埼玉県所沢市の所沢航空記念公園を訪れました。コロナ禍の最中で、できるだけ密を避けながら行動したかった時期です。電車や繁華街よりも、屋外で風を感じられる場所のほうが安心できる気がして、この日はスクーターで公園まで向かいました。
公園に入ってまず目に入ったのは、実物のYS-11でした。写真や映像では見慣れていても、機体が持つ「大きさ」と「金属の質感」は、現物を前にすると印象が変わります。YS-11は日本の戦後航空機産業を象徴する旅客機として知られていますが、静かに展示されている姿を見ると、技術や産業の歴史が“物”としてそこに残っていることを実感します。
少し進むと「航空発祥の地」と刻まれた碑が立っていました。公園名の「航空記念」が何の記念なのか、訪れる前ははっきり意識していなかったのですが、ここで腑に落ちました。所沢は、日本の航空史において特別な場所です。明治期に日本初の飛行場が設けられ、飛行機という新しい技術を軍事や産業、教育へと結び付けていく出発点の一つになりました。今は穏やかな公園として整備されていますが、かつては空を飛ぶという挑戦が、具体的な訓練や研究として積み重ねられていた土地なのだと思うと、足元の風景の見え方が変わってきます。
園内には所沢航空発祥記念館もありました。ただ、まだ人の流れが読みにくく、屋内施設は無理をしないと決めていたため、今回は外観だけにしておきました。展示は落ち着いた頃に、改めて時間を取って見に来たい。そう思えるだけでも、再訪の目的が一つ増えた気がします。
さらに奥へ進むと、C-46A輸送機が展示されていました。戦時期から戦後にかけて、輸送機は物資や人員の移動を支える「裏方」の主役でした。華やかな戦闘機とは違う存在感ですが、輸送という機能が航空の価値を現実の社会に接続してきたことを考えると、歴史の厚みはむしろこちらにあるのかもしれません。展示機の前に立つと、空を飛ぶ技術が“生活圏”や“物流”と直結していたことが、想像よりも具体的に迫ってきます。
公園の中央には大きな塔があり、案内図には公園放送塔とありました。公園に放送塔というのは少し珍しく感じ、航空の歴史と関係があるのだろうか、とつい考えてしまいます。確かなことは分からないのですが、広い敷地で人の流れや安全を管理するための仕組みが、この公園の成り立ちとどこかで重なっているようにも思えました。
池や小川があり、木々も多く、夏の晴れた日は本来なら人で賑わうのだろうと感じる景色が広がっていました。それでもこの日は散歩する人がまばらで、静けさが印象に残りました。遠くで聞こえるのは鳥の声と風の音で、展示機を眺めながらゆっくり歩くには、むしろちょうど良い空気感だったのかもしれません。
所沢航空記念公園は、単なる広い公園というだけでなく、日本の航空が「始まった」という記憶を、日常の散歩道の中に溶け込ませている場所でした。次に訪れるときは、記念館の展示も含めて、所沢という土地が背負ってきた時間をもう少し丁寧に辿ってみたいと思います。
旅程
東京
↓(スクーター)
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