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8月, 2025の投稿を表示しています

自由学園明日館:ライトと遠藤新の思想が息づく、石と木と窓

豊島区の住宅街を歩いていたとき、広い芝生と横に伸びる洋風建築がふいに視界を開き、いつか中を見たいと思っていた自由学園明日館(じゆうがくえんみょうにちかん)に足を踏み入れました。 入口から一階の教室をのぞくと、低く連なる天井と連窓が穏やかな光をほどよく散らし、学びの場らしい静けさが保たれているのが印象的でした。 やがてホールへ進むと、壁一面を切り取る大きな窓に迎えられます。説明によれば、この窓は復元前に強度確保のための補強枠が付いていたものの、復元の段で建築当初の姿に戻されたそうで、外と内がひと続きになるような開放感がよみがえっていました。 中階の食堂を抜けて二階へ上がると、設計の経緯や素材についての資料が並んでいました。最初に依頼を受けた遠藤新(えんどう あらた)が、学校創設者の羽仁もと子・吉一(はに もとこ・よしかず)夫妻にフランク・ロイド・ライトを紹介し、共同で計画が進んだこと、そして館内外に栃木の大谷石(おおやいし)が意匠として生かされていることが語られていました。先日、英語教材でライトと大谷石の関わりを読んだばかりだったので、ここでその具体例に触れられたのは幸運でした。水平線を強調する外観、厚みのある石の質感、光を和らげる窓の構成が一体となって、学びの時間を包み込むように感じられます。 さらに道を渡っての講堂を見学しました。こちらは遠藤新の設計で、復元過程では壁に閉じ込められていた当時のトイレが見つかり、そのまま展示されていました。日常の設備にまで時代の息遣いが残されていることに、保存という営みの奥行きを思います。 講堂の柱の一部にも大谷石と思われる石材が用いられ、ライトから受け継いだ素材感や水平性の感覚が確かに引き継がれていました。 大正期に芽吹いた新しい教育の理念を、建築そのものが形にした場所だと実感します。大きな開口部から射し込む自然光、庭とのつながりを意識した低く伸びやかなプロポーション、手で触れられる石の温度――それらは過去の遺物としてではなく、今も人を迎え入れる“学びの器”として生きています。復元で取り戻された窓の軽やかさや、偶然に発見されたトイレの素朴な存在感も含め、ここには設計者たちの思想と学校の記憶が、静かに重なり合っていました。再訪のたびに、光と素材が教えてくれる小さな発見が増えていくように思います。 旅程 池袋駅 ↓(徒歩) 自由学園明...

科学技術館:問題は遊びながら解ける、学びのスイッチが入る体験

夏休みの賑わいのなか、科学技術館を訪れました。入口からすでに子どもたちの声が響き、家族連れの多さに少し圧倒されます。それでも館内に一歩入ると、体験型の展示を中心に「触れて、動かして、考える」仕掛けが各所に用意されており、この熱気の理由にすぐ合点がいきました。日本が戦後の高度経済成長期から大切にしてきた科学教育とものづくりの精神が、いまも息づいていることを肌で感じます。 最上階の五階から見て回ると、いきなり量子コンピュータの展示が迎えてくれました。量子ビットや重ね合わせといった原理が、実演や模型でわかりやすく整理され、大学時代に取り組んだ組み合わせ問題の記憶がふと蘇ります。難解な最適化の世界が、ここでは遊びの感覚で扉を開けてくれるのが印象的でした。子どものころからこうした概念に触れられる環境は、確かに驚きであり、同時に羨ましくもあります。 四階では鉄のコーナーに心が留まりました。鉄鋼が暮らしを支えてきた歴史はもちろん、素材が製品へと姿を変える過程が、人力で体験できる装置を通して丁寧に示されています。ローラーで延ばす、圧を加える、形を整える――工程を身体でなぞるうち、工場の音や熱、現場の知恵までもが立ち上がってくるようでした。教科書で学ぶ製造プロセスが、ここでは手のひらの実感として残ります。 三階では自転車の歴史に見入りました。歩行を補う木製の乗り物セレリフェール、ハンドルで操舵するドライジーネ、クランクとペダルを備えたミショー型、前輪が大きいオーディナリーへと発展していく流れが、実物展示を通じて一望できます。その後の安全車(いま私たちが乗る自転車の原型)や電動アシスト、競技用の洗練されたフレームに至るまで、技術と社会の要請が互いに引き合いながら進化してきたことがよく分かりました。体験装置が多いフロアのなかで、この一角はじっくりと時代の手触りを味わえる静けさがあり、思わず足が止まります。 全体を通して特徴的なのは、企業が協賛するブースが多いことでした。製品や最新技術の背景にある原理を、ゲーム感覚で試したり、失敗しながら理解できるように設計されています。科学にまだ興味が芽生えていない子どもも、遊んでいるうちに仕組みが分かり、興味のある子は解説やデータを読み込みながらさらに深めていける導線が巧みに敷かれていました。産業と教育が手を取り合い、次の担い手を育てる――日本の科学技...

