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九份老街:赤い提灯と坂道がつくる、台湾の懐かしい風景

台湾新北市にある九份老街に行きました。当時は台湾に住んでいたこともあり、九份は日本人の間でよく知られている観光地という印象はありましたが、実際にどのような町なのかはあまり分からないまま訪れました。 九份といえば、日本では『千と千尋の神隠し』を思わせる町として語られることが多い場所です。ただ、当時の自分にとっては、映画のイメージよりも、台湾の山の中にある古い町という印象の方が強く残りました。街に入ると、赤い提灯のついた店が並び、細い道と階段が複雑につながっていました。平らな道をまっすぐ歩くというより、上へ下へと移動しながら町の中をたどっていくような感覚でした。 九份は、もともと金鉱の町として発展した場所です。日本統治時代には周辺の鉱山開発が進み、多くの人が集まるにぎやかな町になりました。山の斜面に家や店が重なるように建ち、細い路地や階段が多い町並みは、そうした鉱山町としての歴史とも関係しているのだと思います。現在の九份老街は観光地として整えられていますが、歩いていると、単なる観光用の町ではなく、かつて人々の生活と仕事が密集していた場所だったことも感じられました。 九份老街を歩いたあと、少し離れたところに九份金礦博物館という場所があったので、行ってみることにしました。ところが、建物には子どもの落書きのようなものが描かれており、入口の前まで行っても受付らしき人は見当たりませんでした。一瞬、すでに閉館してしまった博物館なのかと思いましたが、あとで調べてみると、きちんと営業している博物館だったようです。たまたま休みの日だったのか、時間が合わなかったのかもしれません。観光地として有名な九份でも、少し脇に入ると、予定通りにはいかない台湾らしいゆるさが残っていたのが印象的でした。 その後、もう一度九份老街を軽く歩きました。赤い提灯、坂道、階段、古い建物、店先に並ぶ品々が重なり合い、町全体が立体的に広がっているようでした。鉱山の町として栄え、閉山後に一度は衰退し、その後、映画や観光によって再び注目されるようになった九份は、単に美しいだけではなく、時代ごとに役割を変えてきた町でもあります。 この日は、九份を歩いたあと、タクシーで基隆中正公園へ向かいました。今思い返すと、九份は「有名だから行った場所」でしたが、実際に歩いてみると、赤い提灯の観光地というイメージだけでは収まらない、山あいの...

雲仙楽園:泰雅族の像に見守られて歩く遊歩道

烏来瀑布の轟音を背にロープウェイに乗り、谷を越えて山上の雲仙楽園へ向かいました。断崖の上に伸びる索道は、この楽園へのアクセスとして1960年代に整備されたもので、開業は1967年。 台湾最初期の本格的なテーマパークとして始まった歴史を思うと、揺れるゴンドラの時間にもどこか郷愁が混じります。 山上に着くと、川沿いの遊歩道に泰雅族(タイヤル族)の衣装をまとい、太鼓や弦楽器を手にした像が点在していました。 赤い橋がところどころで谷をまたぎ、緑の斜面に鮮やかなアクセントを添えています。烏来という地名自体が、泰雅語で「熱い水」を意味する言葉に由来するといわれ、温泉とともに先住の文化がこの地の基層を成していることを、静かな展示や意匠から感じ取りました。 しばらく進むと小さな湖に出ました。水面には鯉がゆったりと泳ぎ、ボートの桟橋や木立に囲まれた広場が穏やかな時間をつくっていました。観光施設として整えられた湖や散策路がありつつ、谷の風と水音がそれをのみ込むように調和しているのが印象的でした。 帰りは再びロープウェイで瀑布側へ戻り、麓では烏来老街の博物館に立ち寄りました。2005年に開館した烏来泰雅民族博物館では、顔の刺青文化や織物、祭礼から日々の暮らしまで、泰雅族の歴史と精神世界が丁寧に解き明かされています。山上で目にした像の所作や文様が、展示の解説と結びついて一層リアルに立ち上がり、この谷が単なる行楽地ではなく、文化の記憶が折り重なる場所であることを実感しました。 瀑布の白と深い森の緑、赤い橋の線、そして先住の物語。雲仙楽園の一日は、景色の美しさに歴史の層が静かに重なる、そんな時間でした。 旅程 (略) ↓(徒歩) 烏来瀑布 ↓(ロープウェイ) 雲仙楽園 ↓(ロープウェイ) 新北市烏来泰雅民族博物館 ↓(徒歩) (略) ↓ 中華民国総統府 ↓(徒歩) 二二八和平公園 ↓(徒歩) 台北駅 ↓(地下鉄) 忠孝復興役 ↓(徒歩) ホテル 周辺のスポット 烏來瀑布 烏來老街 リンク 全臺主題樂園網 - 全体のテーマパーク - 雲仙楽園