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向山庭園:ハリー・ポッターの壁を横目に、ひと呼吸の午後

コロナで遠出を控えているため、人出の少なそうな場所を求めてスクーターで練馬区へ向かいました。 旧豊島園の外周をぐるりと巡り、建設中と聞いていたハリー・ポッターのテーマパークの様子をうかがいましたが、現場は想像以上に静かで、視界に入るのは映画の世界観を思わせる落ち着いた色味の高い壁だけでした。園内の賑わいを記憶している身には、その「音のない風景」がかえって印象に残りました。 外周路の途中、ふと目に入ったのが向山庭園でした。門をくぐると、街の喧騒が一段落ち、池を中心に整えられた小さな日本庭園が広がります。水面に映る空の色がやわらかく、刈り込みの低木と石組が作る起伏が歩みを自然とゆっくりにしてくれます。東屋の影や飛び石のリズムを確かめながら園路をたどると、季節の木々が風の向きを教えてくれ、足元の砂利の音が心地よい間合いを刻みました。広大ではありませんが、視線の先が折り返すたびに小さな場面転換があり、短い滞在でも「回遊」の楽しさを感じられます。 この一帯は、昭和初期に鉄道大臣を務めた江木翼の邸宅があったと伝えられます。ただ、現在の向山庭園は、そうした個人邸宅の痕跡を濃くとどめるというより、地域に開かれた憩いの庭として整えられている印象でした。歴史のエピソードは背景として控えめに漂い、目の前の庭は今を生きる近隣の人々の居場所として静かに機能しているように思います。 ハリー・ポッターの世界がやがて姿を現す手前で、質素な壁と、池のさざなみという対照的な風景に出会ったことは、地域が変わりゆく時間の中にあることをはっきりと感じさせました。豊島園の記憶に新しい場所に、世界的なエンターテインメントが根づこうとしている一方で、向山庭園のような小さな緑の空間が、変化の季節に呼吸の間をつくってくれる。そんな役割を確かめられた午後でした。コロナ禍で遠出を控えた旅の代わりに、足元のまちの表情を静かに見つめ直す時間になりました。 旅程 都内 ↓(スクーター) 田島山十一ヶ寺 ↓(徒歩) 向山庭園 ↓(スクーター) 都内 リンク 【公式サイト】練馬区立 向山庭園 向山庭園 概要:練馬区公式ホームページ

中野氷川神社:コロナ禍の冬、ひっそりと手を合わせる日

年末の本日、いつもは年末は海外に出かけますが、代わりに都内を歩いて、中野区の中野氷川神社をお参りしました。 境内にはお祭りの提灯がいくつも下がり、コロナ禍で多くの行事が中止されていた時期にも、初詣の準備が少しずつ戻りつつある気配を感じました。この日は人影もまばらで、本殿に一礼してから、静かな社域をゆっくり一周して帰りました。年末の冷たい空気と紙垂のかすかな揺れが、妙にすっきりした気持ちにさせてくれました。 中野氷川神社は、旧・中野村の総鎮守として知られ、社伝では長元3年(1030)に武蔵国一宮・大宮氷川神社を勧請して創建されたと伝わります。御祭神は、荒ぶる力と禊の清めを象徴する須佐之男命、物語でその妃となる稲田姫命、そして国づくりの神として知られる大己貴命の三柱です。いずれも関東各地の氷川系の社に共通する顔ぶれで、武蔵野の開拓や村落の守護と結びついて語られてきました。 この社は中野の歴史とも縁が深く、江戸・近世の頃には地域行事の中心でもありました。例祭は現在、毎年9月中旬に行われ、各町会の神輿が練り歩く中野区でも最大級の祭礼として知られています。静かな年末の境内からは想像しづらいにぎわいですが、季節が巡れば大通りを封鎖しての連合神輿や太鼓の披露もあり、地域の力を感じさせる華やぎに包まれます。 年末のひっそりした空気の中で、一礼して振り返ると、提灯の列の向こうに小さな社殿が凛として立っていました。海外に行けない不自由さはありましたが、足元の暮らしのそばにある古社に向き合うことで、むしろ「いつもの東京」に守られている実感がありました。千年の時を超えて続く鎮守の神さまに、静かに一年の感謝を伝えられた一日でした。 旅程 都内 ↓(スクーター) 中野氷川神社 ↓(スクーター) 都内 リンク 氷川神社【おひかわさま】 - 東京都神社庁

