ホテルで少し休憩した後、旧市街(メディナ)の探索に出かけました。
ホテルの前が勝利広場(Place de la Victoire、ビクトワール広場)です。
勝利広場は、チュニジアの首都チュニスに位置する歴史的な広場です。この広場は、旧市街(メディナ)と新市街(ヴィル・ヌーヴ)を結ぶ重要な地点であり、交通の要所としても知られています。
メディナとは、アラブ世界の伝統的な都市の旧市街を指す言葉で、特に北アフリカや中東の歴史的な都市で見られます。アラビア語で「都市」や「町」を意味し、通常は都市の中心部に位置し、古くからの商業活動や社会生活の中心地でした。
メディナには、狭い路地や迷路のような通りが特徴で、建物が密集し、壁に囲まれていることが多いです。この構造は防御のために作られ、外敵の侵入を防ぎ、また都市内部の涼しさを保つ役割も果たしています。チュニスやフェズ、マラケシュなどの都市にあるメディナは、歴史的・文化的な価値が高く、ユネスコの世界遺産に登録されているものもあります。
チュニスの勝利広場は、特に有名なフランス門(Bab el Bhar、バブ・アル・バフル)という門によって象徴されています。この門は「海の門」とも呼ばれ、チュニスの旧市街(メディナ)への入り口にあたります。かつては、メディナと港を結ぶ重要な通路でしたが、現在では歴史的なシンボルとして残っています。
フランス門は、かつてチュニスを防御するために築かれた城壁の一部で、13世紀ごろに建設されました。「バブ・アル・バフル」というアラビア語名は「海の門」を意味し、チュニスが港町として重要な役割を果たしていた時代に由来しています。チュニスは当時、地中海と接していたため、海へのアクセスが非常に重要でした。しかし、後に海岸線が後退し、現在ではこの門が海とは直接接していません。
フランスが1881年から1956年までチュニジアを保護領として支配していた時期に、門の近くにフランス風の新市街(ヴィル・ヌーヴ)が建設されました。この影響で、地元の人々はこの門を「フランス門」と呼ぶようになりました。新市街の整備はチュニスの近代化の一環であり、ヨーロッパ風の広い大通りや建築様式が導入されました。
フランス門の外観は、イスラム建築とヨーロッパの影響が融合した特徴を持っています。門自体は比較的シンプルで、石造りのアーチを中心にした構造ですが、そのシンプルさが逆に重厚感を与えています。また、門の上にはチュニジアの国章が描かれています。
この門は、チュニスの歴史的な変遷を象徴する場所として、過去と現在が交差する地点です。訪れると、チュニジアの豊かな文化遺産と、フランス植民地時代の影響を肌で感じることができます。
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