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7月, 2024の投稿を表示しています

SOMPO美術館: ロートレック展

新宿にあるSOMPO美術館に行ってきました。 若いころは旅行先の有名な美術館ですら入ることがないぐらい興味がありませんでしたが、今は芸術についても一般常識ぐらいは理解しておこうと思い、少しずつ行くようにしています。 今はロートレック展をやっていました。正直なところ、ロートレックについては名前すら聞いたことがありません。 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは19世紀末にフランスで活躍した画家です。 ポスターなどの商業的なものも書かれていて、ムーランルージュなど知っている単語も出てきましたが、まだまだ勉強不足で全体的には理解が難しかったです。頭の片隅にでも記憶しておきたいと思います。 一部写真が許可されているものもありました。博物館や美術館にはまだまだ写真禁止のところが多いですが、SNSの普及で一部許可されているところも増えてきています。 ゴッホのひまわりも展示されています。こちらも写真撮影可です。 ゴッホのひまわりが日本にあるのかと驚きましたが、ひまわりは七点あり、そのうちの一点がSOMPO美術館にあるそうです。 ひまわり (絵画) - Wikipedia そういえば、ロンドンの ナショナル・ギャラリーでも見た気がします。いつかすべての美術館を訪ねてみたいと思います。 自宅が新宿から徒歩で約1時間なので歩いて帰りましたが、猛暑で非常に危険でした。先週の笠間も午前中で切り上げてきましたが、夏の外出は日本では難しくなり残念です。しばらくは夜までやっている施設か早朝でも入れる神社、お寺、公園に絞って行こうと思います。 本日、佐渡金山が世界文化遺産に登録されました。おめでとうございます。涼しくなったら、遊びに行きたいです。 旅程 新宿駅 ↓(徒歩5~10分) SOMPO美術館 ↓(徒歩) 帰宅 周辺のスポット 東京都庁 ルミネtheよしもと 花園神社 新宿御苑 地域の名物 関連スポット 大塚国際美術館 ノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン) ナショナル・ギャラリー(ロンドン) ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム) フィラデルフィア美術館(フィラデルフィア) リンク SOMPO美術館(新宿駅 徒歩5分)|この街には《ひまわり》がある。

茨城県陶芸美術館

笠間つつじ公園から徒歩で茨城県陶芸美術館に行きました。 道は車道のみですが、自動車とバイクが1台ずつしか見かけないぐらい人通りが少ない道です。かなりの距離があるうえに、途中で自動販売機もないので、今日のような猛暑日には二度とやりたくありません。 陶芸美術館は笠間芸術の森公園の中にあります。笠間芸術の森公園も非常に広大な公園でスポーツなどを楽しむことができます。 「近代陶芸の祖」板谷波山さんの住宅や工房を再現した展示もあります。 非常に多くの陶芸が展示されていますが、まだよく分からないので、陶芸に見えないような作品ばかり見ていました。 特別展として、小中学生の作品も展示されていましたが、正直なところプロとの違いが分からないようなももあったり、逆にプロが先鋭的な作品を作ると子供の作品のようにも見え、違いが分からないぐらい小中学生の作品も素晴らしかったです(素人の感想です)。 旅程 都内 ↓(電車約2時間半) 笠間駅 ↓(徒歩約20分) 笠間稲荷神社 ↓(徒歩) 笠間日動美術館 ↓(徒歩) 笠間つつじ公園 ↓(徒歩 かなり遠い) 茨城県陶芸美術館 / 昼食 ↓(徒歩) 笠間駅 周辺のスポット 笠間稲荷神社 笠間日動美術館 笠間つつじ公園 地域の名物 笠間焼 結城紬 関連スポット リンク 笠間市公式ホームページ 茨城県陶芸美術館 Ibaraki Ceramic Art Museum 茨城県陶芸美術館 – 茨城県教育委員会 茨城県陶芸美術館 | 観光いばらき公式ホームページ

