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井上家住宅:江戸の息づかいが残る町家、土と火と書に宿る和のこころ

本日は、秋晴れの心地よい日で、倉敷美観地区の散策に来ました。大原美術館などを見学したあと、井上家住宅を訪ねました。白壁と格子の町並みに溶け込むこの住宅は、江戸時代に建てられた町家で、かつては村役人・地主として,町政を主導していました。風情ある外観を眺めながら一歩中に入ると、そこには日本の生活文化の痕跡が、静かに佇んでいました。

まず目に入ったのは、木のぬくもりを感じさせる桶型の風呂です。おそらく檜で作られていたのでしょう。現代のユニットバスとはまったく異なるその姿に、暮らしのリズムが違っていた時代を思わず想像してしまいます。小さな空間で手間を惜しまず、丁寧に湯を張る。そんな時間の流れ方に、どこか憧れを感じました。

台所には当時のままと思われる竈が残されており、火と共に暮らす日々の営みを物語っていました。

土間から続く居間には、日本間の落ち着いた佇まいが広がり、欄間やふすまに施された細工も目を引きます。特に印象深かったのは、藤井竹外(ふじい ちくがい)による書が書かれたふすまでした。その筆致は凛としており、空間に知性と気品を添えていました。

二階へ上がる階段はとても急で、見ているだけで怖いほどでした。昔の町家の構造では、二階は物置や使用人の部屋とされることも多く、この急な傾斜もまた機能美の一つなのかもしれません。

また、井上家住宅には「お土公さま(おどくうさま)」と呼ばれる神聖な釜が祀られており、かつての儀式や信仰の名残を感じさせました。生活の中に神仏が自然に入り込んでいた時代、こうした存在は家を守るよりどころだったのでしょう。

かつての暮らしを実感できる井上家住宅は、ただの古民家ではなく、時代と人々の営みを今に伝える貴重な文化財です。倉敷を訪れた際には、観光の華やかさの合間に、こうした静かな空間で足を止めてみるのも良いかもしれません。心に残る、小さな時間旅行が味わえます。

旅程

(略)

↓(徒歩)

UKIYO-E KURASHIKI / 国芳館

↓(徒歩)

井上家住宅

↓(徒歩)

阿智神社

↓(徒歩)

倉敷駅

↓(JR/新幹線)

東京

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