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MOA美術館:長いエスカレーターの先にある静けさ、万華鏡の天井とブロンズの王と女王

冬とは思えないような澄んだ青空のもと、静岡県熱海市にあるMOA美術館を訪れました。熱海駅からはやや距離がありますが、景色を楽しみながら、北にある3F側の入り口まで歩いていくことにしました。

少し早めに到着したため、美術館の駐車場脇から見える海の景色をゆっくりと眺めることができ、潮の香りと太陽のまぶしさが旅の始まりを優しく彩ってくれました。

MOA美術館は、1982年に開館した比較的新しい美術館ですが、その歴史的背景は深く、創設者である岡田茂吉(MOAはMokichi Okadaの頭文字)が「真・善・美」を理念として設立したものです。岡田氏は美術を通して人々の心を浄化し、平和な社会の実現を目指していたとされます。そのためか、美術館全体にはどこか霊的ともいえる静けさが漂い、訪れる者の心を穏やかに整えてくれます。

展示では、尾形光琳をはじめとする琳派の作品をじっくりと鑑賞しました。金箔や銀箔をふんだんに用いた装飾的な美しさと、自然を象徴的に描き出す構図に、時代を超えて人々を魅了してきた力を感じます。展示室の光の取り入れ方も巧妙で、作品そのものが持つ静かな輝きを一層引き立てていました。

展示を見終えたあと、敷地内にある「茶の庭」へと足を運びました。手入れの行き届いた庭園には、苔の柔らかさや竹のしなやかさが自然の美を体現しており、まるで時間がゆっくりと流れているかのような感覚に包まれました。ふと風が吹くと、竹の葉がささやき、どこからともなく鳥の声が響いてくる――そんなひとときに心が洗われるようでした。

庭を後にして向かったのは、ムアスクエア。ここには英国の彫刻家ヘンリー・ムアによるブロンズ像「キング・アンド・クイーン」が展示されています。抽象的でありながら、どこか人間味のあるフォルム。王と女王というタイトルの響きからは荘厳な印象を受けますが、実際の像は自然の中に佇むふたりの人間のようにも見え、親しみを感じさせます。

その後、アートストリートと呼ばれる長いエスカレーターを降りました。エスカレーターといえば単なる移動手段ですが、ここではそれ自体が空間演出の一部。赤と白を基調とした配色や、壁面に配された照明の配置によって、美術館の世界観が立体的に延長されているようでした。

エスカレーターの途中にある円形ホールでは、天井に設けられた巨大な万華鏡の映像を見上げました。緩やかな音楽とともに、光がきらめきながらゆっくりと模様を変えていく様は、まるで心の奥に直接語りかけてくるようで、しばし言葉を失いました。


最後はエスカレーターをさらに降り、南側の出口から外に出ました。館内のあらゆる場所が芸術的に設計されており、特にこの長いエスカレーターの空間美には驚かされます。建物自体が「鑑賞すべき作品」であるということを、全身で感じることができるのもMOA美術館ならではの体験です。

芸術作品と建築空間、自然と人間の調和が織り成すMOA美術館でのひとときは、年の瀬の慌ただしさを忘れさせてくれる、穏やかで心満たされる時間でした。熱海という温泉地にふさわしい、癒しと発見に満ちた旅でした。

旅程

東京

↓(新幹線)

熱海駅

↓(徒歩)

來宮神社

↓(徒歩 かなり遠い)

MOA美術館

↓(徒歩 かなり遠い)

起雲閣

↓(徒歩&ロープウェイ)

熱海城

↓(徒歩&ロープウェイ)

ATAMI BAY RESORT KORAKUEN

↓(徒歩)

熱海駅

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