笠間つつじ公園

笠間日動美術館のあと、笠間つつじ公園に向かいました。 しかし、途中の道に書かれていた近道らしい方へ進んだところ、森のようなところに入ってしまい、しかも人が長い間通っていないようで、草をかき分けて進むことになってしまいました。素直に大きな道を通ってきた方がよいというか、公園も入口から上までそれなりに距離があったので、自動車で行く場所のようです。 午前中とは言え、猛暑の時期にこの道の選択は大失敗でした。 公園の入口。このあと、また頂上への近道みたいな案内がありますが、草が結構高くまで伸びていて、少し遠回りでも舗装道路を進んだ方が快適です。 頂上。 街を見渡すことができるのですが、ここまでが結構きつくてあまり感動はありませんでした。 キャンプも最近の大雨のせいか、猛暑のせいか、頂上では人は見かけませんでした。 笠間つつじ公園は、名前の通り、つつじなどが植えられており、5月初旬が見頃です。4月から5月初旬にかけてつつじ祭りを開催しているので、またその時期に訪れたいです。 少しネガティブな記事になりましたが、猛暑と道を間違えた私のミスです。 旅程 都内 ↓(電車約2時間半) 笠間駅 ↓(徒歩約20分) 笠間稲荷神社 ↓(徒歩) 笠間日動美術館 ↓(徒歩) 笠間つつじ公園 ↓(徒歩 かなり遠い) 茨城県陶芸美術館 / 昼食 ↓(徒歩) 笠間駅 周辺のスポット 笠間稲荷神社 笠間日動美術館 茨城県陶芸美術館 地域の名物 笠間焼 結城紬 関連スポット リンク 笠間つつじ公園 | 観光いばらき公式ホームページ つつじまつり | 笠間観光協会公式ホームページ 笠間つつじまつり – 観光いばらき 観光 | 笠間観光協会公式ホームページ  

笠間日動美術館

笠間稲荷神社参拝のあと、すぐ近くの笠間日動美術館に行きました。 特別展示として「Art & Mystery ウキウキ謎解き! トリックアート!!」を開催していました。 絵画に入ったような写真を撮ったり、 名画を立体的に見せたりするトリックアートがいくつか展示されており、楽しみながら芸術を学ぶことができます。 多くの画家のパレットが展示されており、非常に珍しく貴重なコレクションです。 笠間日動美術館は1972年(昭和47年)に画商の長谷川仁さん、林子さん夫妻により創設されました。パレットのコレクションはお二人と画家の親交から譲り受けたものです。 旅程 都内 ↓(電車約2時間半) 笠間駅 ↓(徒歩約20分) 笠間稲荷神社 ↓(徒歩) 笠間日動美術館 ↓(徒歩) 笠間つつじ公園 ↓(徒歩 かなり遠い) 茨城県陶芸美術館 / 昼食 ↓(徒歩) 笠間駅 周辺のスポット 笠間稲荷神社 笠間つつじ公園 茨城県陶芸美術館 地域の名物 笠間焼 結城紬 関連スポット リンク 笠間日動美術館|公益財団法人日動美術財団|笠間市 笠間日動美術館 笠間市公式ホームページ

笠間稲荷神社

東京から電車で約2時間半、笠間駅から徒歩約20分で到着。 今日の目的は旅行業務取扱管理者資格の勉強で学んだ笠間稲荷神社で茨城県笠間市にある稲荷神社。 日本三大稲荷の一つと言われていますが、確実に三大稲荷と言ってよい京都の伏見稲荷大社以外は、佐賀の祐徳稲荷神社や愛知の豊川稲荷などいくつもの稲荷が三大稲荷とうたっていてはっきりと決まっているわけではありません。 到着は9時半ごろでまだ朝早いからか人はまばら。 菊の名所で10月中旬から11月末にかけて菊まつりが開催されるらしいので、いつかその時期にまた訪れたいです。 おみくじは小吉。前回は鹿島神宮で引いた人生初の凶だったので、上り調子ということだろうか。仕事がうまくいっていないということだが、そういう認識はないので、しばらく気をつけて丁寧に仕事をしていきたい。 午前中他のスポットを回ったあと、この日は猛暑でこれ以上外を回るのは危険だと感じたので、茨城県陶芸美術館で昼を食べたあと水戸経由で帰りました。 旅程 都内 ↓(電車約2時間半) 笠間駅 ↓(徒歩約20分) 笠間稲荷神社 ↓(徒歩) 笠間日動美術館 ↓(徒歩) 笠間つつじ公園 ↓(徒歩 かなり遠い) 茨城県陶芸美術館 / 昼食 ↓(徒歩) 笠間駅 周辺のスポット 笠間日動美術館 笠間つつじ公園 茨城県陶芸美術館 地域の名物 笠間焼 結城紬 関連スポット 伏見稲荷大社 祐徳稲荷神社 豊川稲荷 リンク 笠間稲荷神社 笠間稲荷神社 | 観光いばらき公式ホームページ

