スキップしてメイン コンテンツに移動

東京都庁:243メートルの存在感、近未来の大聖堂、建築美にふれるひととき、東京の絶景を眺める

新宿にある東京都庁(とうきょうとちょう)に来ました。

新宿にそびえ立つ東京都庁は、東京の政治・行政の中心であると同時に、観光スポットとしても多くの人々に親しまれている建物です。東京都新宿区西新宿に位置し、都営大江戸線の「都庁前駅」から直結しているため、アクセスも非常に便利です。また、JR新宿駅からも徒歩10分ほどで到着できる距離にあります。

東京都庁は、バブル期が終わる頃の1990年(平成2年)に竣工された比較的新しい建物で、設計を手がけたのは世界的な建築家・丹下健三(たんげ けんぞう)氏です。彼は、東京カテドラル聖マリア大聖堂なども手がけたことで知られており、その重厚で荘厳な建築スタイルは都庁にも色濃く表れています。東京都庁第一本庁舎の高さは約243メートル。ツインタワーのようにそびえる姿は、まるで近未来の大聖堂を思わせる迫力があります。

都庁の魅力のひとつに、展望室の存在があります。第一本庁舎の45階にある展望室は、誰でも無料で入ることができ、地上202メートルの高さから東京の街並みを一望できます。晴れた日には、遠く富士山まで見渡せることもありますし、夕暮れ時や夜景の美しさも格別です。外国人観光客にも人気が高く、ガイドブックにも必ずといっていいほど掲載されています。

展望室にはお土産ショップやカフェもあり、東京らしいグッズを買ったり、景色を眺めながらひと息ついたりすることもできます。こうした施設の充実も、東京都庁を訪れる楽しさのひとつといえるでしょう。


もちろん、東京都庁は観光地であるだけでなく、都政の中枢でもあります。現在の都知事は小池百合子氏で、ここから東京全体の行政を取り仕切っています。都市計画、防災、交通、福祉、教育など、都庁では実に多岐にわたる業務が日々行われています。

旅行や散策の途中でふらっと立ち寄るにもぴったりですし、建築や都市行政に興味がある方にはぜひ一度訪れてみてほしいスポットです。東京都庁は、東京という都市の姿を象徴する存在であり、そこには都市のエネルギーと未来への可能性が詰まっています。


バブル期

バブル期という言葉を聞くと、多くの方が「華やかだった時代」「お金が湯水のように使われていた」というイメージを持つのではないでしょうか。実際、1986年(昭和61年)から1991年(平成3年)ごろにかけての日本は、経済成長がピークを迎え、人々の生活も企業活動もまさに絶頂期にありました。しかし、栄華の裏には脆さが潜み、その後の長い不況につながる序章でもあったのです。

この時代の特徴は、なんといっても資産価値の異常なまでの高騰です。株価は連日のように上昇し、日経平均株価は1989年末には3万8,000円を超えました。地価も都市部を中心に急騰し、「東京23区の地価でアメリカ全土が買える」といった誇張とも本気とも取れる言葉が飛び交っていたほどです。金融機関は競うように企業や個人に融資を行い、多くの人々が株や不動産に投資して一攫千金を夢見ました。

この好景気は、都市の景観や人々のライフスタイルにも大きな影響を与えました。都心には高層ビルが次々と建てられ、地方でもリゾート施設やゴルフ場の建設が相次ぎました。夜の街にはディスコがあふれ、男女ともにブランド品を身にまとい、煌びやかな世界を生きることが成功の象徴とされていたのです。

また、消費文化も独特でした。若者の間では「アッシーくん(車を出してくれる男性)」「メッシーくん(食事を奢ってくれる男性)」といった言葉が流行し、物や人間関係までもが経済的価値で語られる風潮が生まれていました。企業社会では、「24時間戦えますか?」というテレビCMのコピーに代表されるように、猛烈な働き方が美徳とされていました。

しかし、そんな夢のような時代にも終わりは訪れます。1989年以降、日本銀行が加熱する経済を抑えるために金利を引き上げると、投資の勢いが一気に鈍り始めました。株価は暴落し、地価も下落を始め、多くの企業や個人が莫大な負債を抱えることになります。これがいわゆる「バブル崩壊」であり、日本経済は長期の停滞、いわゆる「失われた10年」へと突入していきました。