国立公文書館:令和7年夏の特別展 「終戦―戦争の終わりと戦後の始まり―」

千代田区の国立公文書館で、令和七年夏の特別展「終戦―戦争の終わりと戦後の始まり―」を拝見しました。 入口をくぐるとまず、戦争の始まりを示す「宣戦布告」や「特攻隊の名簿」が目に入り、国家がどのように戦時体制へと舵を切っていったのかが、文書という確かな痕跡で示されていました。新聞記事や証言と違い、ここでは決裁された文言が静かに並び、政策が「いつ・誰の名の下で・何の目的で」動いたのかが、余白の少ない言葉づかいから立ち上がってきます。 「第1部 空襲の激化と硫黄島の戦い」では、「イモの増産の閣議書」や「戦地からの郵便」、「学童疎開教科の閣議書」などを通じて、戦況の悪化に呼応して暮らしの隅々にまで及んだ動員の様相が見えてきました。主食の確保や物流の維持、子どもたちの安全をめぐる判断が矢継ぎ早に行われたことがわかり、戦地の出来事が時間差なく内地の行政や生活に波及していく緊張が伝わってきます。 続く「第2部 鈴木貫太郎内閣の成立と戦争末期の日本」では、「ドイツ降伏への日本政府の声明」に始まり、「清酒醸造所の医療用アルコール製造の通達」、「本土決戦に向けた戦時緊急措置法」など、劣勢のなかでも資源配分を組み替えて生産を維持しようとする意思と、最悪の事態を想定した立法・通達の積み重ねが示されていました。敗色が濃くなるほど、文書はより具体的で手順的になり、現場に迷いが生じないよう道筋を示そうとする意図が読み取れます。 「第3部 終戦」では、「ポツダム宣言と日本政府のその反応」、「原爆に対する新型爆弾対策委員会の設置の閣議書」、そして「終戦の詔書」に至る資料が並びます。原子爆弾投下という未曾有の事態の直後であっても、対策組織の設置や情報収集の体制化が図られていたことがわかり、国家の意思決定が総崩れではなく、段階的な収束と転回を志向していたことに気づかされました。玉音放送の場面だけが強く記憶されがちですが、その背後には、終戦へと舵を切るための連続した会議と決裁の痕跡が確かに残っています。 最後の「第4章 戦後のはじまり」には、「降伏文書」や「連合国から日本政府への指令第一号」、そして「三菱財閥の資本系統図」などが配され、占領政策の枠組みづくりと経済構造の再編に向けた課題の大きさが一望できました。とりわけ財閥の系統図は、戦前の企業集団がいかに広範な分野に関わっていたかを可視化し、解体や再編が短...