カップヌードルミュージアム 横浜:麺と発明の冒険譚、安藤百福のキッチンをのぞく

コロナ以降、週末の一日は都内の観光スポットをまわるのが習慣になっていますが、今日は都内で雨が降りそうだったので、少し距離を伸ばして横浜のカップヌードルミュージアムに行きました。 子供向けのアトラクションが多く小さな子供のいる家族が過ごすのに良い場所です。 自分だけのカップラーメンやチキンラーメンを作れるアトラクションもありますが、事前予約や先着順でこの日はすでに満員でした。そもそも子供向けで私は大人一人で行っているので、空いていてもよっぽど閑散としていないと参加しないと思います。 創業者の安藤百福さんのことを映像で学ぶことができます。 安藤百福さんは、48歳のときにインスタントラーメンを発明し起業されました。今の自分とほぼ同じ歳なので、この年齢でも新しいことに挑戦することが大切だと感じました。 その後、91歳で宇宙食用のラーメンを開発されているので生涯を通して挑戦されていました。 旅程 みなとみらい駅 ↓(徒歩約10分) カップヌードルミュージアム ↓(徒歩約10分) みなとみらい駅 周辺のスポット よこはまコスモワールド 横浜ランドマークタワー 横浜赤レンガ倉庫 山下公園 リンク カップヌードルミュージアム 横浜

東京都水の科学館:江東区有明で感じる、水インフラのありがたみ

有明のビル群の間を抜けて、夏の強い日差しの中を歩いていくと、「東京都水の科学館」の青いロゴが目に入ってきました。本日、江東区有明にあるこの施設を訪ね、水のこと、水道のことを改めて考える一日になりました。ここは、江戸時代からの歴史資料が並ぶ「水道歴史館」とは違い、主に水源や現代の暮らし、水道のしくみを体感的に学べるミュージアムとして位置づけられています。 館内に入ると、まず目に飛び込んでくるのは、水に直接触れられる浅いプールのような展示です。透明なドームに子どもたちがもぐり込み、水面から顔だけひょっこり出してはしゃいでいる様子が、とても楽しそうでした。 周りを見回すと、親子連れが多く、夏休み前とはいえ、ちょっとした「子ども科学博」のようなにぎわいです。木をモチーフにしたトンネル型の展示もあり、くぐり抜けながら、水が森を潤し、やがて川へと流れていくイメージが自然と頭に浮かびました。 展示の内容は、まさに「現代の水道事業」そのものです。東京の水がどこから来て、どのような経路をたどって蛇口まで届くのか、水源のダムや取水施設、浄水場から配水池、そして街中に張り巡らされた配水管まで、映像や模型、パネルで分かりやすく紹介されていました。東京の水道は江戸時代の上水に起源を持ちますが、その後、明治31(1898)年に淀橋浄水場からの給水が始まり、近代水道が本格的にスタートしました。 今では規模・水質ともに世界有数のレベルに達しているといわれており、江戸から現代までの積み重ねの上に、私たちの日常の一杯の水があるのだと実感します。 館内のあちこちには、子ども向けの体験型展示が並んでいました。水の流れを自分の手で変えてみる装置や、水の勢いを利用してタービンを回す模型など、触って、動かして初めて分かる仕組みが多く、つい大人も真剣になってしまいます。水の性質や水の循環を説明するコーナーもあり、雨として降った水が川を下り、浄水場を通って再び私たちのもとに戻ってくるまでの長い旅路を、子どもたちが楽しそうに追いかけていました。 東京都水の科学館では、実際の給水所を見学する「アクアツアー」も用意されています。 水が巨大な施設の中でどのように浄化され、安全を確認されてから街に送り出されているのかを間近で見られる貴重な機会なのですが、今回は時間の都合で参加を見送りました。せっかく水道事業の「入口」にあたる...

