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歌舞伎座ギャラリー回廊:伝統と高層ビルが重なる風景、籠と船と刀が語る舞台裏

本日は歌舞伎座ギャラリー回廊に行きました。

銀座駅から地下通路を東銀座方面へ歩くと、ひんやりした空気の中に扇子や手拭いが並ぶ売店が現れました。地下で既に歌舞伎の世界が始まっているのが面白く、色とりどりの隈取模様のグッズを眺めているだけで気分が高まります。

地上に出ると、唐破風の屋根をいただく古典的な劇場の背後に近代的な高層ビルがそびえ、伝統の殿堂と都市のダイナミズムが一枚の風景に同居していました。少しの違和感と、むしろ未来へとつながる不思議な安心感を同時に覚えます。

このビルは歌舞伎座タワーで、その5階に「歌舞伎座ギャラリー回廊」があります。館内では、舞台で使われる張り子の馬や駕籠、船の道具、刀、豪華な衣裳などが、照明のもとで静かに存在感を放っていました。近くで見ると、観客席からはわからない細工が随所に施されていて、道具一つにも物語を背負わせる手仕事の積み重ねが伝わってきます。

壁面には歌舞伎独特の化粧「隈取」の実例が並び、赤は勇壮、藍は冷酷、茶は怪異といった色が役柄の性格や心情を示すことを改めて学びました。役者の「見得」と同じように、化粧もまた物語を一瞬で語る記号なのだと感じます。

回廊を抜けて屋上庭園へ出ると、銀座の空を切り取るような緑の一角が広がっていました。公演を待つ人たちがベンチで休み、遠くに首都高の走る音がかすかに響きます。都会の真ん中で、舞台の高揚と開演前の静けさが交わる、不思議に落ち着く場所でした。

歌舞伎は、江戸初期に出雲阿国のかぶき踊りに端を発し、江戸や上方の庶民文化と共に成熟してきた芸能です。明治期に誕生した歌舞伎座は、火災や震災、戦災を経て何度も再建され、現在の建物は伝統的な劇場意匠と高層オフィスを一体にした形で2010年代に新たな門出を迎えました。格式を守りながら現代の都市と共生する設計は、歌舞伎そのものが時代に応じて上演様式や舞台技術を更新してきた歴史と響き合っているように思います。

今回は公演の時間が合わず舞台は見られませんでしたが、道具と化粧の世界を覗いたことで、次は客席に座って音と光と所作が一体となる瞬間に立ち会いたいという思いが一層強まりました。地下で手に取った扇子の柄を思い出しながら、伝統が現在形で息づく銀座の劇場を後にしました。次に訪れるときは、幕が上がる直前の鼓動も含めて味わいたいと思います。

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