午後のチュニスの旧市街は、午前中のカルタゴ遺跡の余韻を連れて静かに熱を帯びていました。北側の路地を抜けていくと、瓦屋根の海の向こうに、ひときわ背の高いミナレット(尖塔)が空に線を引きます。
目印のように堂々と立つその塔を追うように歩みを進めると、白い大理石が光をはね返し、思わず「新築ですか」と錯覚するほど端正な佇まいのモスクに行き当たりました。あとで調べると、ここは19世紀初頭に宰相ユースフ・サーヒブ・アッタバの名を冠して建てられ、1808年に着工、1814年に完成した歴史ある礼拝堂でした。
一帯はハルファウィーン(Halfaouine)地区。モスク単体ではなく、同時期にバザールやハンマーム、二つのマドラサ、公共泉(サビール)、隊商宿(フンドゥク)、さらにサーヒブ・アッタバの宮殿や廟までを含む複合施設として整えられたことが、この場所の独特の気配を作っています。列柱のフルーテッドや彩色大理石のヴェニアなどにはイタリア趣味の意匠が濃く、建設には当時の工匠ハッジ・サッシ(サッシ・ベン・フリージャ)が関わり、地中海で拿捕されたイタリア人捕虜の労働力も投じられたという背景が、石の肌合いにまで物語を刻んでいました。
遠目に私を導いたミナレットは八角形で、実は長らく未完のまま時を過ごし、1970年の修復で現在の姿に整えられたそうです。塔の上に載った小さなランタンまで含めて線が細く、しかし視線をさらう凛とした立ち上がりは、迷宮のような旧市街で方向感覚を取り戻させてくれる頼もしさがありました。
門に足を踏み入れると、回廊の影が涼しく、白と薄茶の大理石が幾何学の秩序で連なります。礼拝堂の天蓋から下がる装飾灯が静かに揺れ、人々の出入りに合わせて床石の冷たさがほんの少しだけ柔らぎます。数時間前に見たカルタゴの廃墟は「時間の断片」、ここは暮らしの中に生きる「時間の継続」。約200年という数字は、磨かれ続けた大理石の光沢の前ではただの通過点に過ぎないのだと感じました。
このモスクは、フランス保護領成立(1881年)以前にチュニスで築かれた「最後の大モスク」とされ、いまは歴史的記念物として守られています。旅人の目には新しいとさえ映る美しさの裏側に、権勢を誇った宰相の構想、地中海世界の交流と軋轢、そして祈りの営みが幾層にも重なっている――そんなことを思いながら、私は再びミナレットを振り返り、旧市街の北へと歩き出しました。
旅程
(略)
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Mosquée Barrek Jmel
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