地下鉄博物館:東京の地下を支える技術と歴史に触れる

本日は残念ながら少し雨模様なので、葛西駅に近い地下鉄博物館を訪れました。平井大橋の近く、東京メトロ東西線の葛西駅の高架下にあるこの博物館は、地下鉄の歴史と技術が凝縮された空間で、鉄道好きにとってはまさに宝の山のような場所です。 館内に足を踏み入れると、まず目を引くのは実物の地下鉄車両たちでした。戦後すぐに運行を始めた丸ノ内線の301号車は、どこか懐かしさを感じさせる赤い車体が印象的でした。一方で、地下鉄黎明期を支えた東京地下鉄道の1001号車や、東京高速鉄道の129号車は、昭和初期のモダンな雰囲気を漂わせており、現在の地下鉄へとつながる原点を感じさせてくれます。静かにたたずむ車両たちは、それぞれが都市の成長とともに走り抜けた歴史の証人のようでした。 展示の中でも特に目を引いたのは、巨大なシールドマシンのカッターディスクです。直径数メートルにもなる円盤は、まるで怪獣の装甲のように迫力があり、東京の地下に無数のトンネルを掘り進めてきた機械の力強さを物語っていました。実際に掘削の仕組みを解説するコーナーでは、単線シールドトンネルの断面模型も展示されており、私たちが何気なく通っている地下鉄の路線の裏側にある緻密な設計と安全性への工夫を垣間見ることができました。 また、車両の屋根部分に取り付けられているパンダグラフの展示では、電気をどのように集電し、走行につなげているのかという仕組みを模型とともに学ぶことができました。普段は見上げるだけの存在ですが、こうして間近に見ることで、日常の中にある高度な技術への理解が深まりました。 館内の最後には、東京メトロ全体の路線や街の様子をジオラマで再現した「メトロパノラマ」があります。電車が走り、駅が明るく光り、都心の喧騒が精巧に再現されたその風景は、小さな箱庭ながらも、東京という巨大都市の躍動を感じさせてくれました。 地下鉄博物館は、単なる鉄道展示にとどまらず、都市のインフラを支える人々の努力や、技術の進歩、そしてそれを支えてきた長い歴史に目を向けるきっかけを与えてくれます。地下を走る電車の中に込められた無数の物語を、これからは少し違った目で見られるようになった気がしました。 また訪れたい、そんな博物館でした。 旅程 葛西駅 ↓(徒歩) 地下鉄博物館 ↓(徒歩) 葛西駅 関連イベント 周辺のスポット 江戸川区自然動物園 地域の名物 関連スポ...

旧齋藤家別邸:砂丘地の起伏が生んだ立体の日本庭園

新潟市の旧齋藤家別邸を訪ねました。最初の印象は「建物が庭を額縁にしている」ことでした。畳の間や広縁に腰を下ろすと、視線は自然と外へ開き、主庭の起伏や緑の重なりが一枚の絵のように流れ込みます。建物と庭を一体として設計する「庭屋一如」という考え方が徹底され、どの部屋からも景色が変わって見えるつくりに、迎賓の場としてのもてなしの精神を感じました。 この別邸は、港町・商都として栄えた新潟を代表する豪商・四代齋藤喜十郎が大正7年(1918)に築いたものです。敷地は約4,500平方メートル。自然の砂丘地形を巧みに読み込み、斜面に水の流れや滝を設けた池泉回遊式の庭園が広がります。戦後の所有者移転を経て新潟市が公有化し、2012年に一般公開、2015年には庭園が国の名勝に指定されました。歴史がきちんと手当てされ、今も市民と旅人に開かれていることが嬉しくなります。 室内では、板戸に描かれた日本画が目を惹きました。牡丹に孔雀、花卉、竹に鶏――佐藤紫煙による板戸絵がいくつも残り、金地の意匠とともに光の加減で表情を変えます。 建具や欄間の細工も凝っていて、材の選び方から天井の張り分けまで、当主の趣味と職人の矜持が端々にあらわれていました。 庭は広く、池のまわりを歩くたびに視点が切り替わります。斜面の上からは石組みと流れが立体的に重なり、低い場所では水面越しに主屋が静かに浮かび上がるようでした。離れの茶席へ続く小径は、賑わいから一歩離れて気持ちを整える導入路のようで、庭のリズムを変えてくれます。回遊しながら「ここを客人にどう見せたのだろう」と思いを巡らせる時間が心地よかったです。 旧齋藤家別邸は、豪奢さを誇示するのではなく、自然と調和させて品よく見せる知恵が息づく場所でした。建物の開口から四季の変化を眺め、室内の絵と金のきらめきに目を遊ばせ、池畔の風に立ち止まる――滞在のすべてが、100年前の「もてなし」を今に体験するひとときになりました。 旅程 (略) ↓(徒歩) 北方文化博物館 ↓(徒歩) 北方文化博物館新潟分館 ↓(徒歩) 旧齋藤家別邸 ↓(徒歩) 新潟駅 周辺のスポット 北方文化博物館新潟分館 新潟市美術館 新潟市水族館 マリンピア日本海 リンク 旧齋藤家別邸 – The Niigata Saito Villa 旧齋藤家別邸 |新潟の観光スポット|【公式】新潟県のおすすめ観光・旅行情...