第五福竜丸展示館:過去を運ぶ器という航路に乗り換えた船

夢の島の緑の中に現れた第五福竜丸展示館に入ると、建物の芯をなすように巨大な船体が横たわっています。最初はそれがあまりに大きく、ただの壁のように見えてしまいましたが、足元のフロアに近い位置にスクリューがあり、そこでようやく私は、これが海を走っていた船なのだと実感しました。船は、海の記憶をそのまま抱えてここに収まっているのだと思うと、言葉が自然と少なくなります。 見学の順路は、ガラス瓶に入った白い粉末から始まりました。「死の灰」。説明パネルには、ビキニ環礁で行われた水爆ブラボー実験が想定を超える威力で、サンゴの砂や海水を巻き上げて降り注いだことが記されていました。瓶の中で静かに沈む灰は、ただの粉に見えます。けれど、その無機質な白さが、目に見えない放射能の重さや、突然日常を奪われた人びとの時間を、逆に鮮やかに立ち上がらせるように感じました。 船と乗組員たちに何が起きたのかを追う展示は、淡々としているからこそ胸に迫ります。甲板に降り積もった灰、皮膚の異変や体調不良、そして無線長・久保山愛吉さんの死。記録の一つひとつは、悲劇を語る言葉よりも静かですが、だからこそ現実の重力を失いません。「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉に出会うと、展示室の空気がさらにひんやりとし、足取りが自然とゆっくりになりました。 第五福竜丸の被曝は、船の上だけで完結しませんでした。市場に並ぶ魚への不安が広がり、「原子マグロ」という言葉が世の中を渦巻きました。展示は、漁業や流通、消費の現場まで広がった動揺を、新聞の見出しや検査体制の資料で静かに伝えています。数字や図表の向こう側で、食卓に座る家族の姿が目に浮かびました。食べることの安心が揺らぐとき、社会の平静もまた揺らぐのだと改めて思います。 この館が印象的なのは、視線を日本の外へ向ける窓が大きく開かれていることでした。マーシャル諸島の人々が受けた影響、故郷を離れざるを得なかった暮らし、長期にわたる健康不安――地図や写真、証言が並び、海を隔てた遠い出来事が、同じ時間の上にある現実として迫ってきます。核実験の被害は国境を持たないことを、展示は穏やかな筆致で示していました。 さらに、壁の一隅では「ラッセル・アインシュタイン宣言」が紹介され、科学者たちの言葉が時代を越えてこちらを見つめていました。核兵器がもたらす問いは、技術の進歩そのものへの問いか...

東京都埋蔵文化財センター:令和7年度企画展示「土の中のトーキョー ~近代考古学事始~」

東京都多摩にある東京都埋蔵文化財センターを訪れました。 今回の訪問では、ちょうど企画展「土の中のトーキョー ~近代考古学事始~」が開催されていたので、まずはその展示からじっくりと見学しました。 この企画展では、普段あまり意識することのない近代の埋蔵物に光が当てられていました。会場に足を踏み入れると、江戸時代後期から明治、大正、そして戦前にかけての生活の痕跡が、さまざまな遺物として並んでいました。中でも目を引いたのは鉄道関連の標識や水道管、そして煉瓦や食器、瓶、缶などの身近な品々です。 特に江戸時代の木製水道管は、現代のイメージからは想像もできず、その技術と工夫に驚かされました。当時の人々がどのように水を引いていたのか、身近な道具を通して歴史を感じることができました。 常設展にも足を運ぶと、多摩地方から発掘された旧石器時代の石器や縄文時代の土器が展示されていました。こうした展示品からは、この土地に人が暮らし始めた遠い昔に思いを馳せることができます。また、時代が進むごとに展示される品々も変わり、弥生・古墳・中世、そして近代と、人々の暮らしや技術の変化が一目で分かるように構成されていました。 体験コーナーも充実しており、子どもから大人まで楽しめる工夫が随所に見られました。例えば、粘土に縄文の模様をつけて自分だけのミニ土器を作れるコーナーや、古代の服や道具を身につけて当時の暮らしを体感できるコーナー、さらに火起こし体験ができる場所もありました。展示を見るだけでなく、実際に手を動かして古代の技術を感じることができるのは、とても貴重な体験だと思います。 東京都埋蔵文化財センターは、考古学や歴史に関心がある方はもちろん、家族連れにもおすすめの場所です。日々の生活の延長線上にある「身近な歴史」に気づかされると同時に、現代と過去がつながっていることを実感できる、学びの多いひとときとなりました。 旅程 多摩センター 駅 ↓(徒歩) 東京都埋蔵文化財センター ↓(徒歩) 多摩センター 駅 関連イベント 令和7年度企画展示「土の中のトーキョー ~近代考古学事始~」 周辺のスポット サンリオピューロランド 地域の名物 関連スポット リンク 東京都埋蔵文化財センター