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コルレオーネ村:ゴッドファーザーの余韻を連れて、シチリア内陸へ

シチリア観光の2日目、映画『ゴッドファーザー』のファンとして、どうしても自分の目で見てみたかったコルレオーネに向かいました。

前日に空港で目にした「CORLEONE」の看板が胸の高鳴りに火をつけ、公共交通の便が限られていることも承知のうえで、思い切ってタクシーを貸し切ることにしました。

車窓には、くすんだ石造の家々が寄り添う古い町並みが点々と現れ、映画の記憶と重なりながら、目的地への期待は静かに膨らんでいきました。

ところが、町の入口で降り立って最初に感じたのは意外さでした。コルレオーネの建物は思ったより新しく、全体として落ち着いた新興住宅地のように整っています。中世の迷路のような旧市街を想像していた身には拍子抜けのようでもありましたが、歩き始めると、小さな店の看板やバルコニーの花、石畳のリズムが、ここが日常の息づく「今」の町であることを穏やかに教えてくれました。

中心の公園、ヴィッラ・コムナーレ・ディ・コルレオーネには観光案内所があり、そこで教会や見どころをいくつか教えていただきました。公園は背の高いヤシの木が並び、像や噴水が陽光を受けてきらめいています。『ゴッドファーザー』の陰翳をまとったイメージから一転、南の島の軽やかな空気が心地よく、ベンチでひと息入れると、旅の緊張がほどけていくのを感じました。

教えていただいたサン・マルティーノ教会(Chiesa Madre)をはじめ、町の教会を巡りながらぶらりと散策しました。ファサードは端正で、内部には素朴な信仰のあたたかさが漂っています。

丘の上にさらに別の教会らしき姿が見えましたが、道筋が分からず、今日は下から眺めるだけにしました。石と白い壁の対比の向こうに、風に揺れる洗濯物やゆっくり行き交う人々の気配があり、観光地というより生活の場としての顔が印象に残りました。

歩きながら、コルレオーネという名前が背負ってきた歴史にも思いを巡らせました。中世にかけて勢力が交錯したシチリアの内陸にあって、ここもまた長い時間を積み重ねてきた土地です。一方で、20世紀以降は犯罪の歴史と切り離せない名として知られ、近年はその克服に向けた歩みも続いてきました。映画が世界に広めたイメージは強烈ですが、実際の撮影の多くは別の村で行われ、スクリーンの「コルレオーネ」は現実の町とは別の顔を持っています。だからこそ、目の前にあるこの静けさは、名前の重さと反照しながら、今を生きる町の素顔をやさしく浮かび上がらせてくれるのだと思います。

期待と現実のずれは、旅ではしばしば起こります。しかし、それは失望ではなく、むしろ世界が持つ多層性に触れる瞬間だと感じました。映画の影響で抱いていた「物語の舞台」を探す心と、案内所のスタッフの笑顔や公園の噴水のきらめきに出会う「日常の舞台」を味わう心が、ここでひとつに結びつきました。コルレオーネは、私にとって「名前の向こう側」を確かめる旅となり、帰り道のタクシーで見た内陸の丘陵のやわらかな線は、映画の余韻とは違う、静かな満足を胸に刻んでくれました。

次に訪れる機会があれば、丘の上の教会までの道を探し当て、町を上から眺めてみたいと思います。あの日の陽射しと風を思い出しながら、スクリーンで知った名と、歩いて出会った町の姿のあいだに、もう少し自分なりの橋を架けてみたくなりました。

旅程

ホテル(パレルモ市街)

↓(タクシー)

コルレオーネ村

↓(タクシー)

ホテル(パレルモ市街)

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