北方文化博物館新潟分館:新潟の旧家に残る文人の気配

この日は朝から新潟観光の日でした。白鳥の越冬地として知られる瓢湖からスタートし、そこからは交通機関の本数も多くないので徒歩で、まずは郊外の北方文化博物館を訪れました。その本館からさらに移動し、再度徒歩で新潟市街地へと向かいました。 バスの本数も限られているエリアなので、阿賀野川沿いの風や住宅地の雰囲気を感じながら、少しずつ街の中心へ歩いていく道のりです。郊外の田園風景から、やがてビルの立ち並ぶ市街地へと景色が移り変わっていくのを眺めながら、「伊藤家がなぜ市内にも別邸を構えたのか」ということに思いを巡らせました。 ようやくたどり着いた北方文化博物館新潟分館は、南浜通の静かな一角に建つ、落ち着いた佇まいの旧家でした。建物は明治28年に、日本海側の油田開発で財を成した清水常作が別邸として建てたもので、その後、明治末期に伊藤家七代目・伊藤文吉によって取得され、新潟別邸となったそうです。つまりここは、郊外の「豪農の館」と市街地とをつなぐ、伊藤家のもう一つの顔が残された場所でもあります。 門をくぐると、まず目に入るのは手入れの行き届いた庭と、二階建ての和風建築、奥に控える洋館です。新潟分館の洋館は、歌人・美術史家・書家として知られる會津八一が晩年を過ごした住まいであり、現在は彼の書や資料、新潟ゆかりの僧・良寛の書も展示する博物館になっています。 館内に入ると、旧家の各部屋がそのまま展示空間として生かされているのが印象的でした。古文書や巻物が静かに並び、窓際には使い込まれた木の机が置かれています。その机の上に開かれた帳簿や筆記具を想像すると、ここで実際に誰かが腰を下ろし、仕事や創作に向き合っていた気配がふっと立ち上がってくるようでした。 床の間には掛け軸が掛かり、その脇には控えめな意匠の壺や花器が置かれています。展示のために「並べました」というよりも、かつての暮らしの延長線上にあるような、自然な配置が心地よく感じられました。伊藤家の別邸として客を迎え、やがて會津八一が住まいとした場所だけあって、華美すぎず、それでいて文化的な香りのあるしつらえです。 部屋を移動するごとに、展示内容は少しずつ表情を変えます。ある部屋では會津八一の力強い書が壁面を飾り、別の部屋では、良寛の書が静かな気配をまとって並んでいました。どちらも新潟にゆかりの深い人物であり、北方文化博物館の収集・保存活動の延長...

