夏の真っ盛りの一日、平泉で毛越寺を歩いたあと、中尊寺へ向かう道すがら金鶏山(きんけいさん)に寄りました。
世界遺産の構成資産ということもあって、入口には新しい解説板が立ち、静かな一角ながらもこの小丘が町の歴史に深く結びついてきたことを感じさせます。すぐ脇の千手堂には、源義経公の妻子の墓があると伝えられており、手を合わせてから山道に入りました。
真夏の盛りで境内の草はよく伸び、毛越寺の整然とした景観と比べると人影も少なく、むしろ昔日の面影がそのまま残っているように思えます。
金鶏山は本当に小さな山です。ゆっくり歩いてもほどなく頂上に着き、そこには小さな石の祠がひっそりと佇んでいました。見晴らしは決して華やかではありませんが、木々が広げる木陰に吹く風が心地よく、汗ばむ夏の日にひと息つくにはぴったりの場所です。耳を澄ますと、遠くの車の音と蝉の声が重なり、賑わいの中尊寺通りからわずかに外れただけで、時間の流れがゆるやかに変わるのを感じました。
この小丘に「金鶏」の名が残るのは、奥州藤原氏の栄華とともに語られる伝承ゆえでしょう。藤原清衡が都の方角を鎮めるため、山頂に金色の鶏を埋めたという話が伝わり、以後、平泉の都市と寺院の配置はこの丘を基点に構想されたともいわれます。毛越寺の浄土庭園や中尊寺の諸堂が描き出すのは、仏の国土をこの世にあらわすという壮大な思想ですが、その“芯”のように静かに座しているのが金鶏山なのだと考えると、目の前の小さな祠もぐっと存在感を増して見えてきます。華やかな金色堂の輝きや、整えられた苑池の曲線に心奪われたあとに、この素朴な丘に立つと、平泉の宗教都市が大伽藍と日常の地形の両方で成り立っていたことがよく分かります。
千手堂の一隅に伝わる義経の縁も、平泉の物語をいっそう人間的に感じさせてくれました。歴史はしばしば勝者の記録で語られますが、金鶏山の周りに息づくのは、逃れ、支え、祈った人々の静かな記憶です。夏草が勢いよく伸びる道を歩きながら、芭蕉の句を思い出しつつも、ここでは「兵どもが夢の跡」というより、むしろ“暮らしと信仰の跡”に触れているような気持ちになりました。
短い上り下りを終えて道へ戻ると、再び中尊寺へ向かう人流に合流しました。世界遺産と聞くと、つい壮大な建物や有名な眺望を期待してしまいますが、平泉の魅力は、こうした小さな場所が大きな物語の要にそっと据えられているところにもあります。金色堂の荘厳さ、毛越寺の庭園美といった“表舞台”を見たあとで、金鶏山の木陰に立ち止まると、千年を超えて続く祈りの座標軸が自分の中にも一本通るようでした。派手さはありませんが、夏の熱気を和らげる風と、簡素な祠の前に漂う静けさは、旅の記憶の奥で長く響き続けるはずです。
旅程
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