建は紀元前643年(神武天皇18年)とされ、非常に古い歴史を持っています。香取神宮は、武道や戦勝祈願の神として知られる経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を祀っています。 香取神宮の本殿は、現存する建物は1700年(元禄13年)に建てられたもので、重要文化財に指定されています。黒漆塗の壁や柱が特徴で、静かな森の中に佇む神秘的な雰囲気が漂っています。 拝殿は、昭和の大修築による造営で、軸部には黒漆塗、組物・蟇股には極彩色が施され、本殿に釣り合った体裁に改められました。 楼門(ろうもん)も、本殿と同じ1700年(元禄13年)に建てられたもので、こちらも重要文化財に指定されています。(現在、修営工事中です) 祈祷殿(旧拝殿)も、1700年(元禄13年)に建てられたもので、千葉県指定文化財です。 香取神宮では、年間を通じて様々な祭りや行事が行われています。特に有名なのは「御田植祭」(おたうえさい)で、これは農業の神事として稲作の豊穣を祈願するものです。また、武道の大会や神事も頻繁に行われ、武道の神としての信仰が今も続いています。 香取神宮は、関東地方における観光地としても人気があり、自然豊かな環境で神聖な雰囲気を味わえる場所です。 旅程 東京 ↓(鉄道) 香取駅 ↓(徒歩 30分) 香取神宮 ↓(徒歩 30分) 水郷佐原 山車会館 ↓(徒歩) 伊能忠敬旧宅 ↓(徒歩) 伊能忠敬記念館 ↓(徒歩) 正上醤油店 ↓(徒歩) 佐原駅 ↓(高速バス) 東京 関連イベント 御田植祭(おたうえさい): 4月第1土曜・日曜。日本三大御田植祭 例祭・神幸祭: 4月14日・15日 周辺のスポット 佐原町並み交流館/佐原三菱館 水郷佐原 山車会館 伊能忠敬旧宅 伊能忠敬記念館 諏訪神社(佐原新宿) 地域の名物 関連スポット 鹿島神宮: 東国三社 息栖神社: 東国三社 リンク 香取神宮 | 千葉県香取市 全国約400社の香取神社の総本社 香取神宮ってどんなところ?見どころや御朱印やアクセス情報等もご紹介します。|特集|千葉県公式観光サイ...

東洋文庫ミュージアム:天井まで連なる本の森、知の迷宮で出会う国宝

六義園近くの東洋文庫ミュージアムに来ました。 東洋文庫ミュージアムは、東京都文京区に位置する、東洋学に関する研究や貴重な資料の収集・保存を行っている施設です。主に東洋文庫が所蔵する書籍や資料を展示し、東アジアや中東、インドなど、アジア全域にわたる文化、歴史、思想に焦点を当てています。 東洋文庫は、1924年に、三菱財閥の第3代総帥岩崎久弥(いわさき ひさや)が、ジョージ・アーネスト・モリソンの所蔵する文献のコレクションを一括購入(現在の価値で約70億円)し、さらに和書・漢籍をはじめとする東洋諸言語文献を購入して、民間の図書館兼研究所として設立されました。 モリソンのコレクションは「モリソン文庫」と呼ばれ、約24,000点に及ぶ貴重な書籍コレクションで、東洋文庫の中心的コレクションとなっています。 国宝や重要文化財も所蔵されており、常に展示されているのかは分かりませんが、いくつか展示されていました。 国宝は、文選集注(もんぜんしっちゅう)が展示されていました。展示されていたものは、10~12世紀(平安時代)の書写です。「文選」とは、中国南北朝時代の南朝梁の皇太子・蕭統(しょう とう、昭明太子(しょうめいたいし))が、春秋戦国時代から梁より前の約1000年間に生まれた文学作品の中から、約800篇の優れた作品を選んで編纂した詩文集です。 重要文化財は、論語集解(ろんごしっかい)が展示されていました。1315年(正和4年)に書写されたものです。論語集解のオリジナルは、三国時代の魏の儒学者である何晏(か あん)が論語の注釈を集めて編纂した、現存する最古の論語の注釈書です。 展示を通じてアジアの豊かな文化遺産に触れ、静かな環境で知識を深めることができる、文化的な拠点となっています。 旅程 駒込駅 ↓(徒歩10分) 東洋文庫ミュージアム ↓(徒歩10分) 駒込駅 関連イベント 周辺のスポット 六義園 旧古河庭園 大龍寺 上田端 八幡神社 地域の名物 関連スポット リンク 東洋文庫ミュージアム|公益財団法人 東洋文庫 東洋文庫ミュージアム | 文京区

