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東京都水の科学館:江東区有明で感じる、水インフラのありがたみ

有明のビル群の間を抜けて、夏の強い日差しの中を歩いていくと、「東京都水の科学館」の青いロゴが目に入ってきました。本日、江東区有明にあるこの施設を訪ね、水のこと、水道のことを改めて考える一日になりました。ここは、江戸時代からの歴史資料が並ぶ「水道歴史館」とは違い、主に水源や現代の暮らし、水道のしくみを体感的に学べるミュージアムとして位置づけられています。

館内に入ると、まず目に飛び込んでくるのは、水に直接触れられる浅いプールのような展示です。透明なドームに子どもたちがもぐり込み、水面から顔だけひょっこり出してはしゃいでいる様子が、とても楽しそうでした。 周りを見回すと、親子連れが多く、夏休み前とはいえ、ちょっとした「子ども科学博」のようなにぎわいです。木をモチーフにしたトンネル型の展示もあり、くぐり抜けながら、水が森を潤し、やがて川へと流れていくイメージが自然と頭に浮かびました。

展示の内容は、まさに「現代の水道事業」そのものです。東京の水がどこから来て、どのような経路をたどって蛇口まで届くのか、水源のダムや取水施設、浄水場から配水池、そして街中に張り巡らされた配水管まで、映像や模型、パネルで分かりやすく紹介されていました。東京の水道は江戸時代の上水に起源を持ちますが、その後、明治31(1898)年に淀橋浄水場からの給水が始まり、近代水道が本格的にスタートしました。 今では規模・水質ともに世界有数のレベルに達しているといわれており、江戸から現代までの積み重ねの上に、私たちの日常の一杯の水があるのだと実感します。

館内のあちこちには、子ども向けの体験型展示が並んでいました。水の流れを自分の手で変えてみる装置や、水の勢いを利用してタービンを回す模型など、触って、動かして初めて分かる仕組みが多く、つい大人も真剣になってしまいます。水の性質や水の循環を説明するコーナーもあり、雨として降った水が川を下り、浄水場を通って再び私たちのもとに戻ってくるまでの長い旅路を、子どもたちが楽しそうに追いかけていました。

東京都水の科学館では、実際の給水所を見学する「アクアツアー」も用意されています。 水が巨大な施設の中でどのように浄化され、安全を確認されてから街に送り出されているのかを間近で見られる貴重な機会なのですが、今回は時間の都合で参加を見送りました。せっかく水道事業の「入口」にあたる科学館まで来たので、次の機会にはぜひツアーにも参加して、展示で学んだ知識と実際の風景を結び付けてみたいと感じました。

展示を見ながら思い出したのは、江戸の町を潤した神田上水や玉川上水のことです。江戸の水道は「上水」と呼ばれ、石や木の樋を使って水を街中の井戸へと導いていました。 人口が増え続ける江戸の需要に応えるため、多摩川から43キロもの水路を掘り抜いた玉川上水は、承応3(1654)年に完成したといわれ、江戸の暮らしを大きく支えました。 その延長線上に、近代水道の整備があり、今のように蛇口をひねれば当たり前のように水が出る日々があるのだと思うと、科学館の明るい展示の裏側に、長い時間と膨大な人の手が積み重なっていることを改めて感じます。

館内を一通り見終わる頃には、単に「水の科学」というだけでなく、「水道というインフラをどう次世代につないでいくか」という視点も自然と湧いてきました。子どもたちが楽しそうに遊びながら、水の大切さや水道の仕組みに触れている様子を見ると、こうした体験型の場が、未来の利用者や支える側の意識を育てていくのだろうと思います。次に訪れるときは、給水所のツアーも含めて、もう少し時間に余裕を持って、水と水道の世界をじっくり味わってみたいです。

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