スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

3月, 2006の投稿を表示しています

二二八和平公園:台北の静寂に耳をすます、記憶とともに生きる公園

本日は烏来を観光し、ホテルへの帰路に二二八和平公園周辺に寄りました。 台北の中心部、にぎやかな街並みのなかにひっそりと佇む「二二八和平公園」は、台湾の歴史に深く根ざした特別な場所です。台北駅からもほど近く、MRT台大医院駅から徒歩すぐというアクセスの良さながら、園内には穏やかな空気が流れ、訪れる人の心を静かに包み込んでくれます。 この公園の名前にもなっている「二二八事件(ににはちじけん)」は、1947年2月28日に起きた、台湾の民衆と当時の中国国民党政権との間に起きた衝突事件です。物価の高騰や官僚の腐敗に不満を抱えていた人々の抗議運動が、やがて全土に広がり、武力による鎮圧へと発展しました。数万人ともいわれる犠牲者が出たこの事件は、長い間公に語られることなく、タブーとされてきました。しかし、台湾の民主化が進むなかで再び光が当てられるようになり、犠牲者を追悼し、平和を願う象徴として、この公園が整備されました。 公園内には、「二二八記念館」と呼ばれる建物があります。これは日本統治時代に建てられたバロック様式の建築で、かつては台湾放送局として使われていた歴史ある建物です。現在は、事件に関する資料や写真、被害者の証言などを展示する博物館として公開されており、台湾の過去に静かに向き合う場となっています。 また、公園の中央には特徴的なモニュメントが設置されています。抽象的なデザインで、痛みと癒やし、そして平和への祈りを象徴しています。花を手向けたり、静かに手を合わせる人の姿も見かけられ、この場所が今も人々の心のなかで生きていることを感じさせます。 園内は池や小川、木々に囲まれ、まるで都会の喧騒を忘れさせてくれるような落ち着いた雰囲気です。日本統治時代の庭園様式の名残もあり、ベンチに腰掛けて読書をする人、ゆっくり散歩する人、子どもと遊ぶ家族など、訪れる人々それぞれが思い思いの時間を過ごしています。リスが木々を駆け回り、池ではカメがのんびりと甲羅干しをしている姿も見られ、生命の営みが感じられるのも魅力のひとつです。 公園の周辺には、国立台湾博物館や台大医院、中正紀念堂などもありますので、台北駅周辺を散策する際にはぜひ立ち寄ってみてください。日本統治時代の名残を感じさせる庭園風の景観もあり、リスやカメが姿を見せることもあるため、単なる歴史的施設にとどまらず、ゆったりとした時間を楽しめる...

雲仙楽園:泰雅族の像に見守られて歩く遊歩道

烏来瀑布の轟音を背にロープウェイに乗り、谷を越えて山上の雲仙楽園へ向かいました。断崖の上に伸びる索道は、この楽園へのアクセスとして1960年代に整備されたもので、開業は1967年。 台湾最初期の本格的なテーマパークとして始まった歴史を思うと、揺れるゴンドラの時間にもどこか郷愁が混じります。 山上に着くと、川沿いの遊歩道に泰雅族(タイヤル族)の衣装をまとい、太鼓や弦楽器を手にした像が点在していました。 赤い橋がところどころで谷をまたぎ、緑の斜面に鮮やかなアクセントを添えています。烏来という地名自体が、泰雅語で「熱い水」を意味する言葉に由来するといわれ、温泉とともに先住の文化がこの地の基層を成していることを、静かな展示や意匠から感じ取りました。 しばらく進むと小さな湖に出ました。水面には鯉がゆったりと泳ぎ、ボートの桟橋や木立に囲まれた広場が穏やかな時間をつくっていました。観光施設として整えられた湖や散策路がありつつ、谷の風と水音がそれをのみ込むように調和しているのが印象的でした。 帰りは再びロープウェイで瀑布側へ戻り、麓では烏来老街の博物館に立ち寄りました。2005年に開館した烏来泰雅民族博物館では、顔の刺青文化や織物、祭礼から日々の暮らしまで、泰雅族の歴史と精神世界が丁寧に解き明かされています。山上で目にした像の所作や文様が、展示の解説と結びついて一層リアルに立ち上がり、この谷が単なる行楽地ではなく、文化の記憶が折り重なる場所であることを実感しました。 瀑布の白と深い森の緑、赤い橋の線、そして先住の物語。雲仙楽園の一日は、景色の美しさに歴史の層が静かに重なる、そんな時間でした。 旅程 (略) ↓(徒歩) 烏来瀑布 ↓(ロープウェイ) 雲仙楽園 ↓(ロープウェイ) 新北市烏来泰雅民族博物館 ↓(徒歩) (略) ↓ 中華民国総統府 ↓(徒歩) 二二八和平公園 ↓(徒歩) 台北駅 ↓(地下鉄) 忠孝復興役 ↓(徒歩) ホテル 周辺のスポット 烏來瀑布 烏來老街 リンク 全臺主題樂園網 - 全体のテーマパーク - 雲仙楽園