年末のインドネシア旅行は、ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港から始まりました。空港名にあるスカルノとハッタは、インドネシア独立の「建国の世代」を象徴する初代大統領と初代副大統領であり、この国に降り立った瞬間から、旅の背景にある歴史が静かに立ち上がってくるように感じます。
到着してまず行ったのは、ビザの取得でした。事前にルピアへ両替していたので支払い自体は問題ないはずだったのですが、慌てて5万ルピア札を出してしまい、何度も「足りない」と言われてしまいました。落ち着いて札束を見直すと、赤い10万ルピア札が中心で、そこに5万ルピア札を組み合わせる形が必要だったようです。最初の関門は、言語よりも紙幣の色と桁感覚でした。
入国審査に向かう途中では「All Indonesiaに登録しましたか」と声をかけられました。ツアー会社から渡されていたQRコード付きの資料を見せると、それで問題なく通れました。後で知ったのですが、この「All Indonesia」は、従来別々に入力していた電子税関申告(e-CD)や健康関連の申告(SATUSEHAT Health Pass)などを統合し、到着カード(Arrival Card)の役割もまとめて扱う仕組みとして導入が進められているものだそうです。
税関でもオンライン化が進んでいて、スマホで登録できる導線が用意されていました。私はどこかで案内を見落としていたらしく、荷物を待つ間に空港内の端末で登録することになりました。便利になる一方で、「ツアーだから大丈夫」と調べ物を手放していた分だけ、現場で一瞬戸惑うのだと実感します。ただ、手続き全体は大きく滞らず、無事にツアーグループへ合流できました。
ジャカルタでの滞在は一泊のみで、翌朝には国内線でジョグジャカルタへ移動します。つまり、ジャカルタを歩けるのは夕食後から翌朝までの短い時間だけでした。夕食を終えたのは21時頃で、部屋を整えた後、私はムルデカ広場へ向かいました。バス移動の途中に、ライトアップされたモナス(国家記念碑)を車窓から眺め、ガイドさんの簡単な説明も聞いていましたが、写真を撮る間がなかったので、どうしても自分の足で近くまで行っておきたかったのです。
ムルデカ広場は、その中心にモナスがそびえる「独立の広場」です。そもそも“merdeka”はインドネシア語で「独立」を意味し、この場所自体が国の物語を背負っています。 そしてモナスは、独立闘争の記憶を刻む国家的モニュメントとして、スカルノ大統領の主導で1961年に着工し、1975年に一般公開されたとされています。
ところが、地図上では徒歩30分ほどに見えた道のりは、想像以上に骨が折れました。歩行者用の導線が途切れがちで、交通量の多い道路でも横断のための信号が見当たらなかったり、信号があっても車の流れが優先されがちだったりして、歩く側が「空気を読む」場面が増えます。道中には屋台も並び、旅情を誘われましたが、ツアー行程の中で無理はしないと決め、香りと活気を楽しむだけにしました。
ようやくムルデカ広場の南西側に着くと、門が閉まっていて中へ入れませんでした。門前には屋台や路上販売があり、地元の人がなんとなく集まって過ごしている空気があります。ライトアップされたモナスは、門の外からでも十分に存在感があり、写真を撮るには足ります。
それでも名残惜しく、念のため北西側の門へ回ってみました。こちらは少し明るく、人の気配も多く、子どもがいるのにも驚きました。深夜に近い時間でも、街が完全に眠りきらないのが大都市ジャカルタなのだと思わされます。
ただ、車の往来は最後まで激しく、道を横断するだけでも神経を使いました。もう少し探索したい気持ちを抑え、コンビニでお菓子だけ買ってホテルへ戻ることにしました。短い時間でしたが、「独立」という言葉が地名となり、モニュメントとして夜に輝いている光景を、自分の行動の記憶として持ち帰れたのは大きな収穫です。
オンライン手続きに戸惑い、夜の道路に手こずりながら、それでも確かに旅の一日目が始まりました。次にジャカルタへ来るときは、日中のムルデカ広場に入り、モナスの足元から、この国が積み重ねてきた時間をもう少し丁寧にたどってみたいと思います。
旅程
羽田空港
↓(ガルーダ・インドネシア航空)
スカルノ・ハッタ空港関連イベント(CGK)
↓(観光バス)
ホテル(Millennium Hotel Sirih Jakarta)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
ホテル
周辺のスポット
- インドネシア国立博物館




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