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1月, 2021の投稿を表示しています

哲学堂公園:門をくぐれば、思索の旅が始まる、宇宙と真理の建築群

本日、東京都中野区にある哲学堂公園を訪れました。この日はよく晴れていて、冬の空気が澄んでおり、公園全体に静謐な雰囲気が漂っていました。 哲学堂公園は、明治時代の哲学者・井上円了(いのうえ えんりょう)によって「哲学を身近に感じてもらいたい」という願いのもとに作られた公園です。園内にはユニークな名前の建造物が点在しており、一つひとつに哲学的な意味や物語が込められています。私はまず、入口近くにそびえる「哲理門」をくぐりました。門をくぐると、日常の世界から一歩踏み出し、思索の空間に足を踏み入れたような気持ちになります。 園内を進むと、まるでお城のような外観の「絶対城」が現れます。この建物は、その名の通り「絶対」や「無限」といった大きな哲学的概念を象徴しているのでしょうか。建物の前に立つと、物事の根源や真理について考えるきっかけを与えてくれる気がしました。 さらに歩みを進めると、「四聖堂」が見えてきました。ここは、ソクラテス、カント、孔子、釈迦という東西の四大哲人を祀った場所です。和洋折衷の独特な建物を眺めていると、時代も場所も超えて人間が探求してきた「知」や「真理」のつながりを感じます。 池のほとりには「概念橋」が架かっていました。この橋を渡ると、考えや発想の世界がさらに広がるような気がします。公園の名前通り、歩くたびに「これはどういう意味なのだろう」「この建物の意図は?」と自然に自問自答が始まります。 また、「演繹観」や「宇宙館」といった建物も独特で、哲学堂ならではの非日常的な空気感を醸し出しています。それぞれの建物が、「演繹」や「宇宙」といった大きなテーマについて考えさせてくれる存在であり、散策しながら自分なりの思索を深めることができました。 哲学堂公園は、単なる公園ではなく、日常の喧騒を離れて思索にふけることのできる特別な場所です。冬の晴れた日に訪れることで、凛とした空気の中でゆっくりと自分の思考と向き合う時間を持つことができました。哲学に詳しくなくても、建物の名前や形、配置に触れるだけで自然と「考える」気持ちが芽生える場所です。都心の一角にある、静かな思索の庭をぜひまた訪れたいと思います。 現象と実在 私たちはふだん、「見えているものが、そのまま本当の姿だ」と思いがちです。しかし、ストローが水の中で折れているように見えたり、夕日が赤く見えたりするのは、実際の物体の...

トキワ荘:世代を越えて、ページはめくられる、四畳半に残るインクの匂い

豊島区にある再現施設のトキワ荘マンガミュージアムを訪ねました。冬の乾いた空気のなか、公園に足を踏み入れると、まず目に入るのは昭和の街角を思わせる電話ボックスや屋台の再現で、遠い時代の生活音まで聞こえてきそうでした。ミュージアム本体も、かつての木造アパートを忠実に蘇らせた造りで、外観からすでに時間旅行が始まっているように感じます。 館内に入ると、細い板張りの廊下と共同の台所、薄い壁の向こうに広がる四畳半――若い漫画家たちが暮らし、徹夜で原稿を仕上げ、互いに作品を見せ合っていた日々が、生活の手触りごと立ち上がってきます。ちゃぶ台にはペン先とインク、酒の空き瓶を花瓶代わりにした小さな一輪挿し。机上のライトは今も原稿を照らしているかのようで、紙の擦れる音や笑い声まで想像してしまいました。 展示では、当時の部屋の再現だけでなく、戦後から高度成長期にかけてのマンガ史が丁寧に辿られていました。昭和27年に建てられたトキワ荘には、のちに日本の大衆文化を形づくることになる若手が集い、互いの作品に意見をぶつけ合いながら切磋琢磨しました。貧しくも創造力に満ちた共同生活が、新しい表現の実験場となり、雑誌文化の発展とともに読者の裾野が一気に広がっていったことが、資料や誌面の変遷からもよく伝わってきます。老朽化で建物自体は解体されましたが、こうして再現された空間に立つと、失われたはずの時間が確かな重みを取り戻すのだと実感しました。 私は子どものころ『北斗の拳』や『ドラゴンボール』で育った世代です。展示されていた作品は少し前の世代の名作が中心で、実際には読んだことのないタイトルも多かったのですが、紙の匂いが残る雑誌の背や、手描きの線の勢いに触れるうち、少年誌が放つ高揚感が自分の記憶と自然に重なっていきました。作画机に置かれた道具やトーン、修正液の痕は、私が夢中になってページをめくった時代へと続く「はじまり」の証であり、世代をまたいで受け継がれる創作の系譜を目の前で確かめる体験でもありました。 見学を終えて外に出ると、電話ボックスのガラスに冬の日差しが反射していました。トキワ荘は単なる「伝説の建物」ではなく、互いに学び合い、挑み合うことで新しい価値を生み出した学びの共同体だったのだと改めて思います。作品は時代とともに変わりますが、創作の背骨にある情熱と対話は変わらない――そんな普遍性を、静かな部屋...