神代植物公園:秋色に染まる都内の楽園で過ごすひととき

本日は、神代植物公園(じんだいしょくぶつこうえん)を訪れました。東京都調布市にあるこの公園は、都内とは思えないほど豊かな自然に囲まれていて、園内に一歩足を踏み入れると、まるで都会の喧騒が遠く離れていくような感覚になります。 秋の神代植物公園は、色づく木々がとても美しく、特にイチョウやモミジの鮮やかな黄色や赤色が青空によく映えていました。正門から入ると、整然とした花壇や大温室が迎えてくれます。バラ園も有名ですが、私が訪れた日は秋バラがちょうど見頃を迎えており、さまざまな品種のバラが優雅に咲き誇っていました。香りに包まれながらゆっくりと園内を歩くのは、とても贅沢な時間でした。 神代植物公園の魅力は、花だけでなく、樹木や野草の多様さにもあります。園内にはテーマごとに分かれたエリアがあり、季節ごとに異なる表情を見せてくれます。この日は、色づいた木々の間を歩きながら、落ち葉を踏みしめる音や、時折吹くさわやかな風を感じて、普段の生活ではなかなか味わえない静けさと自然の豊かさを満喫することができました。 また、大温室の中には熱帯や亜熱帯の植物がたくさん展示されており、外の秋の空気とはまた違った、緑あふれる空間に癒されました。蘭や睡蓮、サボテンなど、日常では目にすることのない珍しい植物も多く、どこを見ても飽きることがありません。 園内のベンチに腰掛けてひと休みしながら、静かに流れる時間を味わっていると、自然の中に身を置くことの大切さをあらためて感じます。神代植物公園は、四季折々の自然の美しさを存分に堪能できる場所であり、日常から少し離れてリフレッシュしたいときにぴったりの場所だと実感しました。 帰り道、秋の日差しの中で色づく木々をもう一度振り返りながら、公園で過ごした穏やかな一日が心に残りました。 旅程 東京 ↓(スクーター) 神代植物公園 ↓(スクーター) 東京 関連イベント 周辺のスポット 国立天文台 地域の名物 関連スポット リンク 神代植物公園|公園へ行こう!

寿徳寺/谷津大観世音菩薩:モダンな伽藍と幕末の記憶

板橋駅からいくつかの神社を参拝したあと、石神井川を渡って寿徳寺へ向かいました。 境内に入る前からまず目に飛び込んできたのは、川沿いに鎮座する谷津大観音です。観音橋の北詰、寺へと上る坂の入口に据えられた堂々たる聖観音菩薩像で、平成8年(1996)に当時の住職の発願で建立されたものだと知り、地域を見守る目印のような存在感にうなずきました。 そのまま北へ歩くと寿徳寺に着きました。近づくほどに建物の意匠が現代的で、街の生活のなかに溶け込む寺のたたずまいに少し驚きます。寿徳寺は北区滝野川にある真言宗豊山派の寺院で、本堂前の大イチョウにまつわる信仰から「谷津子育観音」としても知られています。大イチョウの皮を供え祈願すると母乳がよく出る——かつてはそんな素朴な願いを携えた人びとの参拝が続いたことを思うと、都市のなかの寺が果たしてきた役割の広さを感じます。 入口では新選組局長・近藤勇の石碑にも手を合わせました。寿徳寺は近藤勇の菩提寺として知られ、板橋駅東口近くにある墓地は同寺の境外墓地です。近藤は慶応4年(1868)に板橋で斬首され、首は京都へ、胴は滝野川に葬られたと伝わります。のちに新選組の永倉新八らの尽力で1870年代に墓所が整えられ、今も命日の4月25日前後には法要が営まれているとのこと。駅前の喧騒と、史跡としての静けさが隣り合う風景に、幕末の時間の厚みが重なって見えました。 谷津大観音の大きな手と、モダンな寺の建物、そして石碑に刻まれた名。川風に吹かれながらそれぞれを順に巡ると、日常の道筋に歴史の層がふっと立ち上がってきます。 散歩がてらに訪れたはずが、帰り道には、地域の記憶を受け継いできた人びとのまなざしに触れたような、静かな余韻が残りました。 旅程 板橋駅 ↓(徒歩) 近藤勇と新選組隊士供養塔 ↓(徒歩) すがも鴨台観音堂 ↓(徒歩) 瀧野川八幡神社 ↓(徒歩) 谷津大観世音菩薩 ↓(徒歩) 寿徳寺 ↓(徒歩) 板橋駅 周辺のスポット 瀧野川八幡神社 リンク 寿徳寺・谷津子育観音 | 東京都北区観光ホームページ 寿徳寺(東京都北区)の概要・価格・アクセス|東京の霊園.com|

