チュニス駅からタクシーでカルタゴに向かいビュルサの丘(Byrsa)で降ろしてもらいました。
ビュルサの丘は、チュニジアのカルタゴに位置する歴史的な丘で、カルタゴの中心部として非常に重要な役割を果たしていました。この丘は、カルタゴの都市建設の初期段階から戦略的な拠点とされ、政治、宗教、軍事の中心地として機能しました。
ビュルサの丘は、カルタゴ建設の伝説にも登場します。カルタゴはフェニキア人の植民都市として、ティルス(現代のレバノン)から移住した人々によって紀元前814年頃に設立されたとされています。女王ディードー(Dido、幼名エリッサ、Elissa)がカルタゴを建設する際、この丘を都市の中心として選んだとされています。
ポエニ時代には、ポエニ人(ラテン語でフェニキア人のカルタゴ住民のこと)は、この丘に強力な要塞を築きました。都市の行政と軍事の中心地として、カルタゴの元老院や主要な神殿がここに設置されていました。
カルタゴの歴史においてローマとの戦争(ポエニ戦争)は特筆すべきものです。第一次ポエニ戦争(紀元前264–241年)は、シチリア島の支配を巡り争い、カルタゴは敗北し、シチリア島を失いました。
第二次ポエニ戦争(紀元前218–201年)では、ハンニバルの活躍が特に有名です。彼は象を伴ってアルプス山脈を越え、ローマに脅威を与えましたが最終的に敗北しました。
第三次ポエニ戦争(紀元前149–146年)では、ビュルサの丘がカルタゴの最終防衛拠点となり、激しい戦闘が繰り広げられました。戦争の末、ローマ軍によりカルタゴが破壊された際、この丘も破壊されました。生存者は奴隷として売られました。
紀元前44年、ローマの指導者ユリウス・カエサルによってカルタゴの都市は再建されました。カルタゴ再建後、ビュルサの丘はローマ時代の都市設計に取り入れられ、新しい公共施設や神殿が建設されました。
4世紀以降、カルタゴはキリスト教の重要な拠点となり、教会会議(カルタゴ会議)も開催されました。
現在のビュルサの丘の上からはカルタゴの遺跡や地中海を見渡すことができます。防衛上の要地として利用された理由が分かる場所です。
1979年にユネスコの世界遺産「カルタゴ遺跡」の一部として登録され、観光客が多く訪れる場所です。
ビュルサ(Byrsa)の語源には、興味深い伝説が関連しています。フェニキア語で「要塞」を意味する言葉とされていますが、ギリシャ神話では「牛の皮(byrsa)」という意味にもなり、女王ディードーが牛の皮を広げて土地を得たという逸話とも結び付けられています。
現在のビュルサの丘には、フェニキア時代の遺跡の他に、カルタゴ博物館と聖ルイ教会が建てられています。
カルタゴ博物館(Musée de Carthage)は、チュニジアのカルタゴ遺跡群に位置する国立博物館で、カルタゴの歴史と文化を紹介する重要な施設です。この博物館は、ビュルサの丘の上にあり、古代カルタゴの中心地に建てられています。ポエニ時代からローマ、ビザンチン、イスラム時代まで、カルタゴの多彩な歴史を辿ることができる博物館です。
カルタゴ博物館は、カルタゴの遺跡が発掘され始めた19世紀後半に設立されました。現在の形は1964年に完成したものです。
ローマ時代のモザイクは、保存状態が良く、その精巧さに驚かされます。
カルタゴ博物館は、カルタゴの栄光と興亡を物語る重要な施設です。歴史好きや文化愛好者にとって必見の場所であり、古代地中海世界を深く知ることができます。
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Basilica of Damous El Karita
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(略)
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