長崎神社(東京都豊島区椎名町): 例大祭:豊島区の癒しのスポット

西武池袋線の椎名町駅はよく利用するのですが、そのすぐ近くに長崎神社(ながさきじんじゃ)があります。普段は人気もない神社ですが、毎年9月の例大祭の2日は駅前の道が歩けないぐらい人であふれかえります。今年は9月7日、8日が例大祭でした。 東京都豊島区の椎名町駅近くにひっそりと佇む「長崎神社」は、都会の喧騒を忘れさせる落ち着いた雰囲気の神社です。この地域の歴史と文化に触れながら、心安らぐひとときを過ごせる場所として知られています。 境内には、印象的な狛犬が鎮座しています。 特に左側の狛犬は、親子の姿をしており、訪れる人々の目を引きます。この親子狛犬は、家族の絆や子供の成長を象徴していると言われ、家族の健康や幸せを願う参拝者にとっては心強い存在となっています。 長崎神社の創建時期は不詳ですが、伝えられるところによると、少なくとも江戸時代以前にはこの地域に存在していたとされています。昔は武州豊島郡「長崎村」(現在の豊島区長崎、南長崎、千早、要町、高松、千川、目白4丁目、5丁目、西池袋4丁目、5丁目、池袋3丁目の一部)と呼ばれていた農村地帯で、神社はこの地域の鎮守として信仰されてきました。現在もなお、椎名町エリアの住民にとっては生活に密着した大切な場所となっています。 江戸時代には、長崎村は農村として栄え、周辺は田畑が広がるのどかな地域でした。長崎神社は、その中心にあり、村の守り神として信仰されていました。当時は、仏教の十羅刹女(じゅうらせつにょ)を祀っていて、十羅刹女社(じゅうらせつにょしゃ)と呼ばれていました。境内には、1733年(享保18年)に奉納された「十羅刹女」と刻まれた手水鉢が残されています。 隣接する金剛院は、1868年(明治元年)の神仏分離まで、長崎神社の別当寺でした。 1872年(明治5年)に廃仏毀釈(神仏分離)により十羅刹女は祭神から排除され、代わりに埼玉県の氷川神社から須佐之男命(すさのおのみこと)の分霊を合祀して勧請し、氷川神社に改称しました。 1874年(明治7年)、長崎神社に改称しました。 本殿は、1849年(嘉永2年)に、拝殿は1899年(明治32年)に建立されました。旧社殿は絵馬を納める額堂として使用されています。ほかに山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)揮毫(きごう※)の神社額と祭礼幟(さいれいのぼり)があります。 ※揮毫(きごう): 毛筆...

