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府中市郷土の森博物館 園内:梅の香りに包まれて、江戸から昭和へ、時を超える旅

本館で歴史的な資料やプラネタリウムを見た後、せっかくなので梅園や旧家エリアも見ていくことにしました。

府中市郷土の森博物館には、四季折々の自然や歴史の趣を感じることができる梅園と旧家エリアがあります。博物館本館の展示を楽しんだ後、ぜひ足を運んでみてほしい魅力的な場所です。


まず、梅園は冬から早春にかけて見頃を迎える府中市の名所の一つです。園内には約60種類、1,100本以上の梅の木が植えられており、白や紅、淡いピンクなど、さまざまな色合いの梅の花が咲き誇ります。見頃は2月中旬から3月上旬で、この時期には「梅まつり」も開催され、多くの来園者が訪れます。梅まつりでは、梅にちなんだ特産品の販売や、甘酒のふるまい、琴の演奏など、日本の伝統文化に触れられるイベントが行われています。遊歩道をのんびりと散策しながら、梅の優しい香りを楽しむひとときは、まるで別世界にいるような心地よさです。

一方、旧家エリアには、江戸時代から昭和初期にかけての歴史的な建物が移築・復元されています。これらの建物は、当時の暮らしぶりを伝える貴重な文化財で、実際に中に入って見学することができます。特に印象的なのは、旧府中郵便局舎です。この建物は昭和初期の郵便局を再現しており、窓口や事務室の様子がそのまま残されています。レトロな雰囲気が漂い、まるで昭和の街並みにタイムスリップしたかのような感覚を味わえます。

また、江戸時代の農家を再現した古民家も見どころの一つです。囲炉裏や土間、かまどなど、昔ながらの生活道具が展示されており、当時の暮らしを想像しながら見学することができます。季節ごとに農作業の実演や、伝統的な遊びを体験できるイベントも開催され、訪れるたびに新しい発見があります。

さらに、商家の建物も再現されており、昔の商売道具や商品が展示されています。江戸から明治時代にかけての商業活動の様子を知ることができ、特にお子さんにとっては学びの多い体験となるでしょう。館内では、ボランティアガイドの方が丁寧に解説してくれることもあり、歴史や文化への理解がより深まります。

旧府中尋常高等小学校(きゅう ふちゅう じんじょう こうとう しょうがっこう)を復元した校舎は、昭和時代に小学生だった自分にはとても懐かしく感じました。一階には、詩人の村野四郎(むらの しろう)の記念館も併設されています。

3月のひな祭りに合わせて、あちこちの旧家内に雛人形も飾られていました。

府中市郷土の森博物館の梅園と旧家エリアは、歴史や自然を体感できるだけでなく、心を豊かにしてくれる特別な場所です。梅の花が咲く季節に訪れるのも良いですし、他の季節でもその時々の魅力があります。日常の喧騒を忘れて、昔ながらの風景に浸りながらゆったりとした時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。

村野四郎

村野四郎(むらの しろう)は1901年(明治34年)、東京府北多摩郡多磨村上染谷(現:東京都府中市白糸台)に生まれました。幼少期を府中市で過ごしたこともあり、府中市は彼にとって特別な場所となりました。

詩集『体操詩集』は、村野四郎の代表作のひとつです。詩の題材として体操や肉体の動きを扱うことは、当時としては非常に新鮮な試みでした。なかでも「体操」という詩は、動作のリズムや呼吸までもが詩の中に溶け込み、読む者の身体感覚を刺激する作品です。また、戦後に発表された『亡羊記』では、戦後の混乱や虚無感を静謐な言葉で表現し、深い余韻を残しました。

現在、彼の足跡を辿ることができる場所として、府中市には「村野四郎記念館」があり、訪れる人々に静かに詩の世界を語りかけています。普段、詩に馴染みがない人でも、彼の作品を手に取れば、その言葉の美しさと奥行きに心を打たれるはずです。

詩というものは、時に難解なものと思われがちです。しかし、村野四郎の詩は、無駄を削ぎ落としたシンプルな言葉だからこそ、かえって深い情緒を感じさせます。彼の作品に触れることで、普段見過ごしていた風景や日常の一瞬が、詩的な輝きを持っていることに気づかされるかもしれません。

もし、静かに心に響く詩を探しているなら、村野四郎の詩集を開いてみるのもよいでしょう。彼の言葉は、時間を超えて、今も私たちの心の奥深くに響いてくるはずです。

旅程

都内

↓(西武池袋線 / JR武蔵野線)

府中本町駅

↓(徒歩)

府中市郷土の森博物館 本館 / 園内

↓(徒歩)

武蔵国府跡 / 武蔵国衙跡

↓(徒歩)

武蔵国分尼寺跡 / 国分寺市文化財資料展示室

↓(徒歩)

武蔵国分寺跡 / 武蔵国分寺跡資料館

↓(徒歩)

西国分寺駅

↓(JR武蔵野線 / 西武池袋線)

都内

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