瀧野川八幡神社:七五三の色が揺れる、晩秋の小さな祝祭

冬の入り口に差しかかる本日、板橋駅の周辺をスクーターで巡りながら、静かな社の気配に導かれるように瀧野川八幡神社へ立ち寄りました。コロナ禍で人混みを避ける旅を続けており、境内にも観光客らしい人影はほとんどありませんでしたが、入り口には七五三の幟がはためき、地域の日常は途切れずに続いているのだと感じました。大勢が集う賑わいではなく、それぞれの家族が距離を保ちながらゆっくりとお参りしている様子が目に浮かぶようで、風に揺れる幟の音が静けさをやさしくほぐしていました。 瀧野川八幡神社は、鎌倉時代前期の創建と伝わります。まさに関東に武士の秩序が整えられていくころ、武の守護神として厚く信仰された八幡神を祀る社が、この地でも崇敬を集めはじめたのでしょう。八幡信仰は、源氏をはじめとする東国武士にとって精神的な拠りどころでしたから、荒川の段丘が続く瀧野川の台地に社が据えられたのも、当時の人々がこの土地に見た“拠り所”の感覚と重なります。中山道や石神井川の流れにほど近い北の文化圏は、江戸の外縁として栄え、農の暮らしと往来の道、祈りの場が結びついて独特の景観を形づくってきました。社殿の前に立つと、そうした時間の層がゆるやかに重なり、いま目の前にある静けさに、遠い昔の鼓動がまじるように感じられます。 本殿へ進むと、木肌のあたたかさと淡い香りに背筋が自然と伸びました。無事にここまで辿り着けたことへの感謝を静かに伝えました。見上げる社殿の意匠は華美ではありませんが、地域の人々の手で守られてきた気配があり、柱の一部に刻まれた細かな傷や、屋根の反りのやわらかな線に、長い歳月の手触りが宿っています。境内の片隅には色づき始めた木々があり、秋の色が少しずつ濃くなる途中の、季節の“移行期”ならではの落ち着きが漂っていました。 七五三の幟が示すとおり、11月は子どもたちの節目を祝う月です。疫病や災いの多かった時代、子どもが無事に成長することは何より大切な願いでした。鎌倉から江戸、そして令和へと暦が変わっても、その願いの核は変わらないのだと思います。コロナ禍で大きな祭礼が縮小された年も、家族で静かに詣でる姿が受け継がれていく――その連続性こそが、神社という場所の力なのかもしれません。祭囃子が鳴らない日でも、幟一本が風を受けて立っているだけで、地域の時間が確かに進んでいることが伝わってきます。 短い滞在でしたが、...

