ホイアンの旧市街の西の端に朱印船(しゅいんせん)のモニュメントがあります。
江戸時代初期、日本は東南アジア諸国との貿易を活発に行っていました。その中でも、ベトナムのホイアンは朱印船貿易の拠点として重要な役割を果たしていました。
朱印船貿易とは、徳川幕府が発行する朱印状という許可証を持つ船が海外へ渡航し、公認の貿易を行う制度のことです。16世紀末から17世紀にかけて、日本の商人たちは木材や漆器、刀剣などを積んでホイアンへ向かい、現地では絹織物や陶磁器、香料などを日本へ持ち帰りました。こうした交易の結果、ホイアンには日本人商人が定住し、日本町と呼ばれるコミュニティが形成されました。
ホイアンの日本町には、最盛期には数百人の日本人が暮らしていたと言われています。彼らは貿易だけでなく、現地の人々と交流し、結婚することもありました。特に、荒木宗太郎という商人はベトナム広南国(こうなんこく、クァンナムこく)の王族の女性と結婚し、地元社会に深く溶け込んでいきました。
また、日本人によって建設された来遠橋(日本橋)は、ホイアンの象徴的な建築物の一つです。1593年に架けられたこの橋は、日本町と華人街をつなぐ役割を果たしており、当時の交流の証として今も残っています。日本風の意匠が施されたこの橋は、ホイアンの歴史的な魅力を語る上で欠かせない存在です。
しかし、朱印船貿易は長く続きませんでした。1630年代になると、徳川幕府が鎖国政策を強化し、日本人の海外渡航を制限しました。1635年には日本船の東南アジア渡航が全面的に禁止され、ホイアンの日本町も次第に衰退していきました。やがて日本人の姿は消え、ホイアンでの日本の影響は歴史の一部となりました。
現在、ホイアンはユネスコ世界遺産に登録され、多くの観光客が訪れる人気の町となっています。日本橋は今もなお健在で、当時の日本とのつながりを感じさせる場所として親しまれています。歴史的な街並みの中に、日本の文化が息づいていた時代の名残を探しながら歩くのも、ホイアン観光の魅力の一つです。
旅程
成田空港
↓(ベトナム航空)
ダナン国際空港
↓(バス)
↓(徒歩)
↓(バス)
ホテル(ホイアン)
↓(徒歩)
レストラン(The Old Days - Restaurant & Bar)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
ホテル
関連イベント
- 長崎くんち(長崎県):朱印船の演目でベトナム王女アニオー姫(ゴック・ホア姫)と長崎商人の結婚式が再現されている
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