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東京都現代美術館(MOT): 日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション / 開発好明 ART IS LIVE ―ひとり民主主義へようこそ / MOTコレクション 竹林之七妍 / 特集展示 野村和弘 / Eye to Eye—見ること

今日は、東京都現代美術館(Tokyo Metropolitan Museum of Contemporary Art, MOT)に来ました。

東京都現代美術館は、東京都江東区の清澄白河エリアに位置する現代美術を専門とした美術館です。1995年(平成7年)に開館し、国内外の現代美術作品を幅広く紹介することで知られています。

東京都現代美術館は、絵画、彫刻、映像、インスタレーション、パフォーマンスアートなど、現代美術の多様なジャンルを扱っています。特に国内外の著名な現代アーティストの企画展や特別展が定期的に行われ、アヴァンギャルドな作品から最新の表現まで網羅しています。

館のコレクションには、国内外の現代美術作品が数多く含まれており、特に戦後の日本の現代美術に関する作品が充実しています。草間彌生、村上隆などの作品や、モダンアートの歴史を振り返るような名作も所蔵されています。

美術館の建物は、建築家・柳澤孝彦(やなぎさわ たかひこ)によって設計されました。モダンなデザインで、広々とした展示スペースと自然光を取り入れた開放的な雰囲気が特徴です。美術館内には、カフェやミュージアムショップも併設され、リラックスできる空間も提供されています。


現在は、「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」「開発好明 ART IS LIVE ―ひとり民主主義へようこそ」「MOTコレクション 竹林之七妍 / 特集展示 野村和弘 / Eye to Eye—見ること」の特別展が開催されていました。


高橋龍太郎(たかはし りゅうたろう)は、日本の精神科医であり、現代アートの著名なコレクターとして知られています。1997年から本格的に現代アートの収集を開始し、草間彌生や合田佐和子の作品を出発点としました。特に1990年代以降の日本の重要作家の初期作品や代表作を多く収集しています。所蔵作品は2000点以上に及び、質・量ともに日本の現代美術コレクションとして屈指の規模を誇ります。

「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」では、草間彌生、村上隆、奈良美智などの作品が展示されています。


開発好明(かいはつ よしあき)は、山梨県出身の現代美術家です。1993年に多摩美術大学大学院を修了し、以降、日常生活や社会現象への関心を基に、コミュニケーションを内包・誘発する多様な表現活動を展開しています。

「開発好明 ART IS LIVE ―ひとり民主主義へようこそ」では、「365大作戦」、「未来郵便局」などが展示されていました。


「MOTコレクション 竹林之七妍 / 特集展示 野村和弘 / Eye to Eye—見ること」は、偶然ギャラリートークの時間になり、解説を聞きながら見ることができました。

「竹林之七妍(ちくりんのしちけん)」では、7人の女性作家、間所(芥川)紗織、高木敏子、漆原英子、小林ドンゲ、前本彰子、福島秀子、朝倉摂の作品が展示されていました。

「Eye to Eye—見ること」では、多田美波などの作品について解説していただきました。


清澄庭園や、アートギャラリーが集まる清澄白河エリアに位置し、訪問者は周辺を散策しながら他の文化施設も楽しむことができます。近年、清澄白河エリアはカフェやギャラリーが多く立ち並ぶ「アートとカフェの街」としても知られるようになっています。


やはり、現代や近代の美術は難しいですが、解説などを聞きながら少しずつ理解していきたいです。

旅程

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