近藤勇と新選組隊士供養塔:駅近の静寂に立つ、新選組を弔う石碑

東京都北区の「近藤勇と新選組隊士供養塔」を訪ねました。このころはコロナ禍で、人の多い場所を避けながら週末に関東近郊をスクーターで探索しており、この日も「どこか静かに歩ける場所はないか」という軽い気持ちで板橋周辺に立ち寄りました。板橋駅近くの駐輪場にスクーターを停め、駅前から少し歩きながら地図を眺めていると、すぐ近くに「近藤勇と新選組隊士供養塔」という表示が見え、自然に足が向きました。 現地は、交通量のある駅前に、人通りの多い場所でした。供養塔は想像以上に大きく、堂々とした墓石が据えられていて、幕末という遠い時代の出来事が、いまの生活圏のすぐ隣に折り重なっていることを実感します。 そばには「近藤勇埋葬当初の墓」という立札が添えられた大きな石もあり、いったんここに“埋められた”という生々しい事実が、観光地の説明以上の重みで迫ってきました。さらに周囲には近藤勇の像や石碑もあり、個人の墓というより、時代の記憶を受け止める場として整えられている印象でした。 背景を少し辿ると、この一帯は新選組局長・近藤勇(こんどう いさみ)の最期と深く結びついています。近藤は慶応4年(1868年)4月25日、板橋平尾宿の一里塚で斬首され、首は京都でさらされ、胴は滝野川の無縁塚に埋葬されたと伝えられます。その後、明治9年(1876年)に新選組隊士の永倉新八が発起人となり、旧幕府典医の松本順(良順)の協力も得て、近藤勇や土方歳三、そして殉死した隊士たちを弔う墓碑(供養塔)が建てられました。側面には多数の関係者名が刻まれ、北区の文化財にも指定されているという点からも、単なるファンの“聖地”に留まらない史資料としての価値がうかがえます。 板橋駅のすぐ近くに、こうした供養の場が静かに残っていること自体が、江戸が「都市として更新され続けた場所」であると同時に、「記憶が消え切らずに地面の下に層をなしている場所」でもあることを教えてくれます。駅前という日常の動線の中で、歴史が急に立ち上がってくる感覚は、現地を歩いた人にしか得られない体験でした。 もともと板橋に明確な目的があったわけではありませんが、結果としてこのあと寿徳寺にも足を運ぶことになり、気づけば一日が「近藤勇をめぐる日」になりました。供養塔を起点にして周辺を歩くと、幕末史が本や映像からではなく、地名や道の曲がり方、駅と寺の距離感といった“現実のスケー...

長仙寺:朱の門、緑の庭で心ほどく、杉並の小さなオアシス

杉並区の住宅街のなかに静かに佇む長仙寺(ちょうせんじ)を訪ねました。 まず目に入ったのは、鮮やかな朱色が目を引く山門です。近づくと木組みの陰影がくっきりと浮かび、境内の緑と対照をなしていました。 門の内側に進むと、芝や苔が陽に透けて柔らかい明るさを帯び、都会にいることを忘れるほど穏やかな時間が流れていました。仁王像が睨みをきかせるこの朱塗りの門は、邪を払う結界としての存在感も十分で、ここから先は心を落ち着けて進みたい、そんな気持ちにさせてくれます。 本堂の前で一礼し、手を合わせました。堂宇の軒が差し出す影の下で、境内の緑の気配と参道の静けさが背中に集まってくるようです。参拝を終えてからあらためて見上げると、現代の街並みに調和しつつも、寺の時間をゆったりと刻む佇まいが印象的でした。 この寺は真言宗豊山派に属し、本尊は不動明王です。寺伝では宝永元年(1704)に中野・宝仙寺の僧・真秀が一庵を結んだのが始まりとされますが、住職墓地には慶安4年(1651)没の宥観和尚の墓が残り、創建はさらに遡る可能性が示されています。江戸後期の寛政8年(1796)に本堂を焼失し、嘉永3年(1850)に再建。昭和10年(1935)には再び本堂を新築しましたが、戦災で焼失し、現在の寝殿造の本堂は昭和44年(1969)に建立されたものです。本尊の木造不動明王立像は区の文化財にも指定され、寺の歴史を静かに見守ってきました。 山門の朱と境内の緑、本堂の落ち着いた意匠が織りなす色と光は、季節や時間によって表情を変えるのでしょう。街の喧騒から数分歩いただけで、こうして心を鎮める場に出会えることのありがたさを、改めて感じる一日でした。 旅程 高円寺駅 ↓(徒歩) 長仙寺 ↓(徒歩) 高円寺駅 関連イベント 周辺のスポット 高円寺 地域の名物 関連スポット リンク 長仙寺 【寺院】(高円寺南3丁目58番4号)|杉並区公式ホームページ 長仙寺|すぎなみ学倶楽部