大阪府藤井寺市のアイセルシュラホールを訪ねました。
古市の古墳群は以前にいくつか巡ってきましたが、後から調べているうちに、船のような外観の巨大な建物が気になり、いつか立ち寄ろうと思っていました。ちょうど弥生文化博物館を見学した帰り道、藤井寺駅で下車すると、街にはだんじり祭りの掛け声が響き、秋の活気に背中を押されるように会場へ向かいました。ほどなく現れたアイセルシュラホールは想像以上に大きく、全景を収めるだけでもひと苦労なスケールです。外観から「巨大博物館」を連想していたのですが、実際は生涯学習センターや公民館機能を備えた複合施設で、展示は主に2階にまとまっていました。
歴史展示フロアは、古市古墳群や倭の五王、留学生・井真成、藤井寺の近現代史、そして近鉄バファローズの資料が一続きに配され、地域の通史をコンパクトに横断できる構成でした。まずは古市古墳群と倭の五王のコーナーへ。埴輪や石製品、鎧の出土品に加え、古墳の断面や墳丘のスケール感をつかめる模型が並びます。
中でも津堂城山古墳に関連する水鳥形埴輪は、のびやかな造形に当時の祭祀観念を感じさせ、実用品と聖域の境い目に立つような存在感でした。墳丘が点在する台地の上に政治と祭祀の場が重なっていたこと、そして列島と大陸の交流のうねりが古市の造形美に刻まれていることを、コンパクトな展示ながらも実感できます。
続く通路には井真成(せい しんせい/い まなり /いのまなり)の小コーナーがあり、墓誌レプリカなどを通じて、遣唐使とともに大陸へ渡った若者の息遣いに触れました。大陸側に名が刻まれ、再び郷土の施設に戻って物語を語り続けるという往還のドラマは、国際交流の歴史を「誰か一人の人生」に引き寄せて理解させてくれます。
藤井寺の地域史コーナーでは、町を支えた産業や交通、教育の足跡を辿りました。小山団扇の展示からは職人の技と暮らしが立ち上がり、河陽鉄道・河南鉄道・大阪鉄道といった路線の資料からは、都市圏の膨張と結びついた行き来の歴史が浮かび上がります。藤井寺球場や藤井寺教材園の記録も並び、まちの記憶が点から線、線から面へと広がる過程が見えてきました。
その延長線上にあるのが近鉄バファローズの展示です。ユニフォームやサイン入りのボール、バット、当時の雑誌などが所狭しと並び、球団を支えた選手とファンの熱量が資料の密度として残っています。私は野茂英雄選手くらいしか詳しくありませんでしたが、球団史に思い入れのある方には、往時の歓声や球場の風が確かに蘇る空間だと思います。
一方で、建物の規模から古墳関連の大規模展示を勝手に想像していたため、全体が「地域の学びの拠点」であり、展示は各テーマをミニマムに要約した構成であることに最初は意外さもありました。ただ、その凝縮感こそがこの施設の持ち味で、古代から近現代、スポーツ文化までを一筆書きで俯瞰できるため、初めて藤井寺の歴史に触れる来館者にも、旅の途中で短時間立ち寄る私のような人にも、入口としてちょうどよい濃度だと感じました。
だんじりの掛け声が街に響く日に訪れたことも幸運でした。祭りで高鳴る現在のリズムのすぐそばに、古市古墳群の静かな時間や、唐へ渡った若者の足跡、路線網が織り上げた近代の暮らし、球団をめぐる声援の歴史が折り重なっている――その重層性こそが、藤井寺という土地の魅力なのだと思います。大規模な特別展の迫力を求めるより、地域の時間の層を一段ずつ確かめるつもりで歩くと、この船形の学びの拠点は、思いのほか豊かな航路を示してくれます。期待と実際のズレはありましたが、井真成や藤井寺の通史に触れられたことは大きな収穫でしたし、野球や近鉄バファローズに馴染みのある方なら、きっと別の入口から同じ海へ漕ぎ出せるはずです。
旅程
東京
↓(新幹線/JR京都線/JR関空線/JR阪和線)
信太山駅
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
信太山駅
↓(JR阪和線/JR関空線/近鉄南大阪線)
藤井寺駅
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
藤井寺駅
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