バブル期は、単なる経済的好況の時代というだけではありません。人々の価値観や文化、都市の構造にまで影響を及ぼした、大きな節目のひとつです。今の日本社会が抱える問題の一部は、この時代の繁栄とその崩壊にその起源があるとも言われています。

バブルを経験した世代にとっては、あの時代は「信じられないほど輝いていた」と語られることも多いです。一方で、その時代を知らない世代にとっては、まるでフィクションのような世界に映るかもしれません。だからこそ、バブル期について知ることは、過去を理解するだけでなく、今の日本を深く捉えるための鍵となるのです。

旅程

新宿駅

↓(徒歩)

東京都庁

↓(徒歩)

新宿駅

関連イベント


周辺のスポット

地域の名物


関連スポット


リンク

コメント

このブログの人気の投稿

桐生市の歴史的な建造物群:西桐生駅、蒲焼 泉新、矢野園、有鄰館、まちなか交流館、平田家住宅旧店舗、森合資会社事務所・店蔵・石蔵(旧穀蔵)、一の湯、旧桐生高等染織学校講堂、無鄰館、旧曽我織物工場、金善ビル、桐生倶楽部

群馬県桐生市は、江戸時代から続く織物の町として知られ、かつて「桐生新町(きりゅうしんまち)」と呼ばれた歴史ある地域です。市内には桐生明治館や桐生織物記念館、桐生天満宮、織物参考館・紫といった代表的な施設だけでなく、今もなお往時の面影を色濃く残す歴史的建造物が数多く点在しています。これらの建造物群は、伝統的な町並みや商家、蔵などが連なり、まるで時代を遡ったかのような雰囲気を味わうことができます。 特に「桐生新町」は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、歴史と文化の香りを今に伝える貴重なエリアです。昔ながらの格子戸や石畳、重厚な蔵造りの家々が並ぶ風景は、歩くだけで桐生の長い歴史や人々の暮らしを感じさせてくれます。この記事では、そんな桐生新町の歴史的建造物群についてご紹介したいと思います。 西桐生駅 西桐生駅は、木造の趣ある駅舎が印象的な駅です。1928年(昭和3年)の開業以来、上毛電気鉄道の駅として、現在も多くの人々に利用されています。時代の移り変わりの中で、駅舎そのものは大きな改修を受けることなく、当時の面影を色濃く残しているため、歴史好きの方やレトロな雰囲気を味わいたい方にとって、心惹かれるスポットとなっています。 私が訪れた日は、真夏のような強い日差しが照りつける暑い日でした。ホームや駅舎の待合スペースでは、電車を待つ人々だけでなく、ベンチで休憩をとる方や、涼を求めて飲み物や軽食を楽しむ方の姿も見られました。昔ながらの木造駅舎にはどこか心地よい落ち着きがあり、旅の合間にほっと一息つくにはぴったりの空間です。 私も駅舎内の自動販売機でアイスクリームを買い、ベンチに腰掛けてしばし涼を取りました。外の暑さを忘れさせてくれるような、静かな時間が流れていたのが印象的です。長い歴史を持つ西桐生駅は、日常の中にそっと溶け込みつつ、訪れる人に昔懐かしい風景と、ひとときのやすらぎを与えてくれる場所だと感じました。 蒲焼 泉新 桐生の町を歩いていると、ふと香ばしいうなぎの香りが漂ってきました。そこにあるのが、天保元年(1829年)創業の老舗「蒲焼 泉新(いずしん)」です。長い歴史を持つうなぎ料理屋で、創業以来、地元の人々や旅人に親しまれてきました。建物自体がいつ建てられたものかははっきりとは分かりませんが、昭和61年に曳き移転されたという記録が残っており、それ以前からこの...

