カルタゴ博物館の後、すぐ近くのセントルイス大聖堂に向かいました。全体の写真を撮りたいと思っていたところ、続々とバスが来て、あっという間に前をふさいでしまいました。カルタゴ博物館のツアー客用のバスの待機場になっているのかもしれません。見た目も遠くから目立つ大聖堂で、それなりに古いもので写真映えしそうなのにもったいない。
カルタゴの丘の上に佇むセントルイス大聖堂は、かつてチュニジアにおけるカトリック信仰の象徴的な存在でした。フランスの植民地時代に建てられたこの大聖堂は、フランス王ルイ9世(聖ルイ)を記念して1884年から1890年にかけて建設されました。
建築様式は、新ビザンティン様式とゴシック様式が融合した独特のデザインとなっており、白と黄褐色の外観が特徴的です。内部には美しいアーチやステンドグラス、装飾的な柱が施され、かつての荘厳な雰囲気を感じさせます。
ルイ9世は第8回十字軍でチュニジアを訪れ、1270年にカルタゴで病死したと伝えられています。そのため、この大聖堂は彼の名を冠し、フランスとチュニジアの歴史的な結びつきを象徴する建築物となりました。
しかし、チュニジアが1956年に独立すると、カトリック教会の影響力が弱まり、大聖堂は宗教施設としての役割を終えることになりました。現在は「Acropolium de Carthage」として文化センターに生まれ変わり、コンサートやイベントが開催されています。
この大聖堂はカルタゴ遺跡の丘の上にあり、遺跡を一望できる絶好のロケーションにあります。訪れると、壮麗な建築とともに、カルタゴの歴史の重みを感じることができます。宗教施設としての役割は終えましたが、今もなお文化と歴史を伝える大切な場所となっています。
カルタゴを訪れた際には、ぜひこのセントルイス大聖堂にも足を運んでみてください。歴史と文化が交差するこの場所で、かつての時代の息吹を感じることができるでしょう。
ルイ9世
ルイ9世(Louis IX)は1214年4月25日に生まれたフランスの王様で、「聖王(サン・ルイ)」とも呼ばれています。彼はわずか12歳でフランスの王位につきましたが、幼い頃は母親であるブランシュ・ド・カスティーユ(Blanche de Castille)が摂政として国を支えました。
成長したルイ9世は非常に敬虔なキリスト教徒で、その信仰心は政治にも深く反映されました。彼は公平で公正な裁判を重視し、司法制度を整えることに力を注ぎました。また、各地に救貧院を作り、貧しい人々や病に苦しむ人々への慈善活動にも熱心に取り組み、国民から深く愛されました。
一方で、彼はキリスト教世界を守るために2度の十字軍を主導しました。最初の第7回十字軍ではエジプトを目指しましたが、マンスーラでの戦いに敗れ、捕虜になってしまいます。その後、多額の身代金を支払って解放され、無事にフランスに戻りました。しかし、彼の情熱はそれで収まらず、第8回十字軍で再び聖地を目指します。このときは北アフリカのチュニスを攻略しようとしましたが、疫病が広がり、ルイ自身も1270年8月25日に亡くなってしまいました。
彼の死後、その善行や敬虔な生活が称えられ、1297年には教皇ボニファティウス8世によって聖人に列せられました。フランスの国王の中で聖人となったのはルイ9世だけであり、今でもフランスでは彼を聖王として特別に尊敬しています。
さらに、彼がパリに建立した美しいゴシック様式のサント・シャペルは、キリストの茨の冠などの貴重な聖遺物を収めており、フランス文化の象徴となっています。また、アメリカのミズーリ州にある都市「セントルイス」も、このルイ9世に由来しています。
ルイ9世は、王としての強さだけでなく、人々への深い愛情と宗教的な情熱を持った特別な人物でした。その生涯は今も多くの人々に語り継がれています。
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