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6月, 2013の投稿を表示しています

祖国記念碑 (キーウ):キーウの屋台のTシャツで出会った歴史のモニュメント

キーウ観光の2日目では、まずペチェールシク大修道院を訪れ、その壮麗な建築や厳かな雰囲気に圧倒されました。修道院の前には小さな屋台がいくつか並んでおり、そこでTシャツを買ったときのことが、今でも鮮明に思い出されます。店主が「すぐそばに大きな像があるから、ぜひ見ていって」と教えてくれたのです。 その像こそ、「祖国記念碑(Mother Ukraine)」でした。なぜかガイドブックには載っていませんでしたが、1981年に完成したこの像は、まさにキーウのランドマークともいえる存在です。高さは台座を含めて100メートル以上に及び、両手に剣と盾を掲げて立つ姿は、堂々たる威厳とともに、ウクライナという国の強さや誇りを感じさせてくれました。 祖国記念碑の周囲には、第二次世界大戦中に活躍した戦車やヘリコプター、ミサイルなどが屋外展示されており、博物館に入らなくてもその迫力を間近に感じることができます。軍事的な展示は、日本ではなかなか見ることのできないものばかりで、戦争という歴史の重みをあらためて実感する場ともなりました。 観光の合間には、近くのレストランでボルシチを味わう時間もありました。赤ビーツの鮮やかな色彩と、優しい酸味が広がるスープは、旅の疲れをほっと和らげてくれるものでした。そして、そのあとはウクライナ国民の自由の門へと足を運び、キーウのもう一つの歴史の象徴に出会うことができました。 祖国記念碑は、ウクライナの激動の20世紀を象徴する存在です。ソビエト時代に築かれ、現在では新しい時代のウクライナを見守るようにそびえ立つその姿を前に、平和と自由の意味について自然と考えさせられる時間となりました。観光地としての知名度は日本ではそれほど高くないかもしれませんが、キーウを訪れるなら一度は足を運んでみたい場所だと感じます。 旅程 (略) ↓(タクシー) キーウ・ペチェールシク大修道院 ↓(徒歩) 祖国記念碑 (キーウ) ↓(タクシー) ウクライナ国民の自由の門 ↓(タクシー) (略) 関連イベント 周辺のスポット キーウ・ペチェールシク大修道院 国立ウクライナ第二次世界大戦中歴史博物館 地域の名物 ボルシチ 関連スポット リンク Why is Ukraine changing the Motherland monument in Kyiv? Visit Ukraine - Ukraini...

聖ソフィア大聖堂 (キーウ):千年の時を刻む大聖堂、崩れ、甦り、語り継がれる信仰

フリーランスになり、1つ目の案件が終わり、次の案件を受けるタイミングで1週間ほど休みが取れたため、ウクライナに旅行に来ました。本当はロシアに行きたかったのですが、直前にビザが必要なことに気づき、旧ソ連のウクライナに変更しました。ラトビア、エストニアに続き、ソ連圏は3か国目です。独立広場近くにホテルを取ったので、その周辺から探索をはじめ、聖ソフィア大聖堂に来ました。 ウクライナの首都キーウの中心に、時の重みを静かにたたえながら佇む聖ソフィア大聖堂があります。その名は、ビザンツ帝国の都コンスタンティノープルの偉大な聖堂「アヤ・ソフィア」に由来しており、東スラヴ世界におけるキリスト教文化の象徴として、千年近く人々の祈りを受け止めてきました。 この大聖堂が建てられたのは11世紀(1017年または1037年)、キーウ・ルーシ大公ヤロスラフ賢公の治世にさかのぼります。ヤロスラフはキリスト教を国家宗教として根づかせ、文化と知の中心地を築こうとしました。その象徴が、13ものドームを持ち、内陣に美しいモザイクが広がるこの大聖堂でした。中でも中央に輝くキリスト・パンタグラトールのモザイクは、訪れる者の心を圧倒する荘厳さを湛えています。 この場所は、単なる宗教施設にとどまらず、かつては王権の中枢でもありました。大公の戴冠、国家の重要儀式、外交使節の接見、そして王族の埋葬。ここは政治と宗教の交差点であり、文化と信仰の礎でもあったのです。ヤロスラフ自身もまた、この聖堂に静かに眠っています。 しかし、その道のりは決して平穏ではありませんでした。13世紀、モンゴル軍による侵攻でキーウが陥落した際、大聖堂も深く傷つき、長く荒廃したままの時代を迎えました。その後、17世紀に入ると、コサック国家の時代に再び光が差し込みます。ペトロー・モヒーラによる修復によって、ビザンツの面影とともにウクライナ・バロックの装いが加わり、東西の様式が融合する現在の姿となりました。 時代はさらに移り、ロシア帝国、そしてソビエト連邦という異なる支配のもとで、大聖堂は礼拝堂としての役割を失い、時に破壊の危機に直面します。それでも奇跡的に残され、20世紀には博物館として保護される道を歩み始めました。その決断があったからこそ、今も私たちはこの空間に足を踏み入れ、千年前と同じ天井の下で祈りと静寂を感じ取ることができるのです。 199...

シェレメーチエヴォ国際空港:トランジットにも最適、ロシアの空の玄関口

案件の切れ目で一週間ほど休みが取れたので、ウクライナのキーウ(キエフ)旅行に行くことにしました。この記事を書いているのは、2025年でこの旅行のあと、2014年にクリミア半島がロシアに加盟し、ウクライナ全土で内乱が発生し、2022年にはロシアがウクライナに侵攻しました。この時期にウクライナに行っておいて良かったと思うとともに、平和な生活が簡単に壊れるのを報道で見て恐ろしさを感じました。キーウへは、モスクワのシェレメーチエヴォ国際空港経由で行きましたが、この空港を使う機会もしばらくは来ないでしょう。 モスクワの空の玄関口として知られるシェレメーチエヴォ国際空港(SVO)は、ロシア最大の空港であり、多くの国際線が発着する重要なハブとなっています。モスクワ中心部から約30キロメートル北西に位置し、市内へのアクセスの良さも特徴の一つです。 この空港は1959年に開港し、その後も拡張を続けながら、現在では世界的に見ても大規模な空港の一つとなっています。特に、ロシアを代表する航空会社であるアエロフロート航空の本拠地として機能しており、ヨーロッパやアジア、アメリカを結ぶ重要な中継地点となっています。 シェレメーチエヴォ国際空港には複数のターミナルがあり、ターミナルBとCは国内線、ターミナルD、E、Fは国際線を主に担当しています。近年では、施設の近代化が進められ、ショッピングエリアやレストラン、ラウンジなどのサービスも充実しています。空港内には免税店やロシアならではのお土産を扱うショップも多く、旅行者にとって快適な滞在ができる環境が整っています。(2013年当時は、まだ工事中のターミナルが多く設備が整っていませんでしたが、現在は充実しているようです) 市内へのアクセスも便利で、特にアエロエクスプレス(Aeroexpress)を利用すると、モスクワ中心部のベラルースカヤ駅まで約35分で到着します。料金も手頃で、渋滞の影響を受けることなくスムーズに移動できるため、多くの旅行者にとって最適な交通手段となっています。タクシーやライドシェアサービスも利用可能ですが、非公式なタクシーを利用すると高額な料金を請求されることもあるため、注意が必要です。 また、ロシア入国時の手続きについても留意しておきたいポイントの一つです。シェレメーチエヴォ空港の入国審査は比較的厳しく、事前に必要な書類をしっかり...