法隆寺:世界最古の木造建築と聖徳太子の遺産

京都・奈良観光に来ています。貸し切りのタクシーで刊行しており、法起寺と山背大兄王の墓所のあと、法隆寺に案内されました。 奈良県斑鳩町にある法隆寺(ほうりゅうじ)は、日本最古の仏教寺院の一つとして知られています。推古天皇15年(607年)に聖徳太子によって創建されたと伝えられ、1993年にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。創建当時は、斑鳩寺(いかるがでら / 鵤寺)と呼ばれていました。歴史の重みを感じるこの寺院は、日本の仏教美術や建築を語る上で欠かせない存在です。 法隆寺の伽藍は、西院伽藍と東院伽藍の二つのエリアに分かれています。西院伽藍には、世界最古の木造建築群が立ち並び、特に金堂と五重塔が有名です。金堂には飛鳥時代の代表的な仏像である釈迦三尊像が安置され、その表情や姿勢からは深い歴史と信仰の重みを感じることができます。五重塔は仏教建築の粋を集めたもので、塔内部には釈迦の入滅や舎利信仰を表す塑像群が残されています。 東院伽藍には、聖徳太子を祀る夢殿が建っています。夢殿は八角形の美しい建築様式を持ち、太子信仰の中心となる場所です。内部には秘仏・救世観音像が安置され、特定の期間のみ御開帳されることで知られています。また、法隆寺には百済観音と呼ばれる国宝の仏像も所蔵されており、その優雅な姿は多くの参拝者を魅了しています。 法隆寺の歴史をひも解くと、670年(天智9年)に火災で焼失し、その後再建されたとされています。これを巡って「法隆寺再建非再建論争」と呼ばれる学術的な議論が行われましたが、現在の伽藍は7世紀後半のものと考えられています。そのため、再建されたものではあるものの、非常に古い建築物として世界的にも貴重な文化財とされています。 法隆寺は単なる歴史的建造物ではなく、日本の仏教文化がどのように根付いていったのかを知る手がかりとなる場所です。その荘厳な雰囲気の中で、飛鳥時代の人々が抱いていた信仰や仏教の広がりを感じ取ることができます。奈良を訪れる際には、ぜひ足を運び、悠久の時を超えて受け継がれてきた法隆寺の魅力に触れてみてください。 文化財保護法 日本には数多くの歴史的建物や美術工芸品、伝統芸能や美しい自然環境など、次世代へと引き継ぐべき貴重な文化財があります。これらの文化財を守り、次の世代にも伝えていくために制定されたのが、「文化財保護法(ぶんかざいほごほう)...

曹洞宗 大泉寺 (甲府市):本堂からはじまった一巡、甲府で感じた落ち着き

北国街道の春はまだ浅く、甲府の空気には少しだけ山の冷たさが残っていました。朝から武田ゆかりの地を巡り、武田神社で背筋を正し、武田信玄公の墓所で静かに手を合わせたあと、足を延ばして大泉寺(だいせんじ)へ向かいました。信玄公の墓から歩いたので寺域には北側から入り、門前の段取りもなく、いきなり本堂と向き合うかたちになりました。思いがけない近さに少し驚きながら、まずは合掌して旅の無事を報告します。 本堂前には、甲斐の寺らしい端正さが漂っていました。大きな誇張はないのに、柱の一本一本が落ち着きと気概を帯びているように感じます。境内をゆっくり一巡すると、堂宇の配置に無駄がなく、山裾の地形に寄り添って築かれていることが分かりました。戦国の気配を帯びた史跡を歩いた後だからでしょうか、ここでは時間が一段ゆっくり流れているように思えます。 南へ抜けると、山門の額に「萬年山」と大書されていました。風に晒された木額の筆勢は力強く、寺号を越えて「この地で幾世代も祈りが重ねられてきた」という気配を直接伝えてきます。甲府の寺には武田氏ゆかりの由緒が折々に残り、祈願所や菩提寺として地域の信仰と政治の結節点を担ってきた歴史があります。大泉寺の静けさもまた、合戦や政変の記憶を飲み込み、日々の祈りの層を積み重ねてきた時間の厚みから生まれているのだと思いました。 境内の片隅でしばし腰を下ろすと、風に鳴る木の葉の擦れ合いが、さっきまでの史跡巡りの緊張をやわらげてくれます。武家の栄枯盛衰は書物や石碑の中で雄弁ですが、寺の空気はもっと寡黙で、それでも確かに当時を伝えてくれる。華やかな戦功の陰で、人びとの生活と祈りが確かに続いていたことを、こうした場所はさりげなく教えてくれます。 北から入って本堂に迎えられ、南の山門から「萬年山」に送られる――結果的に境内を南へと抜ける流れになったことで、祈りの導線を逆向きにたどったような、不思議な余韻が残りました。史跡としての手がかりを探す旅でもあり、同時に心を整える旅でもある。甲府での一日は、武田の記憶に触れつつ、静かな寺の時間に身をひたすことで締めくくられました。 大泉寺のことを思い返すと、派手な見どころを挙げるよりも、境内の空気そのものが記憶に残ります。歴史は大河のように語られますが、現地で向き合うと湧水のように足元から滲み出てくる。甲斐の山に抱かれた小さな時間が、長い歴...