世界遺産「平泉」を歩く一日の始まりに、私はまず毛越寺(もうつうじ)へ向かいました。平泉駅からの道すがら、観自在王院跡が視界に入りますが、先に毛越寺の山門をくぐります。門を抜けて正面の本堂へ歩いていくと、観光地としての賑わいよりも、朝の境内に漂う静けさのほうが強く感じられ、ここが祈りの場であることを自然と意識させられました。
毛越寺の魅力は、建物を眺めるだけでは終わりません。平泉が栄えた奥州藤原の時代、この地では浄土思想が厚く信仰され、理想の世界をこの世に表そうと寺院や庭園が整えられていきました。境内の広大な庭園を歩き始めると、その「浄土を写す」という発想が、言葉ではなく空間として迫ってきます。天気の良い日で、池には周囲の景色がきれいに映り込み、風が止まる瞬間には水面が鏡のようになって、庭園そのものが一幅の絵のように見えました。
途中で印象に残ったのは、松尾芭蕉の「夏草」の句碑だけでなく、英訳の句碑が並んでいたことです。平泉という土地が、日本の歴史の記憶であると同時に、いまや世界の人が訪れる場所になっていることを、さりげない石碑が語っているようでした。
花菖蒲園は季節が少し過ぎていたようで、花はわずかに残る程度でしたが、そのぶん緑の勢いが強く、盛りの華やかさとは別の、夏らしい生命感がありました。菖蒲園の先では開山堂を参拝し、視線と気持ちをいったん整えてから、さらに境内をめぐります。
嘉祥寺跡、講堂跡、金堂円隆寺跡、鐘楼跡などは、建物こそ残っていないものの、礎石が静かに「ここに伽藍があった」事実を示していました。遺跡を歩くとき、私はいつも「失われたもの」を想像してしまいますが、毛越寺では不思議と、失われたことが悲しいというより、時間の厚みが場所に蓄えられているように感じます。
説明板にあった遣水(やりみず)の話も同じで、発掘によって見つかった庭園遺構が、平安期の庭園文化をいまに伝える重要な手がかりになっているのだと思うと、目の前の小さな流れが急に重みを帯びて見えてきました。
常行堂や鐘楼堂、そして常行堂・法華堂跡まで足を延ばすと、少し先に次の目的地である観自在王院跡を見渡せました。朝は通り過ぎたはずの場所が、寺の境内から「次に向かう先」として見えてくる流れが心地よく、平泉の名所が点ではなく線でつながっていく感覚がありました。毛越寺は、世界遺産として「見どころ」を回収する場所というより、庭園を歩く時間そのものが体験になる寺でした。ここで整った心のまま、私は次の観自在王院跡へ向かいました。
旅程
東京
↓(新幹線)
平泉駅
↓(徒歩)
↓(徒歩)
観自在王院跡
↓(徒歩)
↓(徒歩)
熊野三社(平泉)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
無量光院跡
↓(徒歩)
岩手県立平泉世界遺産ガイダンスセンター/柳之御所遺跡
↓(徒歩)
平泉駅
↓(タクシー)
↓(タクシー)
↓(バス)
一ノ関駅
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