根城:復元された中世の暮らし、南部氏ゆかりの地を歩く

八戸市博物館からすぐ横の根城に向かいました。 根城(ねじょう)は、日本の青森県八戸市にあった中世の城で、南部氏によって築かれました。南北朝時代に、南朝側の武将である南部師行(なんぶ もろゆき)が築いたのが始まりとされています。この城は、八戸地方を支配する拠点となり、その周辺には町も形成されていました。 根城は典型的な中世の城で、自然の地形を活かして防御を固め、土塁や堀で囲まれていました。天守閣などの大規模な石造りの建築はなく、主に木造の建物や、土を使った構造が特徴的です。 根城は14世紀頃に築かれ、その後も何度か増改築が行われましたが、江戸時代になると廃城となりました。 現在、根城跡は「八戸根城跡」として国の史跡に指定されており、復元された主殿や庭園、当時の生活様式を再現した展示が行われています。 八戸市博物館も併設され、根城の歴史や文化を学ぶことができる観光スポットです。 旅程 東京 ↓(新幹線) 八戸駅 ↓(徒歩 約40分) 櫛引八幡宮 ↓(徒歩 約1時間20分) 是川縄文館 ↓(徒歩 約1時間20分) 八戸市博物館 ↓(徒歩) 根城 ↓(徒歩 約50分) 八戸駅 関連イベント 周辺のスポット 櫛引八幡宮 是川縄文館 八戸市博物館 みろく横丁 八戸ポータルミュージアム はっち 八戸市美術館 三八城公園 地域の名物 八戸せんべい汁 サバ料理 イカ料理 南部せんべい しゅうれん(酒粕甘酒) 八戸ラーメン ホヤ料理 八戸ワイン 関連スポット 南部お城めぐり 種里城 浪岡城 野辺地城 七戸城 聖寿寺館 三戸城 九戸城 姉帯城 久慈城 盛岡城 高水寺城 鍋倉城 土沢城 花巻城 金澤城 リンク 史跡根城の広場 | VISIT HACHINOHE | VISITはちのへ観光物産サイト 史跡 根城の広場 | 八戸市博物館・史跡 根城の広場 復原された中世の城 -根城-/八戸市

八戸市博物館: きらめく八戸-写真・新聞で見る昭和40年代-

是川縄文館で昼食を取り、八戸市博物館へ徒歩で向かいました。Google Mapで見て、約1時間30分だったのと、日が高くなり気温も上がってきたので、少し躊躇しましたが、バスの時間まで30分あるので、思い切って歩き出しました。 八戸市博物館(はちのへしはくぶつかん)は、青森県八戸市の歴史や文化、自然に関する資料を展示しています。博物館は、八戸市および周辺地域の長い歴史や文化的な遺産を広く紹介する施設として設立され、地元の遺跡や民族資料を中心に、さまざまな展示が行われています。 八戸市博物館では、八戸市やその周辺地域の先史時代から近代までの歴史を紹介しています。特に、縄文時代や弥生時代、古墳時代の遺跡や出土品が展示されており、古代からの八戸地域の歴史を理解することができます。 八戸地域の伝統的な暮らしや文化に関する資料が展示されており、特に漁業や農業、伝統工芸などが紹介されています。 地域の祭りや風習、衣装なども展示されており、昔の生活や文化を知ることができます。 八戸市およびその周辺地域の自然環境に関する展示も行われており、地元の動植物や地質に関する資料が見られます。 定期的にテーマに沿った特別展示や企画展示が行われており、八戸市や青森県内外の文化・歴史に触れる機会が提供されています。現在は、「きらめく八戸-写真・新聞で見る昭和40年代-」が開催されています。 八戸市博物館は、八戸市の文化や歴史に興味がある方や、青森県内を訪れる観光客にもおすすめの場所です。 旅程 東京 ↓(新幹線) 八戸駅 ↓(徒歩 約40分) 櫛引八幡宮 ↓(徒歩 約1時間20分) 是川縄文館 ↓(徒歩 約1時間20分) 八戸市博物館 ↓(徒歩) 根城 ↓(徒歩 約50分) 八戸駅 関連イベント 周辺のスポット 櫛引八幡宮 是川縄文館 根城跡 みろく横丁 八戸ポータルミュージアム はっち 八戸市美術館 三八城公園 地域の名物 八戸せんべい汁 サバ料理 イカ料理 南部せんべい しゅうれん(酒粕甘酒) 八戸ラーメン ホヤ料理 八戸ワイン 関連スポット リンク 八戸市博物館・史跡 根城の広場 八戸市博物館・史跡 根城の広場 : 旧HP 八戸市博物館/八戸市