西新駅を出て福岡市博物館へ向かう途中、ふと視界に「サザエさん通り」の大きな看板が飛び込んできました。サザエさんといえば、世田谷・桜新町のイメージが強かったので、「福岡にもサザエさん?」と少し不思議な気持ちになりながら歩き始めました。 脇山口交差点からシーサイドももち海浜公園の入り口まで、約1.6キロ続くこの道が「サザエさん通り」です。沿道には、西南学院大学や修猷館高校、西新小学校といった学校が並び、さらに福岡市博物館や福岡市総合図書館、福岡タワーなどの文化・観光施設へとつながっていきます。 学生と観光客が行き交う、にぎやかでありながらどこかのんびりした空気が漂っていました。 しばらく歩くと、道路脇に小さな広場が現れました。名前は「磯野広場」。その名の通り、ここがサザエさん一家の「磯野家」と深く結びついた場所です。広場の一角には、サザエさん、かつおくん、わかめちゃんの銅像が仲良く並び、いつもの明るい表情で迎えてくれます。記念撮影にちょうど良い大きさで、思わずこちらも笑顔になります。 銅像の横には、長谷川町子さんの生誕100周年を記念した説明板がありました。そこには、佐賀県多久に生まれた長谷川町子さんが、幼少期から高校時代までを福岡で過ごしたこと、戦争中に再び疎開して西新に住んでいたことが紹介されています。 散歩コースだった百道の海岸を歩きながら、サザエ・カツオ・ワカメなど、海にちなんだ名前のキャラクターを思いついたそうで、「サザエさんは福岡の海から生まれた」という言葉が急にリアルなものとして胸に入ってきました。 今では埋め立てが進み、高層ビルや住宅が並ぶシーサイドももちですが、かつてこのあたり一帯が海だったことを思うと、磯野広場の大きな石やカニのオブジェも、ただの装飾ではなく「かつての風景の記憶」をとどめる装置のように見えてきます。 サザエさん通りを歩きながら、その歴史を少しずつ知っていくと、東京・桜新町のあの町並みとは別の、「もうひとつのサザエさん」の姿が浮かび上がってきます。戦後間もない1946年、福岡の新聞「夕刊フクニチ」で連載が始まった当初、サザエさん一家は福岡在住という設定だったこと。 長谷川町子さん自身の、おてんばな少女時代の記憶がサザエさんのキャラクターに重ねられていること。日曜日のテレビアニメで見るおなじみの世界の背後に、福岡の海風や路地の空気が確かに...