国立故宮博物院を見学したあと、そのすぐ近くにある順益台湾原住民博物館にも足を伸ばしました。
故宮の重厚な中国王朝文化の世界から、道路を渡ってわずかな距離で、台湾という島そのもののルーツに触れられる場所へと移動する──そんなコントラストが印象的な午後でした。順益台湾原住民博物館は、1994年に開館した台湾初の私立原住民博物館で、自動車関連企業グループのメセナとして設立された施設だそうです。
博物館の前に広がる広場には、民族衣装を身につけた原住民の姿が浮き彫りになった石碑が点々と置かれていました。故宮の端正な中国宮廷建築を見た直後だったこともあり、この素朴で力強い意匠がいっそう際立って見えました。台湾というと漢民族のイメージが先に立ちがちですが、この島には古くから多くの先住民族が暮らし、オーストロネシア語族に属する言語や文化を育んできたことを、広場のモニュメントが無言で語りかけてくるようでした。
館内に入ると、まず目に入ったのが原住民の船の展示でした。細長い船体に鮮やかな文様が描かれたタオ族(ヤミ族)の漁船は、太平洋に面した島々とのつながりを感じさせます。 波に揺られる姿を想像しながら眺めていると、台湾がアジア大陸の「端」ではなく、むしろ海に開かれたネットワークの「結節点」だったのだという視点が浮かび上がってきます。島の周囲を行き交う船が、人やモノだけでなく、歌や祈り、模様や物語まで運んでいたのかもしれないと思うと、小さな展示品が急にスケールの大きな歴史の断片に見えてきました。
別のコーナーには、藁葺き屋根の家屋や、石を積み上げた伝統家屋の模型が並んでいました。高床式のもの、地面にどっしりと構えたものなど、民族ごとに家の形も素材も少しずつ違います。 当時はまだ「台湾原住民」という大きな括りでしか見ていなかったのですが、屋根の勾配や壁の材質、入口の位置といった細部を見比べているうちに、「山の人」「海の人」としての暮らし方の違いが、そのまま家の形にあらわれているように感じました。
順益台湾原住民博物館は、地下1階から地上3階までのフロア構成で、信仰と儀礼、生活と道具、衣装と装飾といったテーマごとに展示が分かれています。 私が特に印象に残っているのは、「暮らし」のフロアです。籐細工の籠や、狩猟用の罠、農具、織機などが整然と並び、どれも美術品というより「使い込まれた道具」としての存在感を放っていました。ガラスケース越しに眺めながら、これらの道具を手にした人々の日々の生活や、山の匂い、焚き火の煙まで想像してしまいます。
台湾の先住民族の多くは、長いあいだ社会の周縁に追いやられ、同化政策や開発の波の影響を受けてきました。その一方で、近年は憲法上の「原住民族」としての地位が明確化され、言語や祭祀、歌や踊りの復興が進められています。 順益台湾原住民博物館も、単なる民芸品の展示にとどまらず、研究支援や教育活動を通して、先住民族文化の継承に力を入れているとのことです。
故宮博物院が皇帝たちのコレクションを通して「中国文明の正史」を語る場所だとすれば、順益台湾原住民博物館は、市井の人々の生活や祈りを手がかりに「この島のもうひとつの歴史」を語る場所だと言えるかもしれません。巨大な故宮の展示を見たあとに、この比較的小さな私立博物館に立ち寄ったことで、台湾という土地をぐっと立体的に感じられるようになりました。
あの広場に並んでいた石碑の原住民たちは、今も変わらず静かに立ち続けているのでしょう。次に台北を訪れる機会があれば、故宮とセットの観光ではなく、順益台湾原住民博物館そのものを目的地にして、もう一度じっくりと展示を見て回りたいと思います。
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