浦上天主堂:長崎の丘に響く祈りの光、戦争の爪痕と再生の物語

平和公園のあと、浦上天主堂(うらかみてんしゅどう)を訪れました。丘の上にたたずむこの教会は、日本のカトリック史と、戦争の歴史を静かに語り継ぐ場所です。 中に入ると、まず目に入ったのは、原爆によって破壊された遺物や、当時の様子を伝える説明資料の展示です。瓦礫となった鐘や崩れた聖像、焼け焦げた十字架の写真などは、戦争の爪痕をいまも色濃く残しており、訪れる人に平和の大切さを訴えかけているようでした。 教会内部はちょうど礼拝の最中で、写真撮影は禁止されていました。しかし、静寂のなか、陽の光を受けて輝くステンドグラスがとても印象的でした。鮮やかな色彩のガラス越しに差し込む光は、まるで希望や癒しを象徴しているようで、思わずしばらく立ち尽くしてしまいました。 浦上天主堂は、1945年8月9日の原爆投下で一度壊滅的な被害を受け、当時の信者や地域の人々も多く犠牲になりました。その後、多くの人々の努力と祈りによって再建され、現在では長崎の平和を願う象徴的な場所となっています。教会の外にも、当時のまま残された遺物が展示されており、崩れた壁や、溶けた鐘の破片などに触れることで、戦争の悲惨さと平和への誓いを改めて感じることができました。 歴史を刻みながら、いまも多くの人々が祈りを捧げる浦上天主堂。そこは、信仰だけでなく、長崎の記憶と希望が受け継がれる特別な場所だと、強く感じました。 旅程 羽田空港 ↓(飛行機) 長崎空港 ↓(バス) 中央橋バス停 ↓(徒歩) 眼鏡橋 ↓(徒歩) 出島 ↓(徒歩) 旧長崎英国領事館 ↓(徒歩) 大浦天主堂 ↓(徒歩) グラバー園 ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 長崎原爆資料館 ↓(徒歩) 平和公園 ↓(徒歩) 浦上天主堂 ↓(徒歩) 平和公園バス停 ↓(バス) 長崎空港 関連イベント 周辺のスポット 平和公園 長崎原爆資料館 国立長崎原爆死没者 追悼平和祈念館 地域の名物 卓袱料理(しっぽくりょうり) 関連スポット リンク 浦上教会 | 教会めぐり | 【公式】長崎観光/旅行ポータルサイト ながさき旅ネット 浦上教会(浦上天主堂) | スポット | 長崎市公式観光サイト「travel nagasaki」 長崎原爆と浦上天主堂 — Google Arts & Culture 浦上天主堂|写真|ライブラリ|九州観光機構 KYUSHU ONLINE MEDI...

平和公園(長崎):静寂の中で想う平和、声なき声に耳を澄ます、原爆の記憶を辿る旅

日帰りで長崎観光に来ました。午前中はグラバー園などを廻り、午後は平和公園に来ました。 長崎の平和公園を訪れると、静けさの中に込められた深い祈りと歴史の重みを感じます。この公園は、1945年(昭和20年)8月9日に長崎に投下された原子爆弾の記憶を今に伝え、世界の恒久平和を願うために整備された場所です。市の中心部からもアクセスしやすく、長崎駅から路面電車に乗れば10分ほどで到着します。 公園のシンボルとなっているのが、「平和祈念像」です。これは彫刻家の北村西望(きたむら せいぼう)によって制作されたもので、青銅製の巨大な像が訪れる人々を迎えてくれます。右手を高く天に向けて伸ばしている姿は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を意味しています。そして閉じた目は犠牲者への祈りを表しているのだそうです。その姿はとても印象的で、しばらく見入ってしまいます。 また、公園内には「原爆落下中心地碑」があり、ここがまさに爆心地であったことを静かに語っています。周囲には、被爆当時に崩れた浦上天主堂の遺構も保存されていて、当時の惨状を思い起こさせます。整然と配置された石碑や展示物が、過去の出来事を忘れないよう私たちに語りかけているようでした。 「平和の泉」も忘れてはならない場所です。ここは、被爆後に水を求めながら亡くなった人々への慰霊を込めて作られた泉で、そばにはある少女の言葉が刻まれた碑があります。「のどがかわいてたまりませんでした」という短い一文が、胸に深く刺さります。何気ない言葉なのに、重く響く一言です。 公園のすぐ隣には「長崎原爆資料館」もあり、被爆の事実や原爆の被害、そして平和への歩みについて学ぶことができます。館内には被爆者の遺品や写真、証言などが展示されており、一つ一つが生々しく、簡単には言葉にできない重さがあります。 長崎の平和公園は、単なる観光地ではありません。静かに歩きながら、過去の出来事に思いを馳せ、今ある日常の尊さを改めて感じさせてくれる場所です。毎年8月9日には平和祈念式典が行われ、世界中から人々が集まって祈りを捧げています。もし長崎を訪れる機会があれば、ぜひこの平和公園にも足を運び、心静かに過ごしてみてはいかがでしょうか。 第五福竜丸 1954年(昭和29年)3月1日、太平洋の静かな海に突如として巨大な閃光と衝撃が走りました。アメリカがマーシャル諸島・ビキニ環礁...