明治天皇 伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ、ふしみももやまりょう)のあと、北に向かい桓武天皇 柏原陵(かしわばらのみささぎ)に来ました。
桓武天皇の柏原陵は、京都府京都市伏見区にある桓武天皇の陵墓(御陵)です。陵墓は円丘という形で、典型的な古墳スタイルに基づいています。
桓武天皇(かんむてんのう、737年(天平9年)〜806年(延暦25年))は、日本の第50代天皇で、在位期間は781年(天応元年)から806年(延暦25年)までです。桓武天皇の治世は日本の歴史において重要な転換点とされています。特に、平安京(現在の京都)への遷都や、中央集権体制の強化を通じて日本の統治体制を大きく変革したことで知られています。
桓武天皇は、天智天皇(てんじてんのう / てんぢてんのう)の曾孫にあたり、父は光仁天皇(こうにんてんのう)、母は渡来系の高野新笠(たかののにいがさ)です。母方の血筋は渡来人の系譜を引き、先祖は百済の武寧王(ぶねいおう/ムリョンワン)で、朝廷内での影響力があったとされています。
桓武天皇の治世で最も重要な出来事は、平安京への遷都(794年(延暦13年))です。桓武天皇は、それまでの都であった平城京(奈良)から、まず784年(延暦3年)に長岡京へ、そして10年後に平安京へと遷都しました。
長岡京に遷都した784年(延暦3年)または平安京へ遷都した794年(延暦13年)から鎌倉幕府が成立する1185年(元暦2年)または1192年(建久3年)を、平安時代と呼ばれています。
桓武天皇は、蝦夷(えみし、えびす、えぞ、現在の東北地方)への遠征を行い、中央政府の支配を強化するための軍事活動を展開しました。特に、坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)を征夷大将軍に任じ、蝦夷征討に力を入れました。この遠征は成功し、後に東北地方への支配が強化されました。
桓武天皇は、仏教の影響力を削減するため、特に天皇家や政府の政策に干渉する仏教勢力を抑えることに努めました。しかし、全く仏教を排斥したわけではなく、仏教の重要性を認識していました。例えば、比叡山延暦寺を創建した最澄に保護を与え、天台宗の発展を助けました。
京都に訪れた際には、平安京やその時代の文化を学びながら、柏原陵を訪れるのも歴史を感じる良い機会かもしれませんね。
旅程
京都駅
↓(徒歩)
小倉駅(京都)
↓(列車)
↓(徒歩)
関連イベント
周辺のスポット
地域の名物
関連スポット
- 天智天皇 御廟野古墳
- 明治天皇 伏見桃山陵
- 大正天皇 多摩陵
- 昭和天皇 武蔵野陵
